いつも優しく



争いを好まず、何でも人に譲ってしまうので子供のころ、歯痒いと母に叱られていました。

人が自活するためには、大いに争って稼ぎとって来なければなりませんのに、これでは生命力がありません。


家族や自分が暮らすためには、争うことも辞さず、生命力を大いに発揮することが、家族や自分にとってはかえって優しいあり方だということができます。

同様に生業自体も世間さまの役に立つように内容を確保しなくてはならず、そこでも優しさの中身が問われます。



私の傾向は、三つ子の魂百歳までと言われるように、簡単に変わるものではありませんが、

真に優しくなれるように、ことに当たって、優しさとは何なのかを一つ一つはかりつつ試行錯誤をしています。


棗球

私は眠る時、真っ暗にしていません。棗球という5ワットの電球を点します。

暗闇は怖くありませんが、ものを踏んだり蹴ったりしないように、ものの在処が分かるようにします。

ある昔の人は、家の中がきちんと整理されていたので、明かりがなくても本棚から必要な本を取り出す事ができたとか。

私はそこまで位置をきちんと決めておらず、眠る時には棗球のお世話になります。

ところで、最近節電のために買ったLEDランプは従来の電球ほどに明るいのですが、消費電力が一つ当たり5ワットで棗球ほどしかかかりません。

オジサン、オバサンになる日

昔々、私が子供だった頃、子供ではない男女の方々はもれなく「男の方、女の方」でした。

身内以外の方をお姉さん、お祖父さん、伯母さん、叔父さんなどの呼称では呼ばない傾向があったような気がします。少なくとも用語に違和感を感じている変な子どもでした。

その頃、オジサン・オバサンに相当する方々の下限境界線は、結婚しているかどうかでした。


年月は過ぎて今の私からはオジサン、オバサンの下限についてどう見えているかと申しますと、

人生の残り時間を逆算して過ごし始めたらオジサン、オバサンになるのだと思います。

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