高校の時の思い出の味は?
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私の高校には食堂もありましたし、パン屋さんで毎朝サンドイッチなどを買って昼食にする選択もありましたが、諸般の都合によりそれはならず、毎日弁当を持参しておりました。(今では、毎日作ってもらえる方が大変なことだと思われます。)
高校時代の味と言ってすぐに思い出されるのは、ほぼ毎日弁当に入っていたゴボウ天の味ですね。
中学時代から続いていましたので六年の間、かなりの数のゴボウ天を頂きました。
卒業後はもうゴボウ天はいいやと、他の食材を選ぶようになりましたが、
近年はまた、おでんなどの機会にしばしばそれが復活しつつあります。
損したこと 参加中
若いときは私が望んだことが叶わない時は、自分の損失だと判断していました。
いろいろな他人の要求に譲っていたら、結局自分のことがなくなってしまい何もできないのではないかと恐れてもいました。
私の意思を曲げることは、すなわち私の損失ということになりました。
近年、ひとつの出来事の持っている両面性のことが意識されて仕方がありません。
相変わらず、私は意のままにならない人生を送っておりますが、
例えば、雨が降って予定通りに進まなかったけれども、それが体を休めることになり、おかげで十分な用意の下で実施できたような場合、
はやる意識を外因が抑えつけて最適な仕上がりにすることができたように見えます。
私を遮る障害は、その時の自分だけでは考えつかない進路へと、別の可能性へといざなう扉になる可能性を持っているように思えます。
何が幸いするか分からないとなれば、順調な時も、障害に当たった時も、それは損なのか得なのか、直ちには判断をつけかねることになります。