『迷ってるんです。告白してもOKもらえる自信なんて無いし…。』
『だけど、毎日顔を合わせるのに隠しておける自信もなくて…。』
黒田は暗い顔で俯いた。
それが過去の自分と重なって胸が軋む。
白石はふぅ、と息をついた。
『お前に一つ聞きたいんだけどさ。』
『え…?』
黒田は不思議そうな表情で顔を上げた。
『お前さ、木村に恋人が出来た時、友人として祝えるか?』
『絶対に嫌です!』
ガタンと音を立てて席を立ち上がった黒田は叫んだ。
『じゃあ、方法は二つしかない。一つは告白する。
もう一つは木村に関わらないようにする。』
黒田は驚いたようにこちらを見た。白石は続ける。
『…結局さ、最終的にはそういう事になってくるんだよ。』
あの頃の白石は相手に会わない事を選んだ。
区域から随分離れた高校に行く白石に彼は『何でそんな遠い学校にしたんだよ』と寂しそうに笑った。
姿を見れば目が追ってしまう。
たとえ雑踏の中でも彼の姿、声だけ拾ってしまう。
あの声で名前を呼ばれて、笑いかけられるだけで、いつも心臓がギュッと音を立てて潰れそうだった。
告白なんて出来るはずもなく、中学を卒業と同時に、逃げるように彼から離れた。
『…先輩?』
黒田の声でハッと我に帰った。
白石は慌てて続けた。
『ま、だからその、さ。
そういう訳で、お前は素直に告白した方が良いんじゃないかと思うぞ』
黒田は先程白石が貸したハンカチをスッと差し出した。
『先輩、泣いてますよ…。』
『え…?』
頬に触れると指に透明な液体がついていた。
慌ててハンカチを頬にあてる。
『全く、お前が泣くからもらい泣きしちゃったじゃんか』
茶化すように言ったが、黒田の表情は固かった。
『…先輩もそういう想いをした事があったんですね。』
黒田は呟くように言った。
『あー、まあ昔な。俺も若かったし。』
『今でもその人の事好きなんじゃないんですか?』
『いや、だから昔の話だって。お前の話聞いて思い出したくらいでさ。』
『嘘ですよ。だったら何でさっき泣いてたんですか?まだ好きなんでしょ?』
『違うって!ていうか、お前には関係ないだろ!』
思いの他大きい声が出て、ハッと我に帰った。
黒田は驚いたように目を開いてこっちを見ていた。
『あ…、ごめん…』
白石が謝ると黒田も『あ…いえ、こっちこそすみません』と頭を下げた。
『今日は遅いし、そろそろ帰るわ。続きはまた今度聞くから』
白石は鞄を引ったくるように持つと、部室から出た。
黒田が何か言っていたような気がしたが、聞こえなかった。
最悪だ。最悪だ。
頭の中でそう繰り返していた。
『実は好きな人が出来まして』
『えっ!』
白石が叫ぶと黒田は恥ずかしそうに下を向いた。
身長は高いし、そこそこ整った顔をしているのに、若干抜けている所がある黒田は、何となくそういった事とは無縁だと思っていた。
先程自分に話を振ってきた流れからすると自然なのに驚いた。黒田と恋愛というのはそれほど結び付かないものだった。
『マジかよ!で、相手は誰なんだよ?』
白石は机に身を乗り出して聞いた。
こんな話が聞けると思っていなかったのでわくわくしてきた。
黒田はいよいよ耳まで赤くして言った。
『…木村さん』
『はっ?』
『同じ新聞部の木村明里さんです…』
きむらあかり…白石は呟きながら記憶を探った。
肌が白く小柄で、くりっとした大きい瞳に肩より少し長いふんわりとした髪。
黒田と同じ二年生だが、可愛らしい外見とは裏腹に性格は男勝りで、黒田は良く『あんたしっかりしなさいよっ!』と叱られている。
木村の横でしゅんとなっている黒田が大きな犬のようで、何となく微笑ましかった記憶がある。
『…先輩笑わないんですか?』
『何で?別に笑うような事じゃないだろ?』
『釣り合ってないって分かってるんです。木村さん可愛いし、しっかりしてるし…俺なんか眼中にないって』
黒田の瞳からポロリと一粒涙がこぼれた。
白石は慌ててハンカチを差し出した。
『おい、大丈夫か?』
黒田はハンカチを受け取り、ありがとうございます…と呟いた。
『最初はただの憧れだったんです。外見が凄いタイプだったんで…。でも話してる内に面白い子だなって。』
黒田はハンカチを握ったまま続けた。
『叱られるとクソっとか思う事もあるんですけど、言われてる事全部正論で。いつの間にか木村さんに認めてもらいたいってそればっかり考えるようになってました。笑いかけてもらえた日なんか本当、その夜眠れなかったくらい嬉しくて』
黒田の瞳から涙が溢れる。
せっかく貸してやったハンカチは使わず握ったままだ。
『最近じゃ木村さんの顔を直視出来ないんです…何か泣いてしまいそうで。無理だって分かってるから辛くて。』
ああ、その気持ちは分かる。
白石は遠い記憶の中を辿る。
彼は同じ中学のクラスの同級生で仲が良かった。
いつの間にか好きになっていて毎日後ろ姿を眺めていた。
『自分一人で抱え込んでるのが辛くて、それで先輩に話を聞いてもらいたかったんです』
黒田はペコリと頭を下げた。
どうやら話したい事は終わったらしい。
『…これからどうするんだ?』
白石は口を開いた。
『…先輩、好きな人っていますか?』
少しずり落ちた黒いフレームの眼鏡をクッと上げ直しながら、黒田は口を開いた。
『いや、別にいないけど』
そのような相手が本当にいなかったので、そのまま答えた。
同級生である米沢瑞樹とはいわゆるセックスフレンドだが、恋愛関係にはないし、そういった感情もない。
何より、それを口にしたら黒田は泡を吹いて倒れそうだ。
黒田はやっぱりいないのかーと納得した表情で呟いた。
『先輩ってすごいモテるのにそういった話全然聞かないんですよね。良い人がいないんですか?』
黒田は不思議そうに首を傾げた。
確かに人並みに恋愛は経験したが、一度も成就した事はない。
良い記憶は少なく、報われない相手を好きになって苦しい想いをした記憶ばかりが残っている。
脳裏に学ランを着た姿の男の顔がふと過ぎって消えた。
『…俺の話よりお前の話なんじゃないのか?』
思考に沈んでいきそうな頭を浮上させて、白石は言った。
黒田はあっ、そうでしたと笑った。
本当に得な性格をしている奴だ。
黒田は改まったようにコホンと一つ咳払いをした。
『実は…』
『…笑わないでくださいね?』
同じ新聞部で一学年下の後輩、黒田肇はいつになく真剣な表情だ。
話があるから部活の後部室に残っていて欲しいと言われたのは今日部活が始まる前のこと。
呼び出された男―…白石亜紀は思わず出そうになった欠伸を噛み殺した。
白石と黒田が所属している新聞部の部室は国語準備室(いわゆる物置き部屋)で、梅雨のこの時期は黴臭くてジメジメした空気が立ち込める。
さっさと帰りたいのに、目の前の後輩は一向に本題に入ろうとしない。
さっきから『笑わないでくださいね?』『絶対ですよ?』と念を押すばかりだ。
自分は他人の真剣な悩みを笑うような人間に見えるのだろうか。
少なくとも自分に相談を持ち掛けてくる後輩を馬鹿にしたりする程薄情ではないはずだ。
『おい、用が無いなら俺は帰るぞ』
本当に帰るつもりはなかったが、椅子から立ち上がる振りをする。
すると慌てて黒田が立ち上がった。
『ちょ、待ってくださいよ!今心の準備をしてるんですから…』
180センチ近い体を屈めて、黒田は深く深呼吸した。
『笑わないでくださいよ?』
『それはもう聞き飽きた』