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仕掛けられた「日常の謎」

こんにちは!

またしても話題は「氷菓」関連です。

先日、某大学で行われた「氷菓」原作者の小説家、米澤穂信先生の講演会に行って参りました!

アニメ氷菓のファンであると同時に、ミステリ小説のファン(初心者ですが)であることもあって、どうしても行きたい!の一心で、一人で他校の学園祭へ!笑

講演会のタイトルは、「日常の中のミステリ」。

米澤先生の作品に付いてはもちろんのこと、ミステリの歴史や具体的な小説を書かれる上でのテクニック等、ミステリ初心者にも熱心なファンにもサービス満点な内容だと思いました。

内容はとても濃くてむしろ時間が足りなかったくらいで、 あっという間でした。
実際にその場でスタッフから問題が出され、米澤さんも含めてみんなで推理するコーナーも!

今回私は純粋にファンとして楽しむためだけに行ったのですが、米澤先生のアイデアのもとが実話であったり、生活の中での着眼点などがさすが推理作家なのだなあと思うあたり、スランプ中の私にとって、とても勉強になりました。

質疑応答のコーナーで、「奉太郎とえるはつきあいますか!!」「次の刊行はいつですか!」など、ファンの熱狂的な質問が飛び交ったのも面白かったです。^^

米澤先生本人は、物腰も言葉遣いもとても丁寧でした。言葉をよく選んで話している感じがしたし、この講演会の内容もものすごくねられてきたのではないかと思いました。
「氷菓がでたころに生まれた子が氷菓を読む年齢になりました」という言葉に、感慨深いとおっしゃられた先生の本当に嬉しそうな顔が、印象的でした。

ひとりでしたけど、 とても幸せな時間でした。米澤先生と、作品と、ミステリが大好きな人たちがあつまっていたということが、肌でわかるような、とても盛り上がった講演会でしたね。

「米澤先生の書くお話には苦い結末のものが多いですよね?」という質問に、
「でも絶望的ではないのです。良いことばかりではない、でもなにもかもダメじゃない、と言いたいのですよ。」
「謎が解かれた瞬間に、登場人物の屈託に光が見えるようにしたい」(細かい表現はうろ覚えです)
このような言葉を聞いて、改めてこの人のことがすごく好きだなあと感じました。

行ってよかったー!!

これからも米澤さんの作品が楽しみです。

良い声!!

こんにちは!

少し前の記事で、「氷菓」にドはまりしているとお伝えしましたが…アニメ最終回が終わった今もその熱は冷めず!笑
今は氷菓きっかけでいわゆる「中の人」にもドはまりしています。

たとえば里志の声は銀魂の新八くんを演じる阪口大助さん。
この特徴的な声は新八だ!ですが、たしかにそうなんだけど、いや、この声はやっぱり「里志」!

こういうとき、声優さんや役者さんのすごさを感じます。
年齢や性格の違いを細かいニュアンスに気を配って演じられるのってほんとにすごい!!
奉太郎役の中村悠一さんもえる役の佐藤聡美さんもしかり。

声優さんには全然詳しくなかったのですけど、はまったらトコトン調べる症の私は、その声優さんがでてる他の作品リストを見てびっくり。あれも!?これも!?中高生のとき見ていたあのアニメも!?あのドキュメンタリーのナレーションも!?みたいな。

どこの世界も、「一流」「プロ」の人の仕事というのは見ていて飽きないものです。

氷菓には、一言しかしゃべらない学生役や、地域の人役に、それはそれはごうかなキャストさんが参加されているわけですよ!制作側のこだわりを感じますね。

声って、素材というか、磨くのもそうかもしれませんけど、こればっかりは基盤は生まれ持ったものだと思うんですよね。それを演技で活かすか殺すかってところでしょうけど。声優さんに限らず役者のみなさんというのは、演じることでたくさんのひとの人生を味わえるわけですよね。それってすごい!うらやましいです。


生まれ変わったら、良い声の人に生まれたいなあ(笑)

できれば男性がいい!いい声でミスチルを歌いたい(笑)









記憶の片隅に

忘れないうちに、書き留めておこうと思います。

私はここ数年で、「恩師」にたくさん出会いました。
数年面倒を見てくださってる先生から、ありがたい言葉をくださった先生まで。

やはり人生の先輩には、まなぶことが多いようです。
その全ての言葉に込められた意味が、経験の少なく未熟な私には全て理解できていないのだろうということは自覚できていて、それがすごくもどかしいのですが、きっといつか実感をともなって、その時にはまた先生方と話したいと思うのです。

そう思えた今日の会話。先生が声をかけてくださりました。

「そういえば、こないだの試験、どうだった?」

「結果待ちです。でも、今回のは今までのと違って現場の方と話すもので、それがすごく楽しかったし、改めて、専門的な会社での仕事に憧れが強くなりました。」

「そうだね、その会社どれくらいの規模なの?うん、事務所も会社もそれぞれいいところあるけど、そういう組織立ったとこ(保険の制度やある程度の組織のシステムがあるとこ)で、きちんと働くってのは、いいと思うよ。
事務所の人間が言うのもなんだけど、今の時代、いつまでもデザイン業がさ、朝から晩までみっちりカツカツやってるってイメージは、生産的じゃないよ。そりゃ仕事柄どうしても時間かかるけどさ、残業とかそういうの、きちんとしてないとこが多いんだよ。」

(この、生産的、の部分は少々うろ覚えです。仕事未経験者の私になかなか実感というか理解が難しい話でありました。なので私的解釈が少し入ってます。)

「そうなんですか。そういうところ(会社)に、願いが通じれば、と思うのですが…どうですかね…」

「大丈夫、お前は大丈夫。まじめだから。まあ、それだけに、もっと遊んでもいいと思うけどね。」

「ああ、私、なにかと課題が出ては、デザインの本や展示はたくさん見て来たんですけど、アイデアってそういうとこだけからわくものではないというか。大学4年間たくさん時間あったのに、もっと海外旅行に行ったり、映画をたくさん見たり、すれば良かったなと思うんです。アイデアって、日常いかにいろんなものを観察できてるかってことあるじゃないですか。(感性を磨くという)そういう意味では、遊ぶのがへたくそなんです。」 

「ああ、それは違うよ。遊びってのはまた違う次元の話でさ。本読むのだって、例えばADC年鑑最初から全部読み込んでて、デザインのエレメントを相当数見て覚えてたら、それは絶対あとから生きてくるよ。やみくもにいろんなとこに手を伸ばさなくてもさ。海外じゃなくたってさ、毎日町歩いてても、ひたすら花の形描くとかさ。例えばだよ?そういうこと、花が好きだったらできるわけじゃん?なにかひとつ徹底して身につけておくってのは大切だと思うけどね。そりゃ、違う空気を吸うことはいいことだけど、何日か海外旅行にいったところで、きれいだった、あれがおいしかったで終わるんだよ。目的を持ってなきゃ。遊んでりゃいいってわけじゃないんだ。
だから、お前の4年間は無駄じゃない。お前にはお前の、やり方があるんだから。」 

「わかりました、ありがとうございます。がんばります」

そのように話して、先生は「おう、がんばれよ、ダイジョブ!」とガッツポーズをして去っていきました。


なにが嬉しかったって、週に1度の授業内でいつか何気なく話した試験の話を 覚えていて気にかけてくださったことです。作品プレゼンとその授業中しか話していないのに、遊びがへたくそな私を見抜いてるとかさ…すごいわ。作品からなんか分かるのかな。

はやく先生にいい知らせを言いたい、と素直に思いました。

答えは現場にあり。悩みは動いてこそ、その場にいってこそ、見つかるものなのかな。
そこで感じたものを、頭で整理して言葉にするのが、健康的で合理的な解決法だな。


はやく自分が作ったもので誰かを喜ばせたい。それだけです。

あのひとの、「本当」

先日ふと、スガシカオさんについて、彼はなぜ、事務所から独立したのだろうと急に気になりました。

ずいぶん前になりますが、ニュースで見たときは、なんでまた、と思いました。そんなことして大丈夫なのか。初心忘れるべからず?ってこと?よく山にこもって作曲するらしいけど、それに似た、ひとりになりたい的なこと?

そういう感想だけにとどまっていたけれど、急に気になった理由というのが、先日雑誌で見たインタビューでした。

立ち読みだったので曖昧ですが、たしか、「こちらが命をかけて伝えようとしている、ということを本当の意味で伝えるには、ここまで自分でしてみせなければならないと思った」みたいな意味合いだったはずです。

それから、公式ホームページの本人の言葉と、事務所の代表の方の言葉を読むと、どうやら音楽業界の行く末への不安と衝動から、みたいな意味もあったようですね。

何に驚いたって、その代表の方の言葉です。
経営やスガさんが組織にとってどうか、ではなく、音楽業界にとって、彼にとって、彼が持つ可能性について、お話しているというところでした。

貴重な存在なのではないでしょうか。

そして、まだ社会の荒波にもまれていない私には計り知れないであろうスガさんの苦しみも、わからないなりに、ジンワリわかってきています。

スガさんのprogressをはじめて聴いたときに似た、あの感じ…

彼は自分を追い詰めて、考え詰めて、それで自分を形成している。
自分を維持している。

それは向上心の象徴。同じ場所にとどまらず、限界を決めず、今の状況を常に疑う。

私は最近まで、正確に言えば今もまだ少し、組織に入れないと生きていけないかのような脅迫にも似た感情を抱いている。自分が浅はかだなあと思うわけです。

正しい答えはないんですけどね。
でも、自分は考えすぎるわりに、考えが甘い、考える方向が、考える対象が。

アーティストと名乗れるのは、いつの日か。

スガさんのこともっと好きになりました。時間はかかるかもしれない。彼が出した答えが作り上げる音楽が、どうなっていくのか。

リスナーとして、楽しみ。

しかし、今考えると、私ってほんと、「人の気も知らないで」…

夢と、雨と

今日見た夢の話です。印象的だったので文章にして残しておくことにします。

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ひどい雨の日、中学生の私は、田舎の最後のバスを乗り過す。

 

そこに通りかかった、駅に近い裏手の道の小さな寿司屋のおじさんが、店で雨宿りをしていけとすすめてくれる。

 

住宅の一部が店舗になっている。おじさんは背が低く、ちいさい。50歳くらいかな。

店舗と合わせるとたてものはそこそこ大きい。けっこう年季が入っていて、古い。昔ながらの振り子時計の音がする。

 

温かいお茶を出すため中の部屋に通された。

フランス人形がたくさんあって、「いいだろ、大事にしてるんだ」と言った。

雨の日だったし、薄暗い中でのフランス人形は正直怖かった。そんなにきれいにとってあるという印象でもなかったし、おじさんがフランス人形を好きな意味もよくわからなかった。古い日本家屋にフランス人形という組合わせで、失礼ながら気味が悪い、という印象だった。

 

その後、数週間。具体的にはわからないけど夢の中では1ヶ月くらい経っている印象だった。

私はまた店の前を通りかかる。

 

今日は雨はひどくないが、小雨で湿度が高く、空気が重たい。

おじさんは誰も来ない店のなかで、なにか下ごしらえでもしているようだった。

 

じっと下をうつむいて、背中がまるまっている。気のせいか背が縮んでいる。劇的に背が縮むにはやや早い気もするが。表情は店の曇りガラスのせいでみえにくいが、下を向いたその目はなにかを思い詰めるような、でも何も考えていないような。

一瞬だったけれど、おじさんの目尻になにがにじんでいたように思えた。

 

それを見たとたんに曇りガラスに雨が叩き付けられて、視界が流れる雨でいっぱいになった。そのときはじめておじさんは家族を失くしているとわかった。亡くなっているのかいなくなっているのかはわからなかったが、多分もう戻らないのだろう。

 

あのフランス人形は、きっと家族のものなのだろう。家が大きいのは、おじさんがどんどん丸まってちいさくなっているからだろう。からっぽの家と一緒に、おじさんは歳をとっていく。

 

あのときどんなきもちで、人形を私に見せたのか。

 

胸が苦しくなって、目が覚める。そこで夢はおしまい。

 

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今文章にしてわかったのですが、夢の間中天気が悪かったのも伏線というかおじさんの心情だったのだなと。文才も無いのでどんでんがえしもおもしろみもないですが、私の見る夢にしては珍しく、突然意味の分からない展開になったり登場人物が増えたりするようなことがなくて、なんだか不思議でした。

 

なにか意味でもあるのでしょうかね。

でも本人ではないですが、出てきたおじさんはどこか亡くなった祖父に似ていました。

残されているのは祖母なので立場は当てはまりませんが、もしかして「向こう」での祖父の気持ちだったりして。とか。

でも私は祖父の人生観をよく知らないし、孤独でもなかったはずだしなあ。

 

「よく知らない」という事実に対する、罪悪感から来る、強引な想像なのかもしれませんね。

 

でも唯一よかったのは、おじさんが家族を大切におもっているというとこですね。

 

 

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