忘れないうちに、書き留めておこうと思います。

私はここ数年で、「恩師」にたくさん出会いました。
数年面倒を見てくださってる先生から、ありがたい言葉をくださった先生まで。

やはり人生の先輩には、まなぶことが多いようです。
その全ての言葉に込められた意味が、経験の少なく未熟な私には全て理解できていないのだろうということは自覚できていて、それがすごくもどかしいのですが、きっといつか実感をともなって、その時にはまた先生方と話したいと思うのです。

そう思えた今日の会話。先生が声をかけてくださりました。

「そういえば、こないだの試験、どうだった?」

「結果待ちです。でも、今回のは今までのと違って現場の方と話すもので、それがすごく楽しかったし、改めて、専門的な会社での仕事に憧れが強くなりました。」

「そうだね、その会社どれくらいの規模なの?うん、事務所も会社もそれぞれいいところあるけど、そういう組織立ったとこ(保険の制度やある程度の組織のシステムがあるとこ)で、きちんと働くってのは、いいと思うよ。
事務所の人間が言うのもなんだけど、今の時代、いつまでもデザイン業がさ、朝から晩までみっちりカツカツやってるってイメージは、生産的じゃないよ。そりゃ仕事柄どうしても時間かかるけどさ、残業とかそういうの、きちんとしてないとこが多いんだよ。」

(この、生産的、の部分は少々うろ覚えです。仕事未経験者の私になかなか実感というか理解が難しい話でありました。なので私的解釈が少し入ってます。)

「そうなんですか。そういうところ(会社)に、願いが通じれば、と思うのですが…どうですかね…」

「大丈夫、お前は大丈夫。まじめだから。まあ、それだけに、もっと遊んでもいいと思うけどね。」

「ああ、私、なにかと課題が出ては、デザインの本や展示はたくさん見て来たんですけど、アイデアってそういうとこだけからわくものではないというか。大学4年間たくさん時間あったのに、もっと海外旅行に行ったり、映画をたくさん見たり、すれば良かったなと思うんです。アイデアって、日常いかにいろんなものを観察できてるかってことあるじゃないですか。(感性を磨くという)そういう意味では、遊ぶのがへたくそなんです。」 

「ああ、それは違うよ。遊びってのはまた違う次元の話でさ。本読むのだって、例えばADC年鑑最初から全部読み込んでて、デザインのエレメントを相当数見て覚えてたら、それは絶対あとから生きてくるよ。やみくもにいろんなとこに手を伸ばさなくてもさ。海外じゃなくたってさ、毎日町歩いてても、ひたすら花の形描くとかさ。例えばだよ?そういうこと、花が好きだったらできるわけじゃん?なにかひとつ徹底して身につけておくってのは大切だと思うけどね。そりゃ、違う空気を吸うことはいいことだけど、何日か海外旅行にいったところで、きれいだった、あれがおいしかったで終わるんだよ。目的を持ってなきゃ。遊んでりゃいいってわけじゃないんだ。
だから、お前の4年間は無駄じゃない。お前にはお前の、やり方があるんだから。」 

「わかりました、ありがとうございます。がんばります」

そのように話して、先生は「おう、がんばれよ、ダイジョブ!」とガッツポーズをして去っていきました。


なにが嬉しかったって、週に1度の授業内でいつか何気なく話した試験の話を 覚えていて気にかけてくださったことです。作品プレゼンとその授業中しか話していないのに、遊びがへたくそな私を見抜いてるとかさ…すごいわ。作品からなんか分かるのかな。

はやく先生にいい知らせを言いたい、と素直に思いました。

答えは現場にあり。悩みは動いてこそ、その場にいってこそ、見つかるものなのかな。
そこで感じたものを、頭で整理して言葉にするのが、健康的で合理的な解決法だな。


はやく自分が作ったもので誰かを喜ばせたい。それだけです。