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今更ながら 2

こんな記事もありました



こんなことをかんがえてたんだなぁ





偶然を偶然と捉えるのか、

それとも偶然を偶然とせず、全て必然と考えるのか

ここで信仰への態度が分かれてしまうようで。

数々の偶然。

恐ろしいまでに計算されていやしないか。

鳥肌が立って僕は偶然と考えられなくなった。

お四国で、最も印象に残っている人との出会いは

姉の命日でした。

しかもその人とは2,3日前から何度か顔を合わせていながら

きちんと語り合う機会がなかった。

しかしその日になぜか深く語り合い、大きな影響を残していった。

この時は姉の命日を知らなかったので

深くは考えませんでしたが、

後ほど知ったときは立ち尽くしてしまいました。

そして今年が姉の33回忌

やっぱり相当の縁があるのでしょうか。


またお四国最後の日にあった人が

「ご利益とは何かが具体的に与えられるわけではない。

ただきっかけやご縁といったパズルのピースはあたえらるのだから

それを使い絵を完成させられるかどうかは自分しだいなんだよ」

という言葉はまさに絶妙なタイミングすぎました。

偶然だろうが必然だろうが

その出来事を生かすも殺すも流すも

全部自分しだいのようです。





忘れかけてました



原点回帰したい

今更ながら 1

過去というか別のところの記事引用



忙しい?

疲れてる?


いやいや面倒なだけです





あれはいつのことだったか。

僕が自分自身を知ってしまった日は。

できれば知らずにすめば、それなりによかった気もするのですが。


家族で食事をしている時に

不意に地震が起きました。

壁際には大きな食器棚があり

揺れて今にも倒れるのではないか

と思った瞬間。

僕は一目散に逃げようとしました。

ほかの家族は呆然とし

ただ一人弟は

食器棚を押さえ、家族を守ろうとしている

食器棚に一番近い位置にいたのは僕でした

この残酷な光景を目にしたとき

僕は自分自身を知ってしまいました。

別にそれゆえに傷ついたり、悩んだりする必要などなく

当たり前ではないか、誰しも自分がかわいいのだ

と言えたらいいのですが

自己陶酔の激しい僕はそんな自分を受け入れられなかった。

その日からは

僕の手は決して誰も守ることはできない

誰も助けることはできない

と自らを縛りつけるようになりました。

守らなくてもいいものが欲しいと思うようになりました。

そんな僕ゆえにまったく異なった道へと進むのかもしれません。

矯正できるものであれば矯正してしまいたい

そんな僕の等身大の僕自身







まだまだ青臭くて自己陶酔の匂いがプンプンします

ひとりごと

忙しくてほったらかし………



なんとなくのひとりごと





そこに愛はあるのか?


愛がみちあふれてる時分にちょっと問いかけ
誰もが幸せだったらいいのにね





君が望む未来
僕が生きる現実



ありし日の思い出


たぶんもう重なることがないふたつの人生


どうしてこうも未来と現実がかけ離れてしまったのか



感傷にふける今日この頃
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