もうハロウィンは終わってしまったけど……
話題:ハロウィン
小高い丘の中腹の、古びた洋館。その扉の呼び鈴が、久しぶりに鳴った。
あまりにも長く、来客がなかったので、館の主は、それがそういう音を立てることを忘れていた。
たまたま居間で寛いでいたが、寝室にいたら聞こえなかったことだろう。
むくり、と体を起こす。
「トリック・オア・トリート!……だっけ」
呼び鈴以上に澄んだ、可愛らしい声は、扉の向こうの来客が幼いことを示している。
場違い……いや、場違いではなかったか。この東洋の国にも様々な慣習が伝わりつつある。
重い扉を開けると、小さな子供は、しばらく彼を見つめたが、嬉しそうに笑い、小さな籠を手に載せて、差し出した。
「お菓子、ください」
女の子だ。とても小さな。
彼は困惑した。
「生憎と、うちにお菓子はなくてね。ほら、門の前にかぼちゃがないだろう。そういう家を無理に訪ねてはいけないんだよ」
しかし、少女は、怪訝そうに彼を見て首を傾げる。
「あれ、おじちゃんは仮装の人じゃ、なかったの?」
確かに、自分の趣味で古くさい……いや、ゴシック調とも取れる奢美な服装をしている。白と黒の夜会服。ずっとそれが彼のスタンダードな装いだ。
奇矯と見えても、決して仮装をしているつもりはなかった。
「……ドラキュラ、の。だよね?」
自信が無いのか、声は小さいが、無邪気な問いだ。
「いや……違うよ。私は、ドラキュラではない」
それは誰か別の人を差す名だ。代名詞化されているとも言えるが、彼はそんなことは断固認めたくないのであった。
気位の高い「同属」として。
「そう……なんだ。ごめんなさい」
「どうやって、ここに入ったの」
女性には手慣れていても幼い人に慣れていない彼は、努めて優しく話した。
「後をついてきたの。だって私、てっきり、おじちゃんが仮装の人だと思って……」
「おじちゃん、はよしてほしいものだが」
幾年を経ても若く瑞々しい。それが彼の誇りであった。むしろ存在意義だ。
真っ向から否定されてはかなわない。
「すみません、じゃあ……お兄ちゃん」
しゅんとしたのも束の間、彼女は満面の笑みに戻り、
「トリック・オア・トリート、お願いします!」
と、籠を高く上げた。
彼は少女を上から下まで良く見た。七歳くらいか。三つ編みの可愛らしい彼女は、即席のビニールシートの衣装で魔女を気取っているようだ。
「ここには……いや、私には、あげるものは何もない。むしろ私は他人から奪う存在なのだ。ただ、それだけの」
美しい黒目がちの目を向けて彼女はきょとんとした。
「君は、ここに来るのは、少し早すぎたのだ。あげるにせよ、もらうにせよ……あと二十年程しないことには、どうにもね」
二十年程経てば、花の蕾も美しく咲いていることだろう。できればその時を狙って摘みたい。
「えー……困るな」
彼女はスカートの裾を弄りながら動かない。
彼の中に悪い考えが芽生えてきた。
ふっくらと丸い、柔らかい頬。さらりとした、真っ直ぐな黒髪。二十年待たずとも……美しい。充分に。
いや、むしろ今こそ。
「君が良いのなら、……今ここで、お菓子よりもずっと甘くて良いものを、与えても良いのだよ」
真ん丸な目で彼女は見ていた。
お互いがお互いに釘付けとなった。この状態に持ち込んでからが彼の本領発揮だ。
「さぁ、目を閉じなさい……余計なことは、見ないで済むように、ね」
彼は充分に少女を気遣ったつもりだった。跪いて、少女の肩をゆっくりと抱き、首筋に唇を近付けて、甘やかな期待に自らも目を閉じる。
―今までは手を出さなかったが、どのような味がするものやら。
年端も行かぬ子供。そういう意識が、良心をとうに捨てたと言う彼にもまだ残っていた。
しかしいざ、彼の象徴たる、小さな白い刃を無垢の肌に突き立てんとした時……ふと、押さえている「肩」の感触がなくなった。
目を開ける。そこに彼女はいない。
幻のように掻き消えたなど、あって良いものだろうか―、彼は、自身のことはさておいて、不思議な状況に納得が行かず、すぐさま扉を開けた。
曇り空。少し遠くを、薄っぺらい黒の衣装を羽織って……恐らく家庭用のほうきにまたがった、三つ編みの小さな「魔女」が飛んでいく。
目をこすっても、そのように見えた。
「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」
彼にとってはまさしくその通りになった。