再送 5年前ぐらいの記事ですが
[出口のない海]横山秀夫
読んだのは一年前。何か引っかかるモノが。
最近やっと消化され語るべき言葉を見つけました。
ここからはいつもの独断と偏見の粋狂的解釈でいきます。
粗筋を追うと
太平洋戦争末期、主人公・並木は野球の優れた投手。しかし肩を壊して豪速球を断念。
さらに大会も中止に。
しかし彼は諦めません。
豪速球から幻の変化球の開発に全てを賭けます。
しかし時代は学生、野球を許さない。彼も軍隊へ。厳しい軍隊生活と葛藤。それでも彼は投げ続けます。
そして究極の特攻兵器・回天に志願。
約束された死。
それでも尚、投げ続ける。
対照的な人物が出てきます。
北はマラソン選手。しかし戦争でオリンピックが中止になると彼は走ることを諦めます。
そして早々と軍隊に。
並木と北、対照的な二人は当然のようにぶつかります。
そして最大の衝突が。
並木の回天を巡り自分も連れて行けと北が詰め寄ります。
(記憶が頼りのため正確なセリフを覚えてませんが)
並木は北にこう言い放ちます。
「生きようとしないやつに譲れない」と。
基地に戻った二人。
投げ続ける並木。
あの北も
再び走り始めます。無駄と知りながらもあがき始めます。
「何故並木は特攻に行くのか」と聞かれた並木の答えは
「自分が生きた時代を伝えるためだ」
と言います。
自己流解釈は
自分が生きた時代の証明、回天という兵器を伝えるため
そして自分が生きたことの証明としてあれだけ魔球にこだわったのではないか。
遂に魔球完成。
しかし無情な時代、運命からは……
最後の並木のメッセージは思い出いっぱいの、投げ続けた白球に一言
「魔球完成」
(あと手紙や写真も残ります)
正直泣きかけました。でもその時は戦争の残酷さを描いたモノとしか見てなかった。
しかしそれだけではないと気付きました。
主題は別ではないか。
究極の運命、戦争。
その前では全てが意味を失う。
しかしあがき続けた男。
はっきり言って無駄な努力ですよ。
魔球が彼に栄光をもたらすことはない。
彼の運命を変えることはない。
究極的な自己満足です。
「夢を諦めなかった」なんて軽い言葉は合わない。夢というには重すぎる。自己満足以外の何ももたらさない無駄な行為ですから。
文字通りの無駄な悪あがきです。
これは戦争中のみに留まる話だろうか。
戦争とまでもいかなくても現代社会でも
無情、矛盾、過酷、葛藤、等はどこにでも存在しえる。
そんな時に
「(たとえ自己満足にすぎない無駄なことと知りつつも)悪あがきをしろ」
という強烈なメッセージではないか。
所詮はフィクションであり、人間はそんなに強くもない。
自分も含めて泣き寝入りをする人が大半です。
でももしかしたら悪あがきと知りつつもあがいている人がいるかもしれない。
そう考えると
「絶望するにはまだ早すぎる」
と言いたくなります。
ただし頭で考えることと実際の行動が必ずしもイコールとはならない。
これだけ語っておきながらやっぱり自分は北のような人間だと思います。
でも自分自身を知ることは悪くない。
これは自分の好み、思考、美学、人生経験を基にした個人的な(恐らく逸脱的)解釈です。
十人が読めば十通りの解釈が出てくる。
そこに失望するか面白いと楽しむかは人それぞれです。
ご自分の解釈を大切に。
とにかく悪あがきだろうが、もがき続けるしかないだろう