次の週末、黒田の家へ行く事になった。
黒田の母親が、どうしても白石に会いたい、と言っているという。
黒田が母親に一体どんな説明をしたのか分からないが、自分がそこまで興味の対象になるとは思えないのだが。
しかし、黒田には色々と世話になっているし、挨拶の一つもした方が良いだろうと、白石も会うことを了承した。
黒田の母親は、看護師として不定休の仕事に就いているので、都合が付きにくいかも知れない、と思っていたら偶々週末と母親の休日が重なったらしい。
それで、急ではあるが、この週末に訪問する事になった、という流れだった。
流石に手ブラはどうかと思い、近所のケーキ屋で焼き菓子をいくつか買い、渡されていた住所を頼りに歩いて来てみると、黒田の家は白石の家から徒歩10分程度の距離にあるアパートだった。
そういえば、家近いって前に言ってたけど、本当に近かったんだな…。
呼び鈴を押すと『はーい!』と女性の声がして、ガチャリとドアが開いた。
『いらっしゃい!貴方が白石君?初めまして、肇の母です。』
会釈する女性はフワフワしたセミロングくらいの髪を後ろで束ねた、小柄で可愛らしい女性だった。
高校生の息子がいるとはとても思えない。
『初めまして、白石です。息子さんにはいつもお世話になっています。』
白石がペコリと頭を下げて挨拶すると、ジーッと見定めるようにこちらを見てきた。
『あの…何か…?』
さすがに居た堪れなくなって、声を掛けると、
『あら、ごめんなさいね。聞いてたよりイケメンだったものだから。つい見惚れちゃったわ。』
ホホホ、と口に手を当てて笑っている。
『はぁ…。』と、つられて白石もぎこちなく笑った。
『あっ、先輩いらっしゃいませ!母さん、早速絡まないでよ!』
奥から黒田が顔を出した。
『あら、カッコイイ子にカッコイイって言って何がいけないのよ?』
心外、という風に母親が言うと、
『先輩固まってるじゃん!ささ、とりあえず中どうぞ!』
『あ、あぁ…。』
黒田に促されて靴を脱ごうとした時、持ってきた手土産の事を思い出した。
『あ、これ良かったらどうぞ。』
と黒田の母に渡すと、
『まぁ、ご丁寧にありがとう。カッコイイ上に気遣いも出来るなんて、学校ではさぞかしモテるでしょうね〜!』
黒田の母がニコニコとお菓子を受け取ると、『もー、やめてよ母さん!』と黒田が苦言を呈した。
『とりあえず俺の部屋行きましょう!』と黒田は白石の手を引いて歩き出した。
後ろから母親が『ずるーい!』と言っているのに蓋をするように、部屋のドアをバタン!と閉めた。
『ほんとすみません…。うちの母親、面食いで…。』
全く…とブツブツ文句を言う黒田が可笑しくて、プッ、と笑った。
『そういや、お前も面食いだよな。木村…』
そこまで話すと『わぁああ!!』と遮るように黒田が叫んだ。顔が真っ赤になっている。
『何だよ、煩いな。』
白石が言うと、
『ここではその話、禁句です!!』
黒田はシーッ!と人差し指を口元に当てている。
『何だ、木村の事話してないの?てっきり…』
『わぁあああ!!』
慌てる黒田が可笑しくて、クスクス笑っていると、黒田がうな垂れながら話した。
『母親に話したら、絶対「家に連れて来い!紹介しろ!」とか煩いに決まってます。そんで万が一連れて来でもしたら、何言われるか…。』
考えるのも恐ろしい、とでも言うように黒田は首を振った。
『…お母さんと、仲良いんだな。』
白石はポツリと呟いた。黒田はうーん、と首を傾けた。
『普通じゃないですかね?そういえば先輩の家族って?』
黒田が問う。
『俺んとこは3人兄弟で、上から兄姉俺で、俺は一番下。』
『えっ、先輩末っ子なんですか!』
言われてみればお兄ちゃんぽくなかったもんなー、と黒田が失礼な事を言ってくるので、
『お母さーん!木村って…』
と大きめの声でドアの向こうに向かって言うと『ギャー!やめてください!!』と黒田が叫んだ。
ゲラゲラ笑いながら、白石は家族の事を思い出した。
もう1年近くは会っていない。
父は厳格な人で、母は大和撫子を体現したような人。
兄とは10、姉とは7つ離れている為、兄姉とはほとんど一緒に遊んだ記憶がない。
学校に上がってからは、優秀な兄と姉に追いつく為に必死に勉強した。
けれど、どんなに頑張っても、両親の、自分への関心は薄い気がしていた。
家族で食事を囲んでも、会話らしい会話もあまりなかった。
『…先輩、大丈夫ですか?』
ふと気がつくと黒田が心配そうに顔を覗き込んでいた。どうやら、いつのまにか考え込んでいたらしい。
『あぁ、悪い。大丈夫。』
白石が言うと、コンコン、と部屋のドアをノックする音が聞こえた。
『お茶とお菓子いかが?』
黒田の母がお盆を持って部屋に入ってきた。
白石は慌てて正座して、『すみません、ありがとうございます。』と会釈した。
『いえいえ、気にしないで。こちらこそ急にお呼びたてして申し訳なかったわね。』
テーブルの上に紅茶と美味しそうなクッキーを並べていく。
『どうぞ〜。』と黒田の母が言うので、『じゃあ、お言葉に甘えて…。』とクッキーを口に運ぶ。
噛んだ瞬間『ガリッ!!』と脳に響く音がした。
『!?』
白石は一瞬動きを止めた。
な、何だ…?気のせいか?
恐る恐るクッキーを咀嚼すると『ガリッ、ジャリッ』という衝撃と一緒に、強烈な塩味が襲って来た。
何だ、これは。
食卓塩1本分でも入れたかのような塩辛さを、無理やりゴクリ、と飲み込んだ。
あまりの塩辛さに、一気にお茶を飲み干す。
黒田の母が『どう?特製クッキーなんだけど。』と楽しそうに話す隣で、黒田が『辛っ!!母さん、これ何入れたの!?』と叫んだ。
『え?テーブルの上に置いてあったやつ。ピンクで可愛いかったからいっぱい入れちゃった!』
ニコニコする母に、黒田は
『母さん、それ、岩塩だから!!!』
と叫び、ガッカリとうな垂れた。
『あら、お菓子に使っちゃいけないやつだったの?』
『いや、入れすぎだよ!!』
まるで漫才のような二人のやり取りが可笑しくて、白石は思わずプッ、と吹き出した。
ゲラゲラと笑う白石に、二人はポカンとした表情をした。
『あっ、すみません、二人のやり取りが面白かって、つい…。』
口元を押さえながら、謝るも、また笑いが込み上げてきて、涙目になりながら笑った。
『もー、母さんがやらかすから笑われちゃったじゃん!』
黒田が母に抗議すると
『何言ってんの、普段のアンタもどっこいどっこいよ。』
と母が返す。
そのやり取りがまた可笑しくて、白石は更に笑った。