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どこにあるのかわからない「HOME」を探して旅立ったあの人

「HOME」にいるはずなのに、ここは「away」だ。

実家にいて「家族」と暮らしてるのにこの気持ちはなんだろう。

ここは自分にとって「HOME」なんだろうか…?

居場所などどこにもない。

内にも外にも。

だからすがるしかなかった。

音楽に。Aqua Timezに。



逃げたくても逃げられない現実から逃げたくて、助けを求めた先は、誰の下でもなく、Aqua Timezという音楽だった。

思い出すと疼く傷だってあるけど、太志さんの書く曲に、あの優しく包みこんでくれるような声に溶けて、コーヒーにミルクをこぼしたみたいに柔らかく交ざり合って、心の苦しかった黒い部分がすうーっと苦しくなくなる。


音楽だけは、傍にいてくれた。

どんな時だって。


だから、やっぱり自分にとってAqua Timezは特別。

きっとこれからもずっと。

重すぎて、あまり人には言えないけど、自分にとってAqua Timezはそのくらい大切な存在。

さよならの風



「さよなら」

耳元を吹く風から
君の囁きが聞こえた

さっきしたばかりなのに
手を振ってまた明日って

その明日が来ることを
少しも疑うこともなく

「おはよう」

いつものように伸ばした手は
行き場をなくして彷徨った
届くはずない君のもとへ

あの「さよなら」はこういうことだったの?

何で なんで 教えてよ
ううん、言わなくていいよ

僕も君にさよならするつもりだったから


「さよなら」を乗せた風
肌寒い雪の夜


「ごめんね」

残されるってこんなに
どうしようもない気持ちになるんだね

僕は間違ってた。君もそう。

あの日別れたその背中に
僕は何て言えば良かったのか?

僕は何て
言われたかったんだろう?

君が歩いていく先に
回り込んで抱き締められたなら

君はまだ隣で笑ってくれただろうか

あの時どうすれば良かったのか

わからないまま夢は終わる

「ごめんね」

後悔の溶け込んだ雨が降る
傘をさすことも忘れて
雨が身体に染み込むのに任せた

ずぶ濡れになってようやく気づいた

ひとつだけ言いそびれた言葉

一番先に伝えるべきだったのに

一番最後まで伝えられなかった


「ありがとう」

君に会えて
僕の知らない僕に会えた

君に会えて
「愛」とは何かわかったんだ

君に会えて

僕はきっと「幸せ」でした。


「ありがとう」


僕の頬を撫でる風には
もう春の匂いが微かに薫った


携帯電話のない世界


ふと自分の携帯の電話帳を開いてみる。

一体この中で今でも連絡を取り合ってる人は何人いるんだろう?

消してたくない人、消しても困らない人は、どのくらいいるのだろう?

数えてみたら数人しか連絡取り合ってる人なんていないって気づいて、自分の世界の狭さに嫌になった。

それでも消せないし、消さないのはその時の思い出を、あの時一緒にいたあの人の名前を忘れてしまうのが怖いから。

いつまでも記憶していられるなんて保証はないから。

人間は、忘れてしまう生きものだから。

自分も相手も。

きっと向こうは忘れていたとしても、交友関係の狭い自分には「記憶」の中で笑いあった人たちを消すのは嫌だから。

携帯なんて友達いなきゃ飾りだろうって思うこともある。

ネット以外で繋がりのある人など、ほとんどないくせに。

けど、やっぱり手放せない。

何でだろう。

電話帳の少なさも、狭い交友関係しか築こうとしなかった自分への後悔も、携帯がなければ気付かなくて、自分がいかに人を大切にしてこなかったか戒める為にあるのかな?

でも、そんな自分にも少ないながらもメールをくれる相手も、電話をくれる相手もいる。

その人たちへ感謝しなければ。

日常生活の中で流されて、忙しさにかまけて、見落としがちなその小さな「幸せ」の種を枯らさないように。

種は潜ってる間にこそ意味があるのかもしれない。

咲いたころには、もう散りゆく運命なのだから。

咲くまでのその間にこそ意味を見つけださなきゃ。

わかってはいるが、自分でもできちゃいない。

できる自分になりたい。


少し、携帯からずれましたが、今日の昼下がり悶々と考えた戯れ言です。


音楽の力

新潟県民会館 1/14.2013

昨日はAqua TimezのLIVEでした。

楽しくてあっという間で、楽しい時間はとても短かかった。

あの日、封じ込めた思い出の詰まった曲も、LIVEで聴くと暖かくて、涙に濡れたあの曲も、自然と笑顔で聴けて、だからかな、すごく軽やかな気持ちになった。

3年ぶりだったし、まだ2回目で、うまくのれてなかったかもしれないけど、会場がひとつになる感覚、とても幸せだった。

最後、太志さんが新潟が一番盛り上がったって言ってくれた。嬉しかった。

新潟に生まれたこと、自分として生まれたこと、何でこんな家族のもとに生まれたんだろうって、後悔もたくさんある。

何もかも上手くいかない日々に嫌気がさして、もういっそ生きることも辞めてしまおうかと思う時もある。

そんな気持ちに押しつぶされて、どうしようもない日はAqua Timezを聴いてきた。ずっとずっと。

私が生きてるのはAqua Timezのおかげって言っても過言じゃない。

昨日、心の奥から生まれて良かったって思えた。生きてて良かったって。

ありがとう。


LIVEが終わって、部屋で一息ついていたら、涙がこみあげてきた。

この涙はいつものあの、胸が苦しくなる涙じゃない。
もっと、暖かい涙。

幸せを噛み締めてやっと今になって消化してるんだと思う。

あめ玉を口の中で転がすように、余韻が心を抜けて、皆の笑顔が胸に刻まれていく。

私の思い込みかもしれないけど、太志さんがこっちに微笑んでくれた気がした。

私も、笑顔になった。
忘れかけていた笑顔を、この暖かい気持ちを、私はまだ忘れてしまった訳じゃないと気付けた。

幸せだった。

時は一度きり。

だからいいのかもしれない。

過去へ戻ることはできないから、「未来」へ馳せる思いが生まれるから。



だから、また絶対LIVEに行きたいと思いました。

Do I have a dream ?


ちょっと前から、職場に部署が違うので話したことはないけど、新人さんが来た。

まだ学校卒業してないのに、学校(たぶん専門)を辞めて来たそうだ。

本人の意向か、半分は社長のすすめらしい。

面接の日、社長はその子に「もう学校なんて辞めてくればいい」っていったと言っていた。

正直失望した。

詳しい話はわからないし、社長なりの考えはあると思う。

でも、その子が本当に後悔しない選択を出せるくらいの時間を与えてあげるべきだと私は思う。


学校にあがるためにかかったお金。学んだこと。学校にあがってまでしたかったこと。

ちゃんと自分と向き合ってからでも遅くないんではないかと。

私自身は、卒業後ニートを経て勤めてから、もっと自分と向き合えばよかったと気付いた。

「早く勤めなければ」が目標になって、何の為に働くのかを考える余裕もなかった。

「お金のため」?

多くの人が口を揃えて言う。

結局金がものを言う世界だから、身を粉にしてまで、やりたくもない仕事に推しつぶされる日々を送るしかない。

お金という通貨ができたから、人間は発達と同時に、大切な何かを落としてしまったんではないかと思う。

もので溢れかえった我が家を見ても、まだあれがないこれがないと不平を洩らすような。


じゃあ夢を追い掛けなよって言う人もいる。
夢を追い掛けて、手に入れた人もいる。

不平を洩らす前に、前に進めと言われるかもしれない。

けど、そうもいかない事情もある。

私なりの小さな夢物語。

一人暮らしがしたいという小さな願い。

本に囲まれた職場で働きたいという小さな願い。

ブックカフェを開きたいという大きな願い。

今のままじゃいけないと思うからすすみたいのに、進ませてくれない事実。

結局、金持ってたもん勝ちかよ。


諦めることのほうが、本当は覚悟がいることなんでしょうね。

何を書いてるのかわからなくなってきたので終わります。

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