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モノクロ10

梅雨独特の蒸した空気が立ち込める国語準備室の窓を、白石は勢い良く開けた。
この部屋は窓が西向きの為、午後からの室内温度がとんでもなく高い。
にも関わらず、恐ろしい事にこの部屋には空調設備がない。
その為、梅雨から夏にかけて新聞部は、運動部並みに汗だくで作業しなければならなかった。
よくもこんな部屋を活動場所として選んでくれたものだ、とOBや顧問の先生を恨まない気持ちがない訳ではない。
その代わり、冬は暖かくて割合快適なのだが。
大きな扇風機の風力を最大にする。
窓からの風と扇風機とで、若干室内温度が下がる。
この時期、これらの作業が白石の仕事の一つだった。

作業を終えた白石が机に座って本を読んでいると、部室の戸が勢い良く開いた。
『お疲れーっ!って、あれ?まだアッキーだけ?』
白石と同じクラス、部長の野戸有記がキョトンとした声で言った。
『いやー、俺いつもの如く重役出勤かと思っちゃったよ』
そう言って野戸は席についた。
『お前さ、授業終わったら一目散に教室出ていく癖に、毎日どこ寄ってくるんだよ…』
白石は溜め息をつきながら、読みかけの本を置き、野戸を見る。
ふと、野戸の口端から血が出ている事に気が付いた。
『お前、血が出てるぞ!大丈夫か?』
白石は慌ててハンカチを取り出し、野戸の口端に当てる。
『え?あ、ほんとだ。さっきぶつけたからかな』
野戸はへラッと笑いながら、そう言った。
嘘だ、白石は咄嗟にそう思った。
野戸が怪我を作って来るのは、これが初めてではない。
その度『どうした?』と尋ねても、野戸は『大丈夫だよ』と、いつもの顔で笑うだけで何も言わない。
また同じような返事が返ってくるだけだと分かっていながら、聞かずにはいられなかった。
『…大丈夫か?』
野戸は一瞬キョトンとした顔をしたあと、アハッと笑った。
『大丈夫だよ、心配性だなあ、アッキーは』
楽しそうに笑うその笑顔が時々、とてもいたたまれない。
『野戸…お前が話したくないなら、無理には聞かない。けど、お前が話したくなったら、いつでも話聞くから』
白石は真っ直ぐに野戸を見据えて言った。
野戸は一言『え…』と呟いた。
白石は続ける。
『え、じゃねぇよ。俺でも話くらい聞けるからさ、分かったな?』
白石はキッと野戸を睨んで問うた。
野戸はポカンとした顔をしていたが、次の瞬間アハハハと盛大に笑い出した。
『何が可笑しいんだよ』
白石はムッとして言った。
『や、だってアッキーすげー格好良いんだもん。俺が女の子だったら惚れちゃうよ』
野戸はまだ笑いが止まらないらしく、涙目でそう言った。
『馬鹿にしてんのか、お前は』
白石はプイッと横を向いて言った。人が折角…とブツブツ文句を言っていると、野戸が慌てて手を振った。
『あ、違う違う。気持ちはすごく嬉しいんだ、本当に』
その言葉に白石はハッとした。
つい最近、自分も似たような事言わなかったか。
野戸は続ける。
『心配かけて、本当にごめん。でも、俺が好きでやってる事なんだ、全部。だから、大丈夫だから』
そう言うと野戸はまた、いつもの顔で笑った。
『何かアッキーって時々お母さんみたいだよな、普段は冷静なのにさ』
お母さんみたい…。
その言葉に、また既視感。
そうだ、自分もあの男に全く同じ事を思った。

と次の瞬間。
『お疲れ様でーす!』
ガラッと音を立てて戸が開いた。
立っていたのは、件の男。
『おー、お疲れ黒田ー!』
野戸が手を軽く挙げて笑うと、何故か白石はドキリとした。
黒田はあれっ、とした表情で
『野戸先輩、今日は早いんですねー』
と言い放った。
野戸は『凄いだろ!』と良く分からない自慢をしている。
『凄くないですよ。普通ですから、それ』
可愛い気がなーい!などとプリプリ文句を言う野戸を無視して、白石は黒田に視線を遣った。
『…お疲れ』
一言そう言うのに、何故か変に緊張した。
『あ、お疲れ様です』
黒田はペコリと会釈をする。

モノクロ9

それから1時間くらいたわいもない話をして、白石は黒田と別れた。
別れ際、黒田が思い出したように『あっ!』と言ったので、聞き返すと、黒田は恨めしそうな顔で『ご飯…』と呟いた。
意味が分からず、何だよ、それと一蹴すると、黒田はこちらをキッと睨んで言った。
『ご飯ですよ!さっきの話でうっかり流されましたけど、先輩ちゃんとしたご飯食べないと駄目ですよ!コンビニ弁当やパンばっかじゃ栄養偏っちゃいます』
忘れてくれたと思っていたのに、面倒臭い奴だなと思いながら、白石はポリポリと後頭部を掻いた。
『分かってるけどさ、俺料理上手くないから、弁当とかの方が美味しいんだよ。自炊面倒だしさ』
そう言うと、黒田が負けじと身を乗り出してくる。
『駄目ですよ、ただでさえ細いんだからしっかり栄養取らないと。倒れちゃいますよ』
説教じみた口調がまるで母親のようだなと思っていると、黒田が『そうだ!』と叫んだ。
『ちょ、お前夜なんだから静かにしろよ』白石が小声で窘めると黒田は、あ、すみませんと悪びれもなく謝った。
『良い事思い付いたんですよ。俺、時々先輩の家にご飯作りに行きます』
『はぁ?』
呆気に取られている白石をよそに、黒田は、いやー我ながら良い考えですよーとのたまった。
白石は慌てて割り込む。
『ちょっと待て。さすがにそれは悪いし、頼めねーよ。遅くなったら家族も心配するし…』
『あ、全然大丈夫ですよ。俺の家、母親と俺だけで、母親は夜勤で遅くなる事が多いし』
黒田はさらに続ける。
『どうせご飯食べるなら誰かと一緒の方が楽しくて良いでしょ?こう見えて俺、料理上手いんですよ。小さい頃から作ってるんで』
黒田はニコニコしながらそう言った。
黒田が母親と二人暮らしなんて知らなかった。
何となく仲の良い家族に囲まれて育ってきたような気がしていた。
黒田をジッと凝視していたらしく、『先輩?』と声をかけられて、体がビクッとした。
『やっぱり駄目ですかね?』怒られた犬のようにシュンとする黒田に何ともいたたまれない気持ちになった。
自分でも汚いと自覚している部屋に他人をあげるのは気乗りしなかったが、利害は一致しているし、これはこれで楽しいかもしれない。
『…言っとくけど俺、本当に料理出来ないからな。あとで後悔するなよ』
白石はそう言ってそっぽを向いた。
『えっ、いいんですか?あ、いいです!料理出来なくていいです!』黒田はあたふたとしながら大騒ぎしている。
その姿を横目に見ながら、白石は、ご無沙汰ぶりの部屋掃除について考えていた。

モノクロ8

黒田は目を見開いたまま固まっていた。
白石は更に続けた。
『だから、俺が好きになった奴も男。男から告白されて喜ぶ男なんて、そういないだろ?』
自分でそう言いながら、心臓がギュッと痛くなった。
黒田は一言も発さず、未だ固まったままだ。
その姿を見て、冷水をかけられたように、頭が冷静になっていくのが分かった。
つい勢いで言ってしまったが、はやまったのかもしれない。
黒田なら受け入れてくれるんじゃないかなんて、自己中心的な考えだった。
自分の先輩がゲイで、それを知らされた所で、黒田にしてみれば迷惑な話だ。
『…ごめん』
白石は申し訳なくなって呟いた。
黒田は『えっ』と言った。
『いや、いきなりこんな話されても困るよな。ほんとごめん』
黒田は慌てたように首を振った。
『いや、その困るとかじゃなくて、ちょっとびっくりしただけで…。』
そう言う黒田は可哀相なくらい慌てている。
『無理しなくてもいいぞ』
そう言って笑うと、黒田は怒ったように『違いますって!』と叫んだ
そんな黒田を見たのは初めてで、白石は思わず固まった。
黒田は、あぁ、もう!と叫んで自分の髪をくしゃりと掴んだ。
『すみません…。さっき怒鳴ったのは自分に対してイライラしてて…。』
黒田はその場にしゃがみ込んだ。
『俺、先輩に何て言ったら良いのか分からないんです。そんな想いをして、誰にも言えないなんて…俺だったら耐えられない。励ましたいって思うのに上手い言葉が出てこなくて』
黒田は頭を抱えている。
『お前…俺が気持ち悪くないの?』
白石がそう呟くと、黒田はガバッと頭を上げた。
『はっ?何で気持ち悪いんですか?先輩が何者でも、俺にとって先輩は先輩ですから』
日本語になっているようないないような事を威張ったように言う黒田に、白石は拍子抜けた。
何だか、可笑しくてたまらなくて笑いが込み上げてきた。
『はは…あはははは』
腹を抱えて笑う白石に黒田は驚いたような顔をした。
『何で笑うんですか?』
『だってお前…普通ゲイなんて言われたら気持ち悪いとか思うじゃんか。それなのに、俺の心配って…お前ほんと変わってるよ』
『普通とか知らないですよ。俺は俺ですから』
そう言って黒田は胸を張った。
それがまた可笑しくて、笑った。
こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
頭の片隅でそんな事を考えていた。

モノクロ7

黒田と白石はそれぞれレジで会計を済ませると、コンビニを出た
『あっちに公園があるんで、そこで良いですか?』
黒田が指差しながら言った。
別にどこでもかまわなかったので、『あ、うん』とだけ答える

案内されるままに行くと、少し歩いた先に小さな公園があった。
この付近は良く通っているはずなのに、こんな公園があったとは知らなかった。
『お前、この辺詳しいな。家この近くなのか?』
白石は尋ねた。
『あ、はい。もうほんとすぐそこですよ。あれ?先輩の家ってどこでしたっけ?確かすごい遠いんじゃ…』
『実家はな。今は学校の近くで一人暮らし』
黒田はいいなぁ〜!と呟く。
『一人暮らしって最高ですよね。実家だと毎日親にうるさく言われたりしてほんと嫌になりますよ』
『いや、実際結構めんどくさいぞ。確かに自由だけど、何もかも自分でやらないといけないしな』
そう言うと黒田は、確かにそうですよねと納得したように呟いた。
『そういや先輩って、ご飯とかどうしてるんですか?』
黒田は尋ねた。
正直それは聞かれたくない質問だった。
料理の苦手な白石は昼は学食かパン、夜はスーパーの惣菜で済ます事が多かった。
『まぁ…適当かな…』
お茶を濁すように答えると、あー!絶対自炊してないでしょ!と言われ、本当にその通りだったので何も言えなくなった。
『駄目ですよ、ちゃんとした物食べないと。先輩細いし、パン食べる所しか見たことないし、前から気になってたんですよね』
黒田はハァと溜息をついた。
頼りないと思っていた後輩にそんな心配をされていたとは。
黒田は自分が思っているより、ずっとしっかりしているのかもしれない。
感心していると、黒田がハッとした表情になって『すみません…』と頭を下げた。
白石は意味が分からず、思わず『えっ?』と聞き返した。
『俺、いつも余計な事言っちゃうんですよね…。今日の放課後もそれで先輩に嫌な思いさせちゃったし、ほんとすみません』
黒田は深々と頭を下げる。
自分がお節介な事を言ってしまったと思ったらしい。
白石は慌てて言った。
『いや、お前が心配してくれてるのはすごく分かるし、素直に嬉しいよ。今日の事も、あれは俺が悪かったから。俺の方こそごめん』
白石が頭を下げると黒田は驚いたように、こちらを見た。
『…前好きだった奴、中学の同級生だったんだけど、そいつに恋人が出来てさ』
白石はぽつりと呟いた。
『そんな覚悟出来てるつもりだったけど、いざその時になると無理だった。結局、そいつといるのが辛くて無理やり進路変えてこんな遠い高校に通ってるわけ』
中学3年生の夏、白石は両親に土下座して進路を変えた。
親は突然の事に驚いていたが、白石が志望したのが県内でも三本の指に入る進学校だったため、あまり反対はされなかった。
『…告白はしなかったんですか?』
黒田は恐る恐る尋ねた。
『出来なかった。向こうはこっちの事、友達としか思ってなかったしな。軽蔑されるのが怖かった』
黒田は怒った顔をして、白石の肩を掴んだ。
『軽蔑なんて有り得ないですよ!どうしてそんな風に思うんですか?先輩は頭も良くて、しっかりしてて、男前で…何で先輩の事を軽蔑したりするんですか!?』
必死な表情の黒田を見ていたら、可笑しくなって思わずプッ、と笑ってしまった。
黒田は『何で笑うんですかー!』とプリプリ怒っている。
他人の事でこんな風に怒ったり悲しんだりできる黒田を本当に良い奴だと思った。
自分もこんな風に真っ直ぐなら良かったと心から思った。
公園の薄暗い光が、今まで何重にも鍵をかけていた心を、少しずつ開いていく気がした。
『…実はさ』
そこまで話すと、白石は口を止めた。
本当の自分を知ったら、黒田はどう思うだろうか。
あれ程知られるのが怖いと思っていたのに、ふとそう思った。
黒田には本当の事を言ってみたい、どんな顔をするか見てみたい。
白石は一呼吸置いて、口を開いた。
『俺、ゲイなんだ』
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