容赦なく照りつける夏の日差し。
 雨みたいに降り注ぐ蝉しぐれ。

 蜃気楼に視界がゆらゆらと揺れている。額の汗を拭って、手にした花束を持ち直す。
 こんな日にスーツを着ているのは自分くらいだろう。手桶に水をくんで、苦笑する。刺すような熱を真っ黒な布地が吸収して、気温以上に暑さを感じる。揺れる視界は蜃気楼のせいだけではないかもしれない。
 お盆前と言うこともあって、すれ違う人の数は少ない。すれ違った数人はみなTシャツやタンクトップと言った夏の装いで、不思議な様子でこちらを見ていたように思う。
 せめて上着くらい脱いでも良かったのだろうが。命日くらいきちんとした格好で顔を合わせたい、という自分なりの礼儀だった。それを通すためならば、こんな暑さくらいどうという事はない。

 じりりりり、蝉の声がより強くなる。
 どこかからただよう線香の香りが鼻孔をくすぐった。この香りを嗅ぐと、夏がやってきたのだなと実感する。


 三年前の今日。父親が死んだ。
 自殺だった。
 俺は何をすることも出来なかった。それどころか、その理由が俺自身であるのではないかとさえ思う。俺の存在は、きっと父親を苦しめた。俺が居なければ、息子が『彼』一人であったのならば、こんな風に自ら命を絶つという選択は選ばなかったのではないか、そう思う。
 後悔したとて、罪悪感にかられたところで、父は戻らないし、誰が許されるわけでもない。そもそも、この自分勝手な贖罪には何の意味もないのかもしれない。
 
 ちゃぷん。手桶の水が大きく揺れた。急に足を止めたせいだろう。僅かに零れた水が、右足を冷たく濡らす。
 通路の途中で制止した俺は、目の前から歩いてくる一人の人物にじっと目を凝らした。
 蜃気楼の中ゆらりと揺れる、金色の髪。まるで外国人のそれかと見紛うほど、綺麗なゴールデンブロンドだった。短く切りそろえられた髪が湿気を含んだ生ぬるい風に揺れる。鼠色の並ぶ空間の中であまりに目を引くその色に、俺は顔をしかめた。

 ――ああ、嫌な奴に会うものだ。

 墓参りを終えたのであろう、その男は手ぶらのままこちらへと歩いてくる。あろうことか、彼もまた上下かっちりとしたスーツに身を包んでいて、墓地のど真ん中で季節外れの装いをした男が二人対面する形になる。
 眉根を寄せたままの俺に少しだけ視線を向けて、しかしそれ以上の事はせず。赤の他人であるといった風に通り過ぎようとする。
 事実、彼と自分は赤の他人であるのだが。

「珍しいな。あんたみたいなお方でも、墓参りする心はあるのか」

 吐き捨てるように、口を開いたのは俺の方だった。無関心を装おうとした男の方も、その言葉に足を止める。

「死んだ親の命日に墓参りをして何が悪いというのだ」

 それだけ言うと、何事もなかったかのように彼はまた歩き始める。
 蝉の声がやけにうるさく感じられた。
 
「……それも、そうだな」

 呟いて、俺もまた目的の場所へ進み始めた。


 父の墓には先客が来ていたようだった。
 半分まで灰になった線香が、細い煙を上へ上へとのばしている。真新しい花が、黄色やピンク、白と言った鮮やかな色で無機質な墓石を飾りたてていた。自分が持ってきた花が霞んでしまうのではと思ったが、そっと花差しにさしてやると鮮やかさが少し和らぎ、調和が生まれたような気がする。
 墓石に水をかけて冷やしてやってから、ライターで線香に火を付ける。先にあった線香をものを落とさないように置いてやると、二つの煙が合わさって一本の線のように上っていく。

 どこまでも流れていくこの煙は、いつか空の父へと届くのだろうか。そんなことを考えながら、青い青い空を見上げた。