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red

                                                          

Question


冷酒4杯くらい呑みました蜩です。
珍しく。

俺はビールは断るけど日本酒と麦焼酎なら断らんよ。場合にもよるけど。
付き合いで不味いモンは呑みたかないやい

まぁ寛大な職場で助かってます。はい。


しかし酔わんね。酔えんちゅーか。
割と素面です。


なんか
酔ったら絵のインスピレーション浮かぶんじゃない?
とか言われて、イヤまさかと笑ってたら
僕も若い時は酒で救われたよ
って言われて
巫戯化んな飲んだくれ一緒にすんなよと思いつつ。
適当な口出しは実は一番腹立つ。

京極作品読む人にしか分からん漢字使ってみる(笑)


まあ良いや

今日も言われたが、どんな絵描くんですか?は素朴に一番困る。

なんか最近は抽象ですと言って逃げる事が多い。まぁ間違いじゃないと思う。

しかし逆に訊きたいよね。俺何描いてますか?(笑)
訊いてどーする。


多分、返す言葉として期待されてるのは
風景とか花とか人物なんだろーな
どれも描くけどどれも描いてないね。俺の場合。

何を描くかって重視してないなぁ
まあある程度は決めるけど

なんか『風景画描きますっ!』てのが
そんなに大事だとは思えない。
凄い矛盾してるとは思うけど。

花とか人物とか風景とか、そういう物に縛られるの苦手なんだろうな

嫌じゃない、苦手。


描きたいモンしか描けないのよ
で、それは一言の言葉で表現出来るモンじゃないし。
そんな単純であってたまるかってね。


それは裏返せば、思想であるとか主張であるとか
そういう物からでしか出発できない描き方であって。
頭でっかちでしか無い。


でも、何かなぁ
趣味の絵画教室みたいな絵が絶対厭な以上
そこしか選べないのかね俺は。
見たまんま描けない。描けるけど描けない。
描きたくない。


足掻くしかないねぇ

見苦しいけど。未熟でハンパ者が何を偉そうにと思われるだろうが。


悪描く、と書いてあがく、だな。


誰かに何か伝わるなんて大それた事は考えてない。
じゃあ何かって言ったら
世間の嫌な波に飲まれない為の行為じゃないかと思う。
自分を保つ、と言うと悔しいが。
そんな事で保たれる情けない自分か。


世間の資本主義も恋愛至上主義も幸福至上主義もまぁその他諸々
嫌で嫌でたまらないから芸術に逃げてるだけだ
住み心地が良いとは思わんが
まぁ隅に逃げときゃ文句言われんかな、なんて。


それだけの理由よなぁ
だから皆褒めないでね。それこそ居心地悪い。


professional


やれやれ。
暇人続行中しかしもうすぐ職場の慰労会そんな蜩ですよこんばんば

厳密に言えば暇ではないのです

巷説ブームがやって来たのでここぞとばかりに読み返してます。夏だ。妖怪だ。又さんだ。

暇人でないと読み返せないってアレー(笑)


あとめちゃめちゃ寝てます。
いやあの本持ってたら疲れるじゃない。
まあどんな薄い本でも寝オチするがな俺は



あ、一応は絵もね、進める気もある様な。

アクリルの落とし所がどうも見当たらなくて厭にはなってますがね
こんな漢字使う所が如何にも巷説漬け(笑)


なんか締切が思ってたより実は後だった、てェ落ちで。(←わざとやってますよ)



あ、あとテレビも見てます。
番組選べば面白いのよテレビも。
普段はいい子だからさっさ寝るけど←
人並みに悪い子なので休み中はテレビで夜更かし(笑)

まぁ公共放送の率が高いがな。どんな悪い子や。




ま、テレビが発端の話ですが
プロとアマとはなんだろうね、と。

どの番組が発端かは察する人は察して下さい。


ネットが普及して動画が普及して昨今は
下手すりゃプロより全然上手いなんてぇのはよく聞く話で
機械までも芸術染みた事やりだしちゃって

なんかもうこれからの時代は人間の、
それもプロフェッショナルと呼ばれる人達は必要あるのか、という感じですが。

必要、と言うか需要だぁな

プロってのはその道でメシ食ってる人の事だ
つまり需要が無けりゃ立ち行かない。
プロになるにゃリスクが大きい。
ただでさえ狭い門をネットという超自由主義が更に狭くしてる様な気がするね。

そりゃネットからデビューとか聞くけどさ。
デビューした所で上手く行くとは思えんね。

だって今は人間食うだけの社会じゃない。
廃れりゃ人間ごと棄てるだけだよ。


棄てられた人間はどうなるのかね?


消費する側は金出さなくても良質な音楽なり何なり簡単に手に入る。

まあこの際本当に良質かどうかは置いておく。とかく気に入りゃ聴くだろ。

そうやって巷にゃ何処の誰か分からんモンの作った『芸術みたいなモン』がありふれている。


それでプロって要る?この先。


今プロになりたい奴ってのは
働くのが厭だからその道でおまんま食わせて貰ったら良いなぁ
みたいなノリじゃないか?皆が皆とは言わんが。

少なくともプロ目指して、と口先では言ってどっか行った友人はそんな風にしか見えんかったな
舐めんなって話よ。


そりゃあ俺も夢は見るけど
同時に職業画家はつまらんと心底思うね。

性じゃねぇや。七面倒くさいのは。

まあ好きにフラフラ生きてるだけだよ
これまでも、多分これからもそうなんだよ
それでも信念は貫きたいと思うけどね、その好きに生きて好きなモン描いて、好きな時に辞めるってだけの信念。


プロってのはそうはいかない
プロフェッショナルってのはアマチュアのこっち側には想像も付かない様な覚悟が有る筈なのよ
でなきゃ困るんだけど(笑)

受け売りで申し訳ないが、なんかで読んだ、どっかの画家さんが言ってたね
プロとしてやっていくには技術は足りなくても、覚悟さえあれば出来る

その覚悟をアマチュアと比較して簡単に嘲笑い、切り棄てる風潮が俺はどうしても良く思えない。


プロってのは覚悟決めて、その一生に筋通して生きる人じゃねぇかなと思うんですわ。

芸術に限らずモノ作りは人間が出る。
そういう人間が滲み出たモノが本当に質の良いモノだと思う


まあこんな所で虫が一匹ぴゃあぴゃあ鳴いても如何にもならんけどな。


飲み行ってきます

moderation



   ある資本家の理論

 芸術家の芸術を売るのも、わたしの蟹の缶詰めを売るのも、格別変わりのあるはずはない。しかし芸術家は芸術と言えば、天下の宝のように思っている。ああいう芸術家の顰みに倣えば、わたしもまた一缶六十銭の蟹の缶詰めを自慢しなければならぬ。不肖行年六十一、まだ一度も芸術家のようにばかばかしい己惚れを起こしたことはない。

(芥川龍之介/侏儒の言葉)





良い言葉だと思うよ。

芥川がどういうつもりで書いたかは分からんが、良い言葉だと思うよ。


世の中には二種の人間が居て、

目でモノを見る人間と

頭でモノを見る人間が居る。


前者は、素直と言うと語弊があるが
自分の快楽と不快に敏感であり
快適に生活する為に目で見える物だけを素直に見ている。
まっとうな生活者。働いて賃金を得、衣食住を含め楽しく消費する。
生活以外の事は考える必要が無い。よって物事を深く考えない。必要無いから。


後者は目の前の物を視界に入れない。
自分の頭の中だけで物を見る。頭の中で生み出す物も含め活字が全て。
生活に興味が無い。生活していながら浮世離れしていて、そんな所に興味が向かない。向ける必要も無いと本人は考えている(そしてそれを小さな誇りにして突っ張っている)
平たく言えば頭でっかち。
どんなに周囲が浮かれていてもつまらない顔をしている。それがポリシー。
良く言えば考え深い。しかし畢竟それだけ。その考えが役に立つのかと言えば決してそうではない。


前者も後者も一人の人間の中に居る。必ずと言って良い。
大人になると使い分けるスイッチが生まれる。そして己にとって楽な方を押す。
普通は前者を常にONにしておく。無駄な事を考える暇なんか無くなるから。
ただし稀に後者をONにする者も居る。自己弁護の為に。
決して楽に『楽』には為り得ないと知る者、又は自己暗示をかけている者。

さて

どっちが楽ですかね。



偏らずモノを見たいなぁとは思うよ
まあ私が私という存在を持つ限り無理なんだけど。


Kappa


 僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持つたものたちを如何にも気の毒に感じてゐる。ではさやうなら。僕はこの原稿の中では少くとも意識的には自己弁護をしなかつたつもりだ。


(芥川龍之介/或阿呆の一生)



河童忌です。

太宰は桜桃忌
林芙美子は確かあじさい忌

しかし芥川は河童忌です。

彼は全然植物に関係無かったのか
うん、何も思い付かない(笑)


そう考えると彼は徹底的に人間を書いていった人だなぁと思います
自分含めて。

芥川は自分も他人もどこまでも突き放して観察している
だから晩年の自らを書いたものが一番面白い、と私は思う。


彼にとって河童は人間の裏返しで

そう考えると河童忌というのは全く相応しいなと思うよ。


そんな河童ラバーの独り言。

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