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ズルい大人*2

僕はなるべく平静を装って、彼女に悟られぬよう切り出す。
「若王子です、来週の日曜は空いてますか?」

用件のみ言って電話を切ったあと、ため息を吐いて壁にもたれかかる。
「僕はいつまで良い顔しなきゃいけないんだろう…」
それは詰まる所、最終的に2人が両想いの場合とはたまた彼女が彼に振られるか、または告白する前に諦めるかのどれかだ。
彼との恋を応援するなんて口実で彼女をデートに誘い、帰りに相談を受けるのがここ最近のやりとりだ。
恋をしている彼女の表情はまるで咲き始めの薄紅色の小さな花を連想させる。
それは決して誰にも摘まれてはいけない。分かってる。そんなことしたら一瞬にして散ってしまうことくらい。
「…考え過ぎだ」
答えの出ないことばかり考えて悶々とするのにも疲れてしまった。
余計なことをあれこれ振り払う様に頭を2、3横に振って、部屋の電気を消した。
この感情を恋と呼ぶのなら、人間とは本当に業が深い生き物だ。まどろむ思考ではそんな後ろ向きな答えしか浮かばなかった。

約束の日の当日、予定よりも早く待ち合わせ場所にいる僕を少し遠くで見つけた彼女は慌てて駆け出した。
咄嗟に僕も彼女の元へ駆け寄る。
「落ち着いて、転んじゃいますから」
「す、すいませんお待たせして…はぁ」
肩で息をする彼女の背中をさすりながら、僕の胸は騒ついていた。
(いっそこのまま抱きしめしまいたい)
こんな心の声を彼女に聞かれたら幻滅されるだろう。邪な感情がよぎったが、彼女の声で現実に引き戻された。
「若王子先生?」
「あ…ごめんなさい、それじゃあ行きましょうか」
「あの、どこか具合でも悪いんですか?目の下クマ出来てますよ?」
「やや…これはですね、昨夜猫たちが急にお友達を連れてきたせいでなかなか寝かせてもらえなかったんです。トホホ」
それは大変でしたねと笑った彼女の横顔を見て上手く誤魔化せたことに安堵した。
本当は君のことを考えていたんだ。
僕は心の中でその無邪気な横顔に訴えた。こうして君といられるのもあとどれくらいかな。

「潮風が気持ち良いですねー」
「うん、波も穏やかだ」
「先生…あの、ちょっと相談が」
ああ…今日も聞かれるのか。条件反射で僕は少し憂鬱になる。その理由としてはこうだ。
先生、女の人にドキッとする瞬間はなんですか?
キスってどう思いますか?
上手く気持ちを伝えるにはどうしたら良いですか?
と、いつもこんな調子だ。
聞く相手を間違ってるよなんて言えないし、何より自分から友達の立場として話を聞いてあげるだなんて教育者らしいことを言ってしまったお陰でこうなっているのだ。
でも今日は違う。今日質問するのは僕だ。
「ねぇ小波さん」
「はい?」
「僕たちはこのままでいいのかな?」
「このままって…」
彼女は虚を突かれ目を丸くする。その表情に僕は少しだけヤケになる。
「もしも……」
目を閉じて逡巡した後、一息で言う。
「もしも僕が本当は君が思う様な先生じゃなくてもっとズルい大人だったとしたら?」
「…えっ?」
僕はジッと彼女の答えを待つ。
「えっと…先生がズルい大人だなんてそんなこと…あり得ません」
その言葉でついにカッとなった。
これじゃいつまで経っても僕は土俵にさえ上がれない。
「今君が言ったのは模範解答だ。でも正解じゃない。この意味が分かる?」
「えっ…先生あの…」
堪らず、僕は強引に彼女の頭を自分の胸へと引き寄せた。
そしてそのまま腕を彼女の細い腰に回し、抱きしめた。
夕陽が沈みかけて、空はゆっくりとオレンジから藍色に染まり始める。
僕たちが恋人同士だったらなんてロマンチックな光景だろう。でもそうじゃない。彼女の肩が震えているのに気付いて、僕はそっと身体を離した。
「恐がらせちゃったかな…ごめんね」
「いえ……」
彼女は俯いたまま顔を上げない。もしかしたら泣かせてしまったかもしれないと、屈んで彼女の顔を覗き込んだ。
その表情に今度は僕が虚を突かれる番だった。
「みっ…!見ないで…ください……」
そのまま勢いよく、くるっと背中を向けられた。
今が薄暗くて良かった。
彼女につられて、僕まで赤面してしまったから。僕は彼女から目を逸らし顔半分を手で覆い隠す様にして言った。
「じゃあ、帰りましょうか…」
「は、はい……」
来た時よりも僕たちの歩く距離は離れたけど、きっとこれが正解なのだ。
時折僕は足を止めて振り返り、彼女が近付いて来るのを待つけど、そうすると彼女はその場で立ち止まりそっぽを向いてしまう。
でもそれが嫌われた仕草ではないと分かる。
なぜなら街灯に照らされた彼女の耳がまだ真っ赤なのがその証拠だと思うから。

「もう着いちゃいました」
「送っていただいてありがとうございます…」
まだこっちを見ない彼女に僕はちょっとだけ意地悪をする。
「…そんなに嫌だった?先生悲しいです」
「えっ!?ちっ違くて!!」
彼女は大きな身振り手振りでブンブンと何度も手を振った。
これ以上何か言わせるのは流石に可哀想かなと思い、それじゃあまた学校で、と言いかけたところで、彼女が何か言った。
「ん?今何て…」
「…っ先生の…!」
控えめな声で、語気を強めて彼女は言った。でもその時僕が彼女に顔を近付けたのは間違いだった。
「…さっき先生の鼓動が速くて…それがうつっちゃったんです…!」
耳元で囁かれた。
言うと彼女は身を翻して、
「おやすみなさい!」
と言って家の中に入っていった。
僕は囁かれた方の耳に手を当てて、
「ボルケーノです…」
としか言えなかった。

それから帰路を辿って家に着いても暫く身体の熱が引かないし、汗もよく出る。…もしかしたら風邪を引いたかもしれない。
でも、今夜はよく眠れそうだ。

ズルい大人*1(ときメモgs2・若王子貴文・親友状態・二次創作)

…最近やけに胸が痛む。ザラリとした気分の悪い痛みだ。
彼女が同じクラスの男子と休みの日に2人でいるところに遭遇してしまってからずっとだ。
その後彼女の口から「友達でいてほしい」と告げられたものだから、僕は物分かりの良い大人にならざるを得なかった。
「…君は愚かだ」
彼女は今恋をしている。
僕は恋を知らない。よって彼女に対するこの感情が恋と呼べるのかさえ甚だ疑問だ。
ましてや、愛なんて尚更知らない。
それを許される環境にいなかったせいだ。

両親から受けた無償の愛も忘れさせる程の、無機質で空虚な少年時代。
闇雲に難解な数式を解読しては、知らない黒服の男たちから何が欲しいかなどと聞かれたが、その当時の僕はおもちゃもお金も必要としなかった。
欲しいものを言い換えるなら、ただ誰かに必要とされたかった。
だから僕は必死に数多の計算式を解いた。
数式を解いている間だけは、自分は誰かに欲してもらっているのだと思えたから。
けど実際は違った。
時々偉そうな大人から褒められはしたがその実誰も僕を必要となんてしていなかった。
子どもながらに思い知った。大人たちが欲しいのは僕の脳みそだけなのだと。

それ以来他人に心を開いたことは一度もない。
もう誰も信じるものか。無償の愛などどこにもない。そんなもの僕は知らない。あったって信じられない。
いつの間にか心の中は猜疑心と不安で支配されるようになっていった。
今思えば僕はなんと寂しい人間であろうか。こんな人生早く終わればいい。
半ば自暴自棄になっていた時、彼女に出会った。
僕は高校の教員になり、彼女のクラスの担任を請け負うことになった。
はじめは勉強熱心な子だな、真面目なんだろうな、くらいの興味で、それがまさかこんなに惹かれてしまうことになるだなんて僕自身想像も出来なかった。
一体いつだろう?
何がきっかけとなったのだろう?
ああ、化学室でキスした時かな…。
慌てて離れた彼女の顔が真っ赤で可愛らしかったのを覚えている。
あとは陸上部に入部してきた頃、頑張りすぎて疲れ果てた彼女を見かねて2人で昼寝したこともあった。
振り返ればいつでも彼女はひたむきで無垢だ。
僕が忘れてしまったもの全てを持っている。
誰よりも何よりもそれが眩しい。
だから僕は彼女に惹かれたんだ。他人を愛して、愛されることに何の疑いもない。そもそも疑うことさえ知らなそうだ。
そう思うと自然と口元に笑みが溢れた。
彼女を一層愛おしく思う。
それから僕は居ても立っても居られなくなり、携帯電話をポケットから取り出し彼女に電話をかけた。

ガンダム ジオリジンII(個人的妄想話です)

なぜ俺たちはこんなにも姿形が似ているのだろう。
互いの親にも関係は無さそうだし、神のイタズラとしか思えなかった。
考えたところで答えが出るわけでもない。
キャスバルは湖のほとりで馬を休ませるシャア・アズナブルの横顔を眺めながらそんな思考に耽った。
2人はまだ若く、そしてどこか幼い。
特にキャスバルは1度頭に血がのぼると手がつけられなかった。
誰かが強く止めに入るまでは殴る手を止めない。
それが彼の若さだ。
お互い顔は同じでも、シャアは対照的だった。
明るく朗らか、人にも動物にも優しく、他人に暴力を振るった経験もない。
ただ知識が乏しかった。
ルウムでの生活が長いせいか、世界の在り方や理不尽さを知らなすぎる。
それが彼の幼さとも言えた。

「キャスバルは学校を出たあとどうするんだい?」
それはシャアが士官学校に合格した祝いの席での一言だった。
本来キャスバルに選択肢などありはしない。自分で切り開き行動するまでは。
キャスバルの義父や妹のアルテイシアは兄が何と言うのか、強張った表情で伺っている。
「俺は俺のしたいようにするさ。他人に決められた人生を歩んでいくなんてもうまっぴらだからね。」
きっぱりと言い放つキャスバルに義父は身を乗り出して、
「キャスバル!口を慎まないか!」
と咄嗟に叫んだ。
辺りが静まり返ってしまい、義父は一つせきばらいをして場を和ませた。
「すまない、息子には後で話をしておく。さ、食事を続けよう。」
アルテイシアは食事にろくに手をつけていない。それからずっとテーブルを神妙な面持ちで見つめていた。

心のどこかでは気がついていた。
けれども気付かない振りをしていた。
きっとお母さまが死んだあの日から、いや、お母さまと離れ離れになったあの日から少しずつ兄は変わってしまったのだ。
アルテイシアには理解が出来なかった。
どうして皆、争い事へ向かって行くのだろうか。
憎しみは何も生まない、失うばかりだと言うことがどうしてわからないのだろうと。
「あなたは優しい子」
記憶の中のお母さまはいつも私にそう微笑む。
遠い記憶の父、ダイクンもまたそう言ってくれた。
私はそれを自分で誇りに思い生きてきた。母と父に恥じない自分であろうと。
兄の優秀さ、知性の高さには憧れていたがそこに凶暴な一面も垣間見えた時、私が兄を止めなければと言う正義感も芽生えた。
どうして皆、私の元から離れて行ってしまうのだろう。
引き止めても無駄なのだろうか。
私の出来る限りのことをしても、兄は変わっていってしまった。
「ルシファ…私はどうすれば良いの?」
飼い猫のルシファがいつも寝ていた場所を撫でて1人呟く。
寂しさと悲しさで涙が浮かんだ。
空には数えて50回目の満月が煌々と部屋を照らしていた。

翌朝、部屋に行くとキャスバルの姿は無かった。
アルテイシアは咄嗟に窓の外を見ると、母とルシファのお墓の前で大きなカバンを手にした兄の姿があった。
「お兄さん…?!」
パジャマにトレンチコートを羽織っただけの姿で屋敷を飛び出し、歩き出した兄の背中を追った。
「お兄さん…!」
やっとの思いで兄を呼び止めると、顔だけ振り向くキャスバルはどこか憐れむような、だけど鬱陶しいというような瞳を妹に向けた。
「…どこに行くの?!」
「シャアのところに挨拶に行く。」
「嘘よ!ならどうしてそんなに大きな荷物を持っているの?!」
「…嘘じゃない。シャアには話すことがあって会いに行く。悪いが、俺には俺の道があるんだ、アルテイシア。」
そう言ったきり、兄は早足で去って行こうとする。
「イヤ!行かないで兄さん…!!」
アルテイシアの制止も聞かず、ますます遠ざかる兄の背中。
「どうしてみんな私から離れていってしまうの?!…ねえ!兄さん…!!」

その答えは誰にも答えられやしない。
アルテイシア、お前は大切な妹だ。
今やたった1人になってしまった僕の家族。
アルテイシアには優しいままでいて欲しい。
俺のように汚れてはいけない。
汚れていいのは俺1人で充分だ。
これから俺は軍人になる。
シャアともいずれ同じ場所で出会うだろう。
身内の仇打ちなんて、お前はする必要ない。父ダイクンを暗殺し、母を幽閉し孤独死させた彼奴らに俺は一矢報いてやらねば気が済まない。
とうに俺の人生なんてイバラ道だ。
「…すまない、アルテイシア」

前を向いて歩くキャスバルの頬には人知れず涙が伝っていた。
けれど当人は気付かない、もう持ち合わせる必要もない感情が風に吹かれて消えていった。

monstar(創作)

人間の誰しもが自分の体内にモンスターを潜ませている。
そいつの姿はファンタジックなものでもなく、あるいは鬼の形相のいかにも恐ろしいものでもなく、きっと産まれてから今まで毎日見てきたモノ。
そう、そいつは自分とそっくりな顔をしているのだと僕は知った。

僕の中にもう1人の知らない僕がいる。
その存在に気が付いたのは思春期を過ぎて、少し大人に近付いた頃だった。
例えばある日、彼女が僕の部屋に来て違う男の話をし始めた時。
どこかいつもと違うその表情に胸がザワつき始めた。
彼女は僕のしかめた顔を見て「嫉妬?」と茶化す。普段の僕ならもっとクールにかわせただろう。
だけど、話が別だった。
どんどん胸の奥がチリチリと焦げた音を出す。
…やめろ。堪えろ。
必死に押さえ込もうとするが、彼女の話が止まらない。
…バカ、それを言ったらもう俺たちはお終いだ。今日でサヨナラだ。
「ねぇ、聞いてる?」
それが引き金だった。
まるで本当に撃鉄を下ろした時のガチャリと言う音が響いたようだった。
「聞くわけねーだろ、そんな話」
…違う、僕はそんな乱暴な口調で話さない。(いつも優しく穏やかにをモットーにしてるんだから。)
「え?」
「で、結局なんなんだよ、そいつとは。まさか俺をキープにしてそいつと付き合ってんじゃねぇだろうな」
…ホラ、彼女カツアゲされてるみたいな顔してる。違うって、やめろ。
「ち…違うよ…あたしはただ…ちょっと試したかったっていうか…」
今にも泣き出しそうな彼女。今までそんな顔はさせたことなかった。
優しく彼女の言うことにはいつも笑顔で受け答えしてきた僕だが、何という女々しさだろう。これは嫉妬だ。
今粗暴な言葉を吐いているのは僕自身も知らなかった僕。
だけど余りに普段と言葉遣いが違くて、彼女の怯え方もひとしおだ。
「俺を試す?はっ、バカにすんな…」
…代われ、もういい。
泣きながら彼女はこう言った。
「だって森本くん…いつも優しいばっかりだし、他の子にも優しいし…ほんとにあたしのこと好きなのかちょっと気にかかって…」
僕は震える彼女をそっと抱き寄せた。
触れるとビクッと肩を強張らせたが、僕が口調を戻すとみるみる内に力が抜けて、遂にはしゃがみ込んでしまった。
安心したのか大声をあげて泣きじゃくる彼女。
僕は落ち着くまで彼女の頭を撫で続ける。
抱きしめながら、僕は内面の僕と話を続けた。
…ちょっと暴れすぎだよお前。
ーんだよ、スッキリしただろ。
…まあね。
ーどのみちいずれこうなったさ。
…そうかなぁ。
ーそうだよ、お前いい顔し過ぎ。なんでも言い合える仲になった方が楽に決まってる。
…へぇ。
ーんだよ…。
…お前たまには良いこと言うじゃん。
ーは?
でも僕たち付き合ってまだ日が浅いから、その意見を今後の目標にでもするよ。
ーおい茶化してんのか?
…素直に受け取れよ。
「あの…ごめんね」
彼女は目を真っ赤にしたまま謝った。
「僕こそ恐がらせてごめん。もう2度と泣かせないと約束するよ」
「ううん、いいの」
やんわりと笑う彼女に僕は少し驚いた。
「やっぱり本音で言ってくれた方が安心するから」
「ほんと?」
「ウン…あとね、あたし実はさっきみたいな森本くんにもちょっとドキッとしちゃったかな…」
ーおい、なんだこの女面白いな。
面白いじゃない。お前のせいで彼女変な方向に目覚めちゃったじゃないか。
「…そう?」
僕は少し引き気味に笑った。
けどそこまで悪い気もしなかった。
どちらの感情も僕自身なのだけど、きっと粗野で口の悪いもう1人の方が本心なのだから。
だからそんな本音の方を好きになってくれた彼女に僕は驚かされている。
「彼女が君で良かった。」
「え?」
素直に顔を赤らめる君にそっと近付く。
ーお、珍しいじゃねーか。お前からしたこと無いだろ?
「…ウルサイ」
ボソッと内面の自分を制止する。
「森本く…」
彼女は驚きながらも逃げたりはしなかったし、寧ろ僕の背中に手を回してしがみつくようにしていた。

帰り際に僕は「嫉妬しちゃったんだ。ごめんね。」と再度謝ると、彼女は「嬉しい」と笑った。
それから僕は度々彼女とケンカをするときには、あんなに粗暴な言葉遣いはしないように、でも本心を全て言うようにしている。
これは僕が本当に目指してた彼氏と彼女の関係なのかもしれないと思った。

眠れない夜、君のせいだよ(gs2若王子×主)

「…まいったな」
午前0時を回ってもひとつも眠くならない。大抵こんな夜は何かしらの気掛かりが訪れている証拠だ。いい歳した大人が、年端もいかない女の子のことを考えて眠れないだなんて。
「…これは僕がまだ若いってことなのかなぁ…」
そんな呟きは誰も居ないアパートの六畳間に小さく響いた。
原因は知ってる。
と言うより、体験してる。
今日の学校で、休み時間中の化学室に彼女と僕は二人きりだった。授業で使った実験道具を片付けていた時のこと。彼女が椅子に登って作業していたのがそもそもの発端で、それからバランスを崩し転倒しかけた彼女に僕は咄嗟に飛び出した。殆ど反射だったからか。タイミングが良すぎた。お互い怪我をしなかった代わりに、唇が触れ合ってしまったのだ。
そう、それだけ。
それだけなのに。
「…まいった…」
まさかこの歳になって、たかがあんな事故の産物がこんなにも印象深く残るとは。これはせいぜい、明日彼女に眠れない夜を過ごしたことを悟られないよう頑張るしかない。そこが僕の収まりどころだなと思い詰めて、次に、今頃彼女はどんな夜を過ごしているのだろうと気になった。年頃の女の子だ。いくら事故とは言え教師とキスしただなんてちょっとしたニュースだ。そう言えば彼女はあのキスの後、どんな顔していたっけ。確か一瞬呆然として、それから…
「赤くなってた、な…」
それを思い出して、今度は僕が赤くなる番だった。なんでいつまでもいつまでも彼女のことを考えているのか。眠れないほど。でもこの気持ちの名前を口にしてしまえば、きっと後戻りなど出来ない。教師でいることがこんなに悔しい。そんな僕はまるでただの高校生の男子だ。ああ本当に、そうだったら良かったかもしれない。気持ちに収まりがついて僕はようやく微睡んだ。明日会っても何も無かったかのように。何も無かったかのように。爆発してしまわないように。繰り返しながら眠りに落ちた。

翌日も彼女のクラスで授業があったが、僕は意識的に彼女を見ないよう勤めた。だが、授業が終わると彼女はそのまま化学室に残った。実験道具は片付いているし、いくつか授業の質問も答え終えた。なのにまだ残ると言うことは、やはり昨日のキスを根に持っているのだろうか。 敢えてひと言も触れずにいた僕の気持ちを無視して、彼女は振り絞る様なか細い声でこう言った。
「先生…キ…キスして…」
「え?」
驚きの余りそれしか声を発せられなかった。これは予想外。よく見ると彼女の目の下にはクマが出来ていた。
「お願い…します…」
もしかすると昨日の事故で彼女は勘違いをしたのかもしれない。吊り橋効果と同じ原理で。じゃあ僕はどうだろう?昨夜眠れないほど考えて、それでもこの感情を吊り橋効果だった、で片付けられるだろうか?
「自惚れて言う訳じゃないけど、それはつまり、確認したいってこと?」
「…え?」
「この気持ちが、本当に恋なのかどうか」
僕は自分にも言い聞かせるようにして言った。何せ後戻りは出来ないのだから。
「ごめん、なさい…迷惑、ですよね…。あの…私昨夜なんて眠れなくて、先生の顔ばっかり浮かんできちゃって…でも、あんな状況での…あんなことでほんとに、って…勘違いかなって…でも収まらなくて…だから、あともう一回だけ試したら…気持ちの整理がつくと思ったんです…」
たどたどしく、でもハッキリと彼女は吐露した。けれどその言葉に僕はひどく共感していた。
「…来て」
彼女の細い手首を引いて、少し埃っぽいカーテンの中に2人の身体を隠すようにして、僕は声を潜めて告げた。
「後悔しない?」
彼女の顔はみるみる紅潮し、小さく頷き、静かに目線を逸らした。僕がその紅く小さな唇をそっと指でなぞると、彼女は少し震えた。その仕草に、どうしようもなく耐えがたい乱暴な衝動が僕を突き動かした。
僕は彼女を抱きすくめ、昨日のキスよりも熱っぽいキスをした。
もう後戻りなんてする必要はない。僕が彼女を迎えに行けば良いだけのことだ。彼女は僕の背中に手を回し、小さな身体で必死に応えてくれる。
少ししてチャイムの音が聞こえ、2人は一瞬離れた。
「…気持ちの整理はついた?」
「はい…か、勘違いじゃ…ないです」
「うん、僕もだ」
改めてお互いを見つめ合い、僕らはもう一度キスをした。
今夜は2人とも眠れますように。
そんな祈りを込めて。
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