彼氏出来たのとか、好きな人いるのとか。学生の頃はなんて気楽だったのだろう。
今となってしまえばそんな可愛らしいものなんかじゃない。恋愛なんてものはその実煩わしいものに過ぎない。
そしてそんなに美しいものでもないことに私はこの歳になって思い知らされるのだ。
「ありがとうございます、いつもすいません」
私はアパートに横付けしてもらった彼の車を名残惜しげに降りて会釈する。
「はいよ」
何とも思っていない風でこちらも見ずに彼は車を走らせる。
もう何回目になるだろう。こうして仕事終わりに二人きりでご飯を食べるのも、休日が重なればカフェへ出掛けるのも。
お互いに所帯を持っているのに。分かってはいるのに。この感情は惹かれ合うのともまた違った。
また私と彼とではそんな年齢でもなかった。
私は部屋へ戻るのがいつも躊躇われた。どこか釈然としない思いでいっぱいなせいで。
もしかしたら好きなのかもしれないと認めたこともあったが、暫く考え込んでそれをため息と同時に吐き捨てた。
珈琲の粉をドリッパーにセットしてからお湯を沸かす。注ぎ口からゆらゆらと揺れる蒸気を見つめていると、ふとしたまどろみの中で私は繰り返し夢を見た。
『柔らかいね、うまいよ』
私が初めて自分で淹れた珈琲を飲んだのは貴方。きっと気を遣ってくれていたのだろうな。あのときの珈琲薄かったもの。
いつも意地悪なくせに時々そうした優しさを見せる。そんなところが私を堪らなくさせた。
貴方がいなくなって常々思うことがある。
どうして人は一人きりでも生きて行けるのだろう。
よく“あなた無しで生きられない”とか耳にするフレーズだけど、実際にいなくなっても人はそれを乗り越え、挙げ句忘れることさえ出来てしまうのだ。
それが哀しかった。
(貴方が酸素のようなら良かったのに!)
そうしたら貴方から離れられない理由になったのに。苦しくなるから離れないでって言えるのに。
私は愚かだった。ただ寂しいって言えば良いだけなのに。
鼻の奥のツンとする、あの煙草の匂いを思い出した。
珈琲と相性の良い煙草なんだと、彼が言っていたのも。