毎年冬は彼女の部屋の窓から見える雪が何よりの楽しみだった。
暖かい室内とこたつ、彼女の淹れた甘いコーヒーが僕を癒してくれていた。
それもクリスマスを目前に控えた頃までの、非情なほど儚い日々の話である。
「別れよう、って言ったの。」
「……えっ」
そう声を漏らすのがやっとで、頭の中では事態の処理が一つも追いついていなかった。
彼女はいつからそれを切り出そうと思っていたんだろう?
昨日までを振り返ってみても何ら変わった素振りも無くて、いつも通りで…。
「好きな人が出来たの。同じ会社の人で…」
彼女はやや罰が悪そうに俯いて、俺と目も合わせないまま話し出す。
つまり彼女が俺と付き合い出したのは、単にその当時フリーだったからで、特に好きだとかではなく、都合が良かった、それだけなんだと、彼女の口ぶりから見て取れた。
「だから…クリスマスはその人と過ごすから…ごめん」
「ごめんとか言われてもさ…」
これが最後かと思ったら、言わずにはいられなかった。
「なら、今まで俺の気持ち考えたことあった?少しでも好きでいてくれたなら、もっと早くそのこと打ち明けてくれよ…」
「それは…申し訳ないと思ってるよ…」
彼女は更に俯く。泣きそうな声さえ漏らして。
違う、この女はきっと俺のこと惨めにしたとか本気で申し訳ないとかそんなこと思っちゃいない。
ただただ、俺との関係を解消して、早く新しい男のところへ行きたいだけなんだ。
俺が今まで通りだと思っていた彼女は、ただの俺の勘違いだと思い知らされた。
最初から気持ちなんて無かったのだ。
それに気付けない、見抜けなかった俺が間抜けだったっていう、それだけのことで。
「…いい、もういいよ。行けよ早く。」
言うと、彼女は面食らったような表情で俺を見る。
俺がまだ食い下がると思ったのだろう。
「あの…ほんと…あたしね」
「時間、ムダにさせて悪かったな。」
もう耐えられそうになかった。
彼女の言い訳めいた話に付き合える余裕なんて今の俺には無い。
彼女は戸惑った様子のまま、ゆっくりと玄関に向かった。
「……元気でね」
そうとだけ言って、部屋には無感情なドアの閉まる音だけが残った。
本当に勝手な女だな。心にも無いことばかり言って人のこと振り回して。
でも、そんな女に本気になっていた自分がひどく自身を寂しくさせた。
自業自得だ。
遠くからクリスマスソングを歌う子どもの声が聞こえた。
そして来るクリスマス。
淡々と仕事をし、なるべく昨日のことを考えないようにして過ごした。
ようやく仕事を終えた帰り道、通りには煌びやかなイルミネーションと、それを身を寄せ合いながら眺めるカップルがそこかしこにはびこっていた。
『クリスマスは彼と過ごすから』
こんなセリフが否応無しに脳裏に響く。
昨夜は一睡も出来なかったせいか今になって疲労が一気に押し寄せた。
イルミネーションがやけにキツく目に焼き付く。
すると突然目眩にも似た感覚に襲われ、近くのベンチに腰掛けた。
女一人に翻弄されて体壊すなんてバカバカしい。けれど事実そうなのだ。
ああ、今頃になって涙が込み上げてきた。どんどん自分が情けなくなっていく。
側から見たら今の俺は完全に危ない奴だ。イルミネーション、幸せそうなカップル、その後ろでよろめき泣いている男。
陳腐の極みである。
そんな自分に絶望しきっていたときだった。
「あの…大丈夫ですか?」
突然声をかけられたものだから、涙もそのままに振り向いてしまった。
するとハンカチを差し出す女子高生がいた。少し暗い印象ではあるが、よく見ると整った顔立ちをしている。
フレームの薄いメガネの奥には大きな瞳と長い睫毛。髪の毛はキレイな黒髪で、肩よりも少し長めに切り揃えられてある。
俺は少し躊躇って、でも結局そのハンカチを拒んだ。こんな陳腐な男の涙を拭くために使っちゃいけない。
「具合悪いんですか?何か買ってきますか?」
そこまで言われて俺はますます驚いた。
お人好しとか超えて、この娘は他人に対して警戒心が無いのではないだろうか。
「具合…は良くは無いかなぁ。」
「えっ」
曖昧に答え、少し笑ってやると、その娘は若干狼狽えた。純粋に戸惑ったのだろう。
その様子がなんだか愛らしくて可笑しくて、俺は思わず吹き出した。
「ぷっ」
「…え?どうかしたんですか?」
「いや、なんでもないよ、ありがとう。癒されたよ。」
少女はからかわれたのだと知って赤くなった。
「でももう大丈夫だから。もし今度俺みたいになってる男がいたら、さっきみたく優しく声なんかかけちゃダメだよ。」
すると彼女はやや驚いた顔をした。
「勘違いするやつ、いっぱいいるだろうからね。ほら、もう遅いし、気をつけて。」
俺は軽く少女に会釈をして、たどたどしくも何とか格好をつけようと歩を早めた。
あんな可愛くて優しい子だ、もっと警戒心持たないと危ないだろうに。
…もしかして俺は孤独なクリスマスをバラ色に変えるチャンスを逃したのでは?
「…エンコーかっての」
年の差を考えろ俺。
いくら傷心していたとは言え、流石に女子高生に手を出してまで寂しさを埋めようとは考えないぞ。
でも、可愛い子に心配してもらえただけ今日の俺は報われたと思おう。
独り身のクリスマス。
女と過ごすことだけが幸せじゃないはずだ。
なんて強がりを思い浮かべながら、家路を辿った。あの女子高生には心の隅でまた感謝をし、もっと違う目線から女を見るようにしようと誓った夜であった。
「マジでありえないんだけど…」
少女は男の去った方を呆然と見つめたまま呟いた。
先ほどの大人しく純情そうなイメージとは似つかないような、こなれたイントネーションでそう言うと悔しそうに友達に戦況報告をした。
『あとちょいだったんだけど狩れなかった。あのオヤジ泣いてたから絶対いけると思ったのに。大丈夫とか言って帰りやがった。』
するとすぐに返事が返ってきた。
『狩れなかったとかウケるwwwつか珍しくない?あたしはとりあえず1人ゲット☆〜(ゝ。∂)彼女にフラれた大学生だけどね〜』
そう、彼女は一見して可愛い女子高生ではあるが、それはあくまでフリであって、毎晩いわゆるオヤジ狩りをしているのだ。
ある時はギャル、ある時は清楚系。ターゲットを決めて、弱そうなジャンルで攻めていくのが彼女のやり方だ。
けれど今回の場合いつも成功しているようには行かなかった。
彼女は男の座っていたベンチに腰掛けると、少しだけ物思いにふけった。
「気をつけてとか初めて言われたかも…」
ほのかに彼女の頬が赤いのはどうやら寒さのせいだけではないらしかったが、
「…こうなったら絶対あのオヤジ狩る!」
必ずや今宵の雪辱を晴らすと誓った夜であった。