[八日目の蝉]や[紙の月]などが映画化され大ヒットを記録している角田光代の小説『月と雷』が、初音映莉子と高良健吾の主演で実写映画化され、10月から東京・テアトル新宿ほか全国で公開される。

『月と雷』は、幼少時に母が家出し、普通の家庭を知らぬまま大人になった泰子を主人公とする物語。死んだ父が残した持ち家で安定した暮らしを送る泰子の前に、父の愛人の息子・智が現れたことをきっかけに大きな喜びはないが小さな不幸もない平板な泰子の生活がたちどころに変わっていく姿を描く。ひとつどころに定住しない根無し草のような女・直子とその息子の智、そして、その母子と過去に一緒に暮らした男の娘・泰子の物語を描く。

泰子役を演じるのは、[ノルウェイの森]での好演だけでなく、ハリウッドデビューを飾った[終戦のエンペラー]での刹那的な演技が記憶に新しい初音映莉子。泰子と同じ過去を共有する智役を高良健吾が演じる。高良君にとっては[きみはいい子;15]以来の主演作。メガホンを取るのは[blue][花芯][海を感じる時]などの安藤尋。


▽初音映莉子コメント
安藤監督は私的な空間のある現場を作ってくださったので、“俳優として仕事をした”というより、自分の中の人生の一部を泰子の人生に費やすことが出来ました。とても信頼感のある現場でした。
私が演じた泰子は、大好きな父を亡くし、東京に出るわけでもなく、清算しきれない過去を持ちながら、人の人生にかかわることに積極的でない女性です。自分が持っていたもの、現場で感じたことを一番大切にし、心のアクセルとブレーキを小さく刻みながら、この役を作り上げました。
ルーティーンのような生活、自分では平和に過ごしていたはずの日常が、智と再会して、急にその日常が変わっていくわけですけど、高良さんご本人にもそういう流れを変える力がある方だと思いました。生きている限り、共感できる要素がありふれた作品だと思います。

▽高良健吾コメント
安藤監督の現場が久しぶりの映画でした。
現場の流れが、僕には特別で、それは贅沢で。手応えにしながら現場に居ました。
まず台本を読んで。
智の行動を智自身掴み切れてないからこそ、智に対してしょうがないと思えるところがいくつもあって。
多くを理解しながらというよりは、その場その場で演っていた記憶です。
そして、そこには智の切なさがいつも側にあったと思います。
共演した、初音さんのこの現場に対する気合いの込め方は勉強になりました。安藤監督の芝居に対する責任の持たせ方にドキドキしました。
もっと現場に居たかったです。

▽安藤尋監督コメント
以前からその作品がとても好きな角田光代さんの原作を映画化することができ、大変嬉しく思っています。
そして今回は、初音映莉子さんが、美人であることは面接で分かっていたのですが、実はかなりぶっ飛んだスンゲー女優であり、高良健吾さんがとにかくいいヤツに輪をかけたようにいいヤツで、さらに輪をかけてプロフェッショナルな俳優であることを目の当たりにし、とても貴重な体験でもありました。
初音さん演じる泰子も、高良さん演じる智も、二人とも身近にいたらちょっと面倒くさい連中です。それでも彼らがそれぞれの孤独を背負って、「始まってしまった」人生をあがきながらも生きる姿は、時に私自身が自分の中に見つけるもうひとりの自分だったりします。映画を観てくださる方々の中にも、泰子や智がふと顔を覗かせてくれたらとても嬉しく思います。

▽原作・角田光代コメント
映画では、登場する人物のひとりひとりが、みんな、断然、小説よりもすてきな人だ。
それは生身の人が演じているからかもしれない。俳優さんと女優さんが、登場人物たちの不器用な時間を、
ていねいに真摯に生ききってくれているからかもしれない。
書いていて大嫌いだった泰子も智も直子も、映画で見たらみんな好きだ。みんないとしい。