この日のメニューは、肉じゃがとワカメの味噌汁、ブリの塩焼きだった。
肉じゃがの中に、いびつな形の人参が入っている。
先程白石が切ったものだ。
黒田は思い出し笑いをしたのか、口に手を当てて背中を震わせている。
『…おい、言いたいことがあるならハッキリ言えよ。』
白石が言うと、黒田が堪え切れないというように、笑い出した。
『すっ、すみませ…、だって普段とのギャップがありすぎて…。』
笑いすぎて涙目になっている。
白石はハァ…とため息をついた。
人参の皮むきにかかった白石は、とりあえずピーラーを人参の表面に当て、渾身の力を込めた。
なかなか進まない刃に苛立ち、更に力を込める。
しかしピーラーは思うように動かない。
プルプルと手を震わせながら、刃を動かそうとしていた時、別の作業をしていた黒田が声をかけてきた。
『先輩、剥けましたか…って、えっ!?』
今黒田の方を向けば、勢いあまって刃があらぬ方向へ行きそうだったので、そのままの態勢で
『何だよ、これでいいんだろ?』
と必死の形相で、人参に向き合っていると、黒田が噴き出した。
『ずっと同じ態勢のまま動かないから何事かと思ったら…先輩、そんなに力入れなくて大丈夫ですよ。』
先程と同じように、白石の右手に自分の手を添え、ピーラーを軽くスッと動かした。
人参の皮がスルリと剥けていく。
『ね?これくらいの力で大丈夫なんですよ。』
ニコリと笑う黒田に、何か無性に恥ずかしくなって、
『…俺にもそれくらい出来る。』
と小声で呟いた。
それからは、先程よりはスムーズに人参の皮が剥けたが、所々力が入っていたのか、少しデコボコになってしまった。
『じゃあ、次は、人参切ってもらえますか?
こうやって人参転がしながら、斜めに包丁を入れてみてください。』
黒田の指示に、
『よ…よし、分かった。』
と答える。
意を決して包丁を振りかざし、人参に突き立てる。
と、切った人参がスポーンと勢い良く飛び出して、黒田の顔に命中した。
まさかの展開に一瞬固まったが、すぐにハッとして黒田を見た。
『ご、ごめん!怪我はないか!?』
慌てて黒田の顔を覗き込むと、黒田は手で顔を抑えて下を俯いて震えていた。
白石は更に慌てた。
『大丈夫か?どこか痛いのか?』
とオロオロしていると、黒田は思い切り笑い始めた。
白石は呆気に取られた顔で、黒田を見た。
ゲラゲラと腹を抱えて苦しそうに笑っている。
涙を拭いながら黒田が口を開いた。
『あんな勢い良く飛び出すとか漫画か…いや、ほんと見てて飽きないです。』
ひぃひぃ言いながら、笑いの止まらない黒田に、白石は何とも言えない気待ちで、立ち尽くしていた。
白石は、その後も何度か人参を脱走させたが、その度に黒田は笑い転げるのだった。
白石が人参と格闘している間に、黒田は他の準備を全て済ませていた。
白石の人参が鍋に入れられ、煮込みに入った。
その間も黒田はずっと笑っていた。
いただきます、と手を合わせ、苦労して切った人参を口へ運ぶ。
『あ……。』
苦手な味のはずなのに、じんわりと甘く、不思議といつもより美味しく感じる。
『自分で作ったものって、いつもより美味しく感じるでしょ?』
白石の心を読んだように、黒田が言った。
作ったのはほとんど黒田だけどな…と心の中で毒づきながら、確かに、何となく愛着というのだろうか、苦労した分味わい深い気がした。
『また、一緒に料理しましょうね。』
食べ終わって寛いでいると、黒田が楽しそうに声をかけてきた。
『お前、笑いたいだけだろ。』
と返すと、そんな事ないですよー!と言いながら、既に笑っている。
料理も、悪くないかもしれない。
白石は、何となくそう思った。
食後、少し話をしていると、いつの間にか22時を回っていた。
『うわ、やばい。もうこんな時間か!先輩、俺そろそろ帰りますね。』
腕時計を見た黒田が慌てて立ち上がる。
もう、そんな時間だったのか。
これ以上黒田を引き止めることは出来ない。
何となくまだ物足りないような気持ちがして、遠慮する黒田を言いくるめて、公園まで送っていく事にした。
人通りと電灯の少ない、寂しい道。
男一人でも、物騒だから、と。
『一人でも大丈夫なのに。先輩、心配性ですね。』
公園の入り口にある、薄暗い電灯の下で黒田が手を上げた。
『それじゃ、ここで。おやすみなさい。』
『あぁ。』
黒田の遠ざかっていく背中が見えなくなるまで、目を離すことが出来なかった。