あかちゃんのこと。3

流産手術をすることを私の母にも連絡をしました。

私の母も泣いていました。母もすごく孫ができたことを喜んでくれていたので。ごめんね、お母さん・・・そんあ気持ちでした。
実は、私のお母さんも一度初期での流産手術を経験しています。その時の子は、海の見える景色の綺麗な高台にあるお寺 にいます。

お母さんは、また一緒にあのお寺に行こうね。と言ってくれました。あそこにはお母さんの子ども、私の兄弟になるはずだった子もいるから、お腹の赤ちゃんもさみしくならないね。

そして、お母さんは遠方なのに、手術の前日から、当日は私の家に泊まり込みできてくれました。いつまでたってもお母さんは私のお母さん。お母さんが来てくれたおかげで腐らず、手術に望めました。

そして、昨日。お母さんとけー君に付き添われ、 流産手術をしてきました。静脈麻酔で気づいた時には腹部の鈍痛。もう、赤ちゃんは私のお腹の中にいなくなってしまいました。

まだ実感がわきません。

あかちゃん、、、育ててあげられなくてごめんね。私も自分のお母さんが私を大事に育ててくれたように、私もあかちゃんにたくさんの愛情を注いで育ててあげたかった。

けー君も、お母さんもごめんね。私の妊娠を喜んでくれた人たちにも申し訳ない気持ち・・・
まだお腹に赤ちゃんがいる時には感じなかった、子宮の鈍痛を感じるたびにお腹の中がからっぽになってしまったんだと実感します。


ただ・・・私はお母さんになるはずだったし、死んでしまったけど、私はあかちゃんのお母さんなんです。

ずっとうじうじして悲しみにくれていても誰も喜ばないと思う・・・

近くにはいないけど、私はあかちゃんのお母さんとしてしっかりしなきゃと思う。この安静の時期は赤ちゃんのことを思って、けー君にも少し甘えてゆっくりさせてもらおうと思うけど・・・

落ち着いたら、元気にならなきゃです。

またいつか来てくれる、私たちのあかちゃんを迎えるための準備をしなきゃと思います。

焦らず、無理せず、その日を待とうと思います。


出会ったばっかの職場の先輩がこう言ってくれました。「がんばらなくていいよ。私も流産したけど、その後に2人生めたよ。今は無理せず、人生7割くらいで楽しく生活すればいいんだよ。」

そしてけー君はこう言ってくれました。「俺はずっといーちゃんのそばにいるよ。何があっても離れないよ。いーちゃんがいれば幸せだよ。」



今回の出来事は人生最大のショッキングな出来事だったけど、周りの人たちのおかげで受け入れるころができそうな気がしたので、ここに書きました。


私はこの気持ちを一生忘れません。












あかちゃんのこと。2

私は涙をこらえることができませんでした。

診察室を出ると、他にも受診待ちの妊婦さんたちがいて、すごく惨めな気持ちになりました。

何で私たちの子が・・・・

自然に流れても、流れなくても来週も受診して下さいと言われ帰りました。

一週間後の今日。
こんなに涙にくれながら買えるなんて思ってもいませんでした。



それからの1週間。仕事はどうしようか迷いました。職場の人たちは私が入ったばっかの妊娠で迷惑をかけてしまっているはずなのに、私の気持ちを察してくれて無理に出勤しなくてもいいよ。と言ってくれました。毎日私の体調を気にかけてくれて、仕事後も私のメンタルを心配して何度もLINEをくれました。まだ入って2週間しかたってなかった私にとても親切にしてくれました。

結局、この1週間は体調と相談しながら、職場の人たちにも協力してもらいながら出勤しました。安静にしても変わらないと言われていたことや、家に一人でいるともっと病んでしまいそうだったから・・・ 

ただ、いつ出血するのかとずっとびくびくでした。

そして、赤ちゃんが仮死状態でもつわりはあるのですね・・・時々吐き気があったり、あいかわらず胸は張ったり。


そして、出血も何も起きないまま8週目となり、受診をしました。

いつものように超音波で・・・ 


・・・やっぱり心臓は完全に止まってしまっていました。成長も全く7週目からしていないようでした。

つわりもあるし、流れないし、実はかすかながら心の片隅で心拍が回復していたりしないかな?なんてことも考えることもあったけど。やっぱりダメでした。

私の決心がついたら流産手術を考えましょうと言われ、すぐには返事ができず帰宅しました。今回の妊娠、私よりも大喜びしてくれたけー君には、なんだか申し訳なかったです。

けど、けー君はこの1週間ずっと 私の体調を気遣ってくれて、泣き言も受け入れてくれて、「今回はダメだったけど、また来てくれるよ。赤ちゃんにはちょっとでも俺たちの子どもになってくれてありがとうだね。手術までの間はお腹の中で大事にしてあげようね。」と言ってくれました。本当にけー君にはどれだけ救われたか。あんなに喜んでくれたのに、けー君は一回も泣き言を言わず、本当に強くて優しいお父さんでした。

そして、私たちは9週目の昨日、11月17日に流産手術をすることを決めました。


まだ、もう少し続きます。。。

あかちゃんのこと。

たいぶ放置してしまいました。

その間にいろいろありました。

私たちのもとにきてくれたあかちゃんはお空へ飛び立ってしまいました。




妊娠検査薬で陽性が出てから、初めての受診。

お医者さんからは、「おめでとうございます。6週目入ったところかな。また1〜2週間後に来て下さい。次回よえれば母子手帳もらってきてもらおうかな。」と言ってもらっていました。

「心拍は〜96・・・。ちょぉっと遅いけど、初期には遅いこともあるから。」

だから心拍が遅いことは気にしていませんでした。

私達予定外の妊娠に最初はびっくしたけど、私もけー君もそれ以上に二人の子どもができたことが嬉しくて他のことを犠牲にしても
あかちゃんを迎えようと思っていました。両家の両親も大喜びしてくれました。

生活も赤ちゃんに優しい生活を心がけていました。


それなのに・・・7週目。この日に問題なければ。母子手帳取りにいってね〜と言われるんだ!とうきうきで受診したら・・・

超音波検査で私の目では赤ちゃんの心拍は確認できませんでした。

先生の声もなんだか申告で・・・

「心拍・・・76・・・かな。」

「これは・・・残念だけど・・・ダメになっちゃう可能性が高いね。通常の半分の心拍もないね・・・」

「赤ちゃんの成長も・・・遅くなってきてね。」

頭が真っ白になりました。先生何を言ってるの?とい思いました。

けー君も呼ばれて、説明が始まりました。

渡された用紙は「繋留流産について」、「流産手術について」

おそらく、近々赤ちゃんの心臓は止まります。そうすると、出血して、赤ちゃんと子宮の中のものが自然に流れ出てくるかもしれないし、まずはそれを待ちましょうと。流れる気配がなければ流産手術をする必要があると・・・そんな説明でした。

先生・・・まだお腹の子はわずかにでも心臓は動いてるのに。今そんな話をするの?もう絶対だめなの?

私は藁にもすがる思いで「安静にしていたら変わりますか?どうしたらいいですか?」と聞きましたが・・・

先生は「この時期の流産は母親の問題ではなく、赤ちゃん自身がダメだった子ということです。染色体異常でもともと大きくなることができない子だったという可能性が高いです。だからいくらお母さんが安静にしてようがどうしようが死んでしまうものは死んでしまいます。だから安静にしていた方がいいとは言えません。これは残念ですがどうしようもありません。お仕事も辛いと思いますが、身体的な面で言ったら、休む必要もないです。ただ、流れてしまったとき、激しい腹痛や出血が多く、止まらない時はすぐに病院に来てもらう必要がありますが・・・。この子の心拍では・・・まず、戻るということもないと思いますし・・・」

・・・そんな説明でした。

長くなりそうなので、次に続きます。

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