俺の仕事は少し特殊だ。

大まかに言えば会社員にカテゴライズされるが、
研究所の研究員

そしてさらに研究所の中でも特殊な部門だ
他の部門には仕事毎に研究員がついているが、
この部門にはだいたい研究員一人に一人、実験補助員…いわゆる助手がついている
俺には一人、娘と同じ年の女の子がついている。


『…明川さん、異動しませんよね?だってまだ2年しかいませんしっ!!』
『うーん?そう思うけど、どうだろうねー。まあ、異動受けるしかないよねー。断ったら首だからね』
『サラリーマンですもんね……』


…そんな会話を数ヵ月前にしていた
しかし、本当にそうなるとは……。

3月31日、朝出勤したらいきなり告げられた
違う部門に異動することになった
明日から新年度なんだぞ?
なんとなくはわかっていたが…………。

…彼女にはなんとなく言えなかった
普通に朝実験室に行っていつものようにクリーンベンチの殺菌灯をつけて、ポットのコンセントをいれる
しばらくして彼女が実験室に来て、
俺は事務所で朝礼をし、実験棟でも朝礼をしてから実験室へ行く
いつもの通りに実験室に行って挨拶をした

最近はずーっと、事務仕事するにも実験室でしたりしていたが、残務整理に追われ、別の実験室に閉じ籠っていた

…それに、やはり彼女と顔をあわせづらい



この二年間、特に最近は色々な話をして距離が大分近づいたように思う
最初は彼女も、笑顔しか見せなく、なんとなく壁があったような気がしたが、

最近は実験をしながら話をして笑いあったり、時には怒ったりしていた
彼女の年の離れた妹の話や、考えていること、テレビの話とか、本当に他愛のない会話

……多分、娘のように思えてきたのだろう
彼女も、最近は沢山話しかけてきた


『…今まで、あまり雑談とかしてこなかったんです、………私話すの苦手で』


と言って小さく笑っていた


『特別です……私、明川さんのことは信頼していますからっ!』


そんなこと言われて大分照れてしまった。
人に対して壁を作っている彼女に
『信頼していますから』なんて言われたからかなり驚いてしまった



しかしなんとなく最近彼女は暗かった
悩みでもあるのか、ネガティブな発言が多かったから


『すみません、私って本当にネガティブですよね……頑張りますから!』

『別に頑張らなくていいんだよ!ナチュラルで!』


……やはり彼女はわかっていたのかもしれない
そんな気がした


そして迎えた歓送迎会
いつもは同じ部門の女性二人と一緒に仲良くしている彼女がたまたま俺の前に座った

普通に楽しく会話していた
そして彼女は、俺よりも長い付き合い(と言っても部門が一緒でも実験室が違う)であろう職員と話が盛り上がりつつ、
俺は先輩の次長と話をしていた



一次会も終わる頃彼女は部長に捕まっていた
かつて俺と彼女は、別の部署で事務仕事をしていた時も上司と部下だった
その時の話をしているのだろう
…思い切り彼女は手を強く握られ、微妙な表情をしている…

『俺の娘に変なことしないでくださいよ〜!!』
『あはは…』


彼女は力なく笑って最後、手の甲にキスされていた……


結局異動のことは言えずに俺は二次会へは行かず帰宅した










『…明川、昨日平岡に異動のこと言わなかったのか?』
『え?……そうですね』
『俺てっきりもう言ってるもんだと思って二次会の時ぺろって言ったら彼女突然泣き出してびっくりしたぞ…他のやつらに宥めてもらったが……』
『ええっ…!泣いたんですか?!』


なんとも……
彼女は俺が異動するのが相当ショックだったのか……

ますます、言いづらい……というか、やはり、顔を会わせづらい……なんとも言えないが本当に仕方ないことだが……悲しい

仕事のことも彼女のことも……。


本当にこうなってしまったら言いたかったこともなにも言えなくて、
ただお互いぎこちなく挨拶して
ただ残務整理で終わっていった
その間にも今まで通り仕事をふたりでやる瞬間があって、その時だけは本当にいつもと変わらなかった








最後の日だ、もう
やり残したした実験も最近植えたポットも未だ残っている


『…もう最後ですね、明川さん…!本当に、勉強になりました、楽しかったです』
『うん、まあここに居るのはね、でもまだちょこちょこ来るから!ポットとかもあるし…』
『そっか…』
『まだこれからももっと勉強して!できるじゃん!フランス語もあるんだし!』



彼女は力なく笑った




異動するの部門へ打ち合わせに行って、帰ってきたのが終業20分前だった

ギリギリになって彼女に挨拶した
ただお互いテンプレートのことしか言えず、ペコペコ頭を下げているだけで


引っ越しの準備しつつ、終業時刻を過ぎても他の二人を待ち続けた彼女が、実験室から出てきた


『あ、のっ…!最後に握手してくださいっ!!』


そうして彼女は突然手を出してきた
小さな手を優しく握ってまた頭を下げた


『ほんとうにありがとう!』
『本当にありがとうございましたっ!!』
『あっちに行くだけだからさっ!!』


その瞬間にわかった気がした
彼女ももまた、おそらく俺の中に、、、


これからは別々の部門でお互い頑張っていくのだろうが、多分、忘れないのだろう
彼女のこと、彼女を、きっと心配し続けるのだろうか、
たとえ彼女が俺のことを忘れたとしても。

どうか、楽しく、幸せで居て欲しい。