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満月は欠けていくもの。

絵の具が乾くの待ってます。


最近絵らしい絵を描いてないなぁ

絵らしい絵って描いてて楽しいもんだと思う。
いかに理想に近付けるか、筆なり鉛筆なり動かす度に何か向こうから応えが返ってくる。
そうやって動かされながら仕上げていく、
何も応えが無くなったら終わる。

そういう絵を最近描いてないなぁ。描きたいないなぁ。




美術史の話。

原初は自然、地球に応じるように描いてた
次第にそれが信仰の為になって
西洋ならキリスト教、日本なら仏教などなど宗教になった。
それで絵を描く、木を彫る、それで食っていく人が現れて
金の為、生活の為の美術が現れた。
権力者に寄り添いながら美術は発展し、西洋はルネサンス、日本は江戸元禄文化で庶民に広がり、大衆受けするものが持て囃された。
大衆文化としての美術は消費される存在となり、時代の空気と流行に左右されながら、未だ消費されていない形を求めて流れていく。
大衆の為の解りやすい形から、新たな形へ。
印象派が日本で持て囃さるのは、浮世絵と同じ解りやすさがあるからだと思う。ただ見てて綺麗じゃん。まぁ当時は実験的で革新だったとは言え。
何か、を描く事からは抜け出していない訳だし。
印象後期、ゴッホがモノ以上に精神、内面を描き出した事こそ革新だと私は思う。
以降の美術は言葉を必要とするようになった。抽象芸術の発展と共に。
大衆の識字率が広まった事もあるし、ただモノを描くだけの美術が行き詰まったせいもある。皆が何かを声高に訴える、20世紀(戦争)の風潮もあったと思う。
クレーは戦争によって言えなくなった言葉を色と形で描いた。
ピカソは戦争とは何かを筆で訴えた。
でも絵を描く人がいる場所が平和になるにつけ、言葉を秘めながら絵で訴えるべき事は少なくなった。
見る、為の抽象絵画や人々の意表を衝くアート、みたいな単純なのが主流になり、
今、芸術はもっと個人的なものになっている。
現代の作家は自分の事を喋りたくてしょうがないんだ。そうにしか見えない。
それが日本だけなのかそうでもないのか、それが知りたいから、
明日と明後日は現代アート三昧します(笑)

なにこの壮大な前フリ…(自分で書いてア然)


いや最近こんな事をつらつら考えてたりするんです。平和だなオイ。

日本人の感覚の幼稚化が思いっきし美術史に影響を与えてるじゃないですか。私は今のこの風潮が嫌で嫌でしょうがないんだけど。
そこに震災があり、国境問題があり、ある種過激なナショナリズムみたいなものが現れたりして、美術だけに限った話じゃないけど、これからどうなるんだろう、っていう
必ず今から何か変化があると思うんですよね。
その流れの行く先が何なのか考えたくて、
と言うか私自身はどこに流れたいのか、何を描くべきか知りたくて、無駄と知りつついろいろ考えたりしてます。
何が出来る訳でもないけど。
直接的な言葉が溢れる時代に、芸術という存在が一体何を人に伝えられるのか、なんだか重要な事だと思うんですよ。
言葉はすぐ喧嘩になるし。
そう言うこれも言葉なんだけど。


うー、まぁ
いろいろ見てきます。(行き詰まった)
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