ニッポンの嵐その3は、『ニッポンの島の人々×松本潤』です。
この旅、文章内から3月下旬のことであったと推察されます。
朝一番の飛行機で羽田を出て、松本さんが向かったのは隠/岐諸島。飛行機、車、フェリーを乗り継いで、その中の中ノ島、海/士(あま)町を旅します。
日本に数ある離島の中で、なぜ松本さんはここを選んだのか?その理由は『過疎化が進む離島のなかで、なぜか都会から移り住む人が多い島だから』だそうです。この島のいったい何が都会の人を惹きつけるのか?その理由を、観光協会の青山さん(26歳)を案内人として探っていく旅です。
昼過ぎに到着した松本さんは、まず神宅さんご夫妻のお宅で地元の幸をふんだんに使ったお昼ご飯をご馳走になります。こちらのご夫妻は3年前に大阪から移住してきたそうです。
この場で教育委員会のスタッフ花房さん(24歳・通称はなちゃん)とも対面し、皆さんがこの島へやってきたいきさつを伺います。
神宅さんは定年後、星空と釣りに魅せられて。青山さんは一度先輩に連れてきてもらってから、この島の人たちの人柄・濃さに惹かれて。はなちゃんはプータロー(本人談)をしていた時に大学のゼミの先生にこの島を紹介されて、ということでした。
この、はなちゃんという方がかーなーり!おっとりしているというかマイペースというか変わっているというか……面白い方で。大学を出たばかりの若い女の子が、離島への移住を『仕事せんと母に怒られるから(笑)』でぱぱっと決められるのって、すごいなぁ(^_^;)。
とにかく日本全国から様々な理由で、ここ5年間で200人くらいの人がやって来て住みついているとか。
5年で200人ってすごいですよね。この数字を読んだだけで、都会の人を惹きつけるこの島の魅力とは何なのか、俄然興味がわいたアタクシです。
でも話を追ってみると、移住してくる人は増えているけど子供の数は少ないんだそうです。
ここ中ノ島を含む3島からなる島前という地域には高校が1つしかなく、それも各学年30人くらいの小規模なものだそう。
それが隠/岐島/前高校なんですが……この高校が松本さんもビックリ、実はすごかった。
『観光甲子園』という、自分の地元を舞台にした観光プランを練ってツアーを組むという全国的な催しが08年からスタートしているんですが(知りませんでした、失礼!)、はなちゃんが色々とお手伝いをしてこの高校、1位になったんだそうです。1位すなわち日本一!
松本さんは日本一になったその観光プランのプレゼンを見せてもらうために、高校を訪れます。
何も知らされていない高校生たちは、松本さんが扉を開けた瞬間悲鳴のような大歓声をあげたとか……そりゃそうだ(^_^;)。
松本さんが見せてもらったプレゼンは、観光甲子園出場校の中でも異色の企画だったそうです。なんせいきなり『観光名所には行かせません!』とぶっちゃけたんですから(笑)。
でもこれは、授業で観光について専門的に学ぶ学科の生徒が多い他の出場校との差別化。普通科の島前高校は観光名所を売りにするのではなく、島前の人を堪能してももらい人との繋がりを持ち帰ってもらう、というプランを立てたのです。島前の真の魅力は、人情とか人と人との関わりが密なところだ、と。
『名所や史跡は、また次の機会にどうぞ!』ですって……ふふ、上手いなー( ̄∀ ̄)。
実は、翌日に彼らが企画した旅を実際にお客さんを招いて実行することになっているそうで、はなちゃんも高校生たちも準備に大忙しの真っ最中。松本さんは高校生たちから行った方がいい場所、会った方がいい方を教えてもらって高校を後にします。
高校生たちのバイタリティと、人との繋がりを大事にする心に触れての松本さんのお言葉(抜粋)。
『自分もしっかりしなきゃなって思う。すごく考える貴重な時間になりました。』
その後の松本さんは家/督山へ登り山頂近くでレジャーシートを広げ、プチピクニック。
近くで穫れたふくぎ(クロモジ)の木から作ったふくぎ茶と、ふくぎ茶の葉を入れて焼いたパイをいただきます。
そこからさらに山道を登り家/督神社へお参り。ここで自転車に乗り換えて隠/岐神社へも訪れます。
レジャーシートに座って笑顔でお茶する笑顔、自転車にまたがり遠くを見る目、神社に参拝中の合掌一礼する姿、どれも松本さんらしい美しい佇まいでした。
その晩はホテル前のバーベキューハウスにて、カキ、イカ、アワビなど地元の海の幸を堪能した松本さん。海/士町の観光協会の方々が準備して下さったそうです。
青山さん、青山さんの上司の大江さん(50歳)、はなちゃんと一緒に、大いに飲んで食べて語った夜でした。
もちろん主な話題は島のこと。島への想い。
その中でもアタシが特に印象的だったのは、元々ここの住人だった人々が移住者を受け入れて一緒に島を盛り立てていこう!という勢いがある理由を、ここが『遠流の島』であったことだという話です。
実は、大昔から後鳥羽上皇をはじめ多くの人が流刑にされたのがこの島だったのです。そういった人々を受け入れてきた懐の深さが遺伝子レベルで受け継がれているのではないか、とここで生まれ育った大江さんは考えているそうです。うーむ、なるほど……。
あと、青山さんが
『これからは自分をごまかせない。松本さんの存在を見て。彼はもっとすごい世界で自分をごまかさずに仕事してる。それでね……負けたくないし、そこはやっぱりすごい』
っておっしゃったところ。
……うふ。初対面なのに、伝わっちゃいました(笑)?
この2人、同級生なんですって。松本さん、青山さんのファーストネームを聞いて、呼び捨てにしたりもしてました(^_^)。
熱い夜が明けて目を覚ますと、外はなんと吹雪!しかし昼には晴れる予報だということで旅の予定を決行!
まずは朝ご飯。再び青山さんと合流して、民宿にて海士ならではの朝ご飯をいただきます。
海の恵みと土の恵をふんだんに使った料理の数々と、ご飯とおみそ汁を朝から元気に(←!)たいらげる松本さん。お腹がいっぱいになると、
『……やっべ〜、飯食ったら眠くなってきた』(←可愛い(≧∇≦)!)
と、部屋の隅でゴロリ。民宿のおばあちゃんが枕と毛布を出してくれました。
…………くつろぎますなぁ(笑)。
雪がやんだところで、ここからは駆け足で島内を回ります。なんせ午後3時のフェリーに乗らなければならないそうで。
まずは養殖牡蠣の加工場へ。日本名水百選にも選ばれた『天川の水』が流れ込む養殖場で、三年間じっくりと育てられた牡蠣が加工されるのを見学。
実は牡蠣の養殖に日本で初めて成功したのはここなんだそうですよ。知らなかったなぁ。
そして『天川の水』が湧き出すポイントへ回り、もちろん試飲。『あ、うっめぇ!』って(^_^)。
海の恵みも土の恵みも、きっとこの水の存在が大きいんでしょうなー。
続いて、この町のふるさと案内人の滝中さん(80歳)を訪ねます。
流暢に語られる海/士町の歴史に、真剣に聞き入る松本さん。話が終わるとちょうど正午。島内放送の正午を知らせる音楽が、まるでエンディングの曲のようだったとか。松本さんは何度もお礼を言って別れたそうです。
お次は青山さんのお気に入りの場所、知々/井岬へ。
そばの牧場には牛が放牧され、目の前には海が広がるまさに絶景だとか。そこで自転車に乗ったり写真を撮ったりとしばしのんびり過ごし、その後はお昼ご飯へ。
菱/浦港近くにある海士が誇るブランド牛『隠/岐牛』が食べられるお店で、高校生たちの旅企画をサポートしている波多さん、向山さん(40〜50代・60代とお見受けします)と一緒に隠/岐牛をいただきます。
波多さんは一度島を出た方、向山さんは島に残った方なんですが、お2人はそれぞれの経験から『ここの良さは、一回外へ出て、田舎を振り返ったときにわかる』、『一回出て、都会の厳しさをわかって、また帰って一からやり直すってことがいいんじゃないか』とおっしゃいました。
前日に出会った高校生たちと、その高校生たちの取り組みをサポートする大人たちの話は、松本さんに様々なことを思わせたようです。
旅の感想を抜粋すると
『よくあんなになじめたよ。行く前はあんまりなじめないんじゃないかな?って思ってたの。最初に飯食ったときに青山くんやはなちゃんとしゃべれたのがすごくよかったんだと思う。
みんなが本気なんだよね。恥ずかしがることもなく、海士が好きだから、って。そのためにできることをがんばりたいんだって言ってるのが、中途半端な感じが全くなかった。
東京が不便って話もおもしろかったなあ。
島がひとつのコミュニティで、大きすぎない。ちょうどいいサイズ感だと思うんだよね。足るを知るっていうか、そのサイズのなかでできることをやろうっていってる感じがすごくリアルだったし、とても伝わってきて感動した。いい町だね』
最後に港でお土産を購入し、フェリー乗り場へ。2日間お世話になった青山さんとグッと握手してお別れです。
海士で会ったたくさんの人たちに見送られ、紙テープを引っ張り合いながら離岸します。
そこから来たルートを再び戻って、米子空港から東京へ。
これが松本さんの1泊2日の旅でした。
都会ではなかなか味わえない人と人との密な関係や、ふるさとを思う気持ちなど、松本さんにとっては、新鮮で貴重な体験だったようです(^_^)。