『映画 太陽の子』の完成披露上映会が7/7に東京・TOHO シネマズ 日比谷で行われ、キャストの柳楽優弥、有村架純、國村隼、監督を務めた黒崎博が登壇した。
主演の柳楽君は、冒頭「本日は、このようにお客様がたくさん入ったうえで舞台挨拶をできて大変うれしく思っております。ありがとうございます」とあいさつ。
続けて、有村サンは「2年前に撮影をして、ドラマの放送も経て、本日無事に完成披露会を迎えることができてとても幸せに思います。この2年の間にも本当にいろいろなことが起きて環境も変わってきましたが、改めてこの作品を皆さんに見ていただいて今一度ご自身の考え方を見直すきっかけになればいいなと思います」と胸の内を語った。
大河ドラマ[青天を衝け]などを手がける黒崎監督が10年間温め続けた本企画。黒崎は戦時中の学生が書いた日記の断片をもとに脚本を執筆した。「彼が研究していたのは当時最先端だった原子物理学。未知の学問にただひたむきに取り組む若者で、勉強以外にも好きな人や食べたもの、友人のこともたくさん書いてあった。昔話ではなく等身大の若者として浮かび上がってくる気がして、なんとか物語にしたいと思い脚本を書き始めました」と振り返る。
主人公の石村修は、黒崎監督曰く「取材でたどり着いた、いろんな人のイメージをつなぎ合わせて生まれたキャラクター」。一方で國村サン演じる荒勝は唯一実在の人物であり、遺族の許可を得て造形されている。黒崎監督は「この映画は論争を呼ぶような、いろんな視点を含んだ危険な作品という側面もある。そこで実在の名前を背負って演じていただくのには覚悟が必要。どちらに転ぶかわからない物語で、國村さんは『それを映画でやらんと意味ないだろ。やりますよ』と快く引き受けてくださった。非常に勇気付けられました」とキャスティングの裏話を披露。さらに「この映画が形になる、ならないのせめぎ合いのときに、『絶対にこれを実現させようよ』と出演者の皆さんが背中を押してくれた。僕にとっては本当に大事な大事な一緒に作った仲間であり、この映画にとっての恩人でもあります」と感謝を伝えた。
続いて、「脚本を読んでの感想、出ようと思ったきっかけは?」との問いに、柳楽君は、「まず、脚本を読み終わった後に、『素晴らしいな、絶対参加したい』と思いました。ただ、実際に研究を重ねていたという事実を知らなかったですし、日米の合作映画になるということで、日本のお客様にどう見られるんだろう、アメリカのお客様にどう見られるんだろうというのがちょっと怖くもあって、簡単にやりたいですというより、覚悟をして参加させてもらいました」と答えた。
さらに、「本当に貴重な時間になりましたし、勉強にもなりましたし、僕自身知らないことがたくさんあったんだなと思いました。僕とか、架純ちゃんとか春馬くんとか、30歳前後の俳優がこういうしっかりとしたテーマの作品に参加して、皆さんに伝えていくことはとても意味があることだなと思えるので、本当に最高な時間でした」と振り返り、「懸命に生きてきた人たちの姿から、何かヒントを得ていただければ、うれしいなと思います」とアピールした。
有村サンは「脚本を読んだときに、恥ずかしながらその事実があったことを知らなくて衝撃を受けて、この話を世の中に送り出した時にどうなるんだろうという怖さもあり、責任、覚悟が必要になってくるかなと思いました。」と葛藤があったことを明かし、「黒崎さんが10数年かけて練られたこの企画という事で、すごく熱量を感じました。私は『ひよっこ』で黒崎さんと1年以上過ごさせていただいて、とても信頼している監督でもあったので、ぜひ一緒に挑戦させてくださいということでお話を受けました」と、出演に至った経緯を明かした。
國村サンは「黒崎監督とは昔からの関係でございまして、よく知っていて、その黒崎さんが『一緒にやろう』とおっしゃてくれたんです。(脚本を)読ませてもらったら『こんなことやるんだ』と。この話は非常にスケールが大きいけれど、歴史的にもすごく大事なことが含まれているなと思いながら脚本を読ませてもらいました」と語った。
また、「印象に残っているシーンは?」との問いには、柳楽君は「海のシーンですね。とても難しいシーンで、陽の関係や、海に入ったりするので衣装などが(濡れてしまうので)一発OKじゃないと駄目という緊張感がありました。映画の撮影現場なんですけど、緊張感は舞台の本番の初日前みたいな。実際本編を見て、すごくいいシーンになったと感じたのは、あの緊張感があったからだと、達成感としてすごく印象に残っています」と語った。
さらに、「春馬くんとは10代前半くらいから一緒にオーディションをしたりするような仲だったんですけれど、戦友というか、ライバルというか。今回は兄弟という関係で関わらせていただいて、春馬くんがこの作品に愛を持って参加してくれたように、僕自身も、参加したメンバーみんなで、春馬くんをこれからもずっと愛して大切にしていきたいなと、そう思える大切なシーンです」とコメント。
有村サンは「柳楽さんも春馬さんも一度お仕事をしたことがあったので、自然と幼なじみという関係性ができていて、現場もすごく穏やかでした。作品は戦時下という厳しい環境にありましたが、撮影の合間はすごく笑顔も多かったかなと思います。」とし、「縁側で未来について語り合うシーンがあって、もしかしたら(修と裕之と世津の)3人で会える最後の夜かもしれないというとても切ないシーンではあったのですが、未来に対する望みの詰まったシーンになったかなと思います」と印象に残るシーンを語った。
また、「台本にはなかったのですが、言葉じゃないもので伝えたいなと思って、2人の手をにぎらせてもらったんです。3人の空気感が穏やかでほほ笑ましいシーンになってよかったなと思います」と明かした。
それに対し黒崎監督は「有村さんは普段とても理知的な雰囲気を醸し出していらっしゃる方で、でも演じる時になると、時としてびっくりするような本能的なお芝居をされることがよくあるんです。それをよく存じてましたので、あまりびっくりはしませんでした。“きたな”と思いました」と笑顔。
また國村サンはコロナ禍を踏まえ「戦争とパンデミックの違いはありますが、どちらも異常な状況。個人の力だけではどうにもならない。そんな状況を生きた若者と、そんな時代になることを止められなかった私たちの世代。そういった構図のお話です。このパンデミック下で観ていただくと、別の感じ方をしていただけるのではと思ってます」と呼びかけた。
そして、「実在する人物を演じることになってどうでしたか?」との問いに、國村サンは「実在の人物をコピーするのではなく、あくまでも脚本の世界の中の住人を自分の中でイメージするようにしていました」と答えた。
それを受け、黒崎監督は「当時の日本の学問を引っ張っていた代表的な学者でもあるので、そこはぜひ実在の人を実名で描かせていただきたいというふうに思いました。ただ、この映画は非常にコントラバーシャルな危険な部分もある映画であると覚悟しています。その中で、実在の名前を背負って演じていただくことの覚悟が必要と思い、國村さんにご提案しました。その時國村さんが、『それを映画でやらないと意味ないだろう』とパッと答えてくださって、そのこともまた僕たちを勇気づけてくれました」と感謝を述べた。
七夕にちなんだ「今年の抱負もしくは願い」を披露する場面では、それぞれ、「映像の力が世界中の人に届きますよように」(黒崎監督)、「やすらぎ」(國村)、「安心安全な世界が訪れますように」(有村)、「映画の力でみんなに元気を」(柳楽)と言葉を掲げた。
有村サンは「世界中が今混乱状況にあるのかなと思って、いつになったら何も心配事がなく、全世界の人たちが平和に暮らせるんだろうかというのが、永遠のテーマなのかなと改めて思いました。なので、安心安全な世界が一刻も早く訪れてほしいなと思っています」とコメント。
柳楽君は「正直今、舞台挨拶が久しぶりで、汗をけっこうかいてきちゃいました(笑)」とおちゃめに額をぬぐいながら、「やっぱりいろいろと予期せぬことが起きている中で、自分も“しっかり前向きに変換していかないと”と心を強く持ってやっています。中でも映画とかエンターテインメントで支えられているなと感じる時があるので、皆さんに元気を与えられるような作品に参加して、ポジティブさを与えていけるような俳優になりたいと思っています」と語った。
最後に、主演の柳楽君が代表し「こういう時期にも関わらず来ていただいたことに感謝しています。そして、この作品がこの状況で公開されるという事にすごく意味を感じます。第二次世界大戦中に懸命に生きた人たちから得るヒントのようなものを感じていただけたらうれしいなと思っております。とても意味のある映画ができたと思っておりますので、ぜひ楽しんでください」と呼び掛け、イベントは終了した。