ふと自分の携帯の電話帳を開いてみる。
一体この中で今でも連絡を取り合ってる人は何人いるんだろう?
消してたくない人、消しても困らない人は、どのくらいいるのだろう?
数えてみたら数人しか連絡取り合ってる人なんていないって気づいて、自分の世界の狭さに嫌になった。
それでも消せないし、消さないのはその時の思い出を、あの時一緒にいたあの人の名前を忘れてしまうのが怖いから。
いつまでも記憶していられるなんて保証はないから。
人間は、忘れてしまう生きものだから。
自分も相手も。
きっと向こうは忘れていたとしても、交友関係の狭い自分には「記憶」の中で笑いあった人たちを消すのは嫌だから。
携帯なんて友達いなきゃ飾りだろうって思うこともある。
ネット以外で繋がりのある人など、ほとんどないくせに。
けど、やっぱり手放せない。
何でだろう。
電話帳の少なさも、狭い交友関係しか築こうとしなかった自分への後悔も、携帯がなければ気付かなくて、自分がいかに人を大切にしてこなかったか戒める為にあるのかな?
でも、そんな自分にも少ないながらもメールをくれる相手も、電話をくれる相手もいる。
その人たちへ感謝しなければ。
日常生活の中で流されて、忙しさにかまけて、見落としがちなその小さな「幸せ」の種を枯らさないように。
種は潜ってる間にこそ意味があるのかもしれない。
咲いたころには、もう散りゆく運命なのだから。
咲くまでのその間にこそ意味を見つけださなきゃ。
わかってはいるが、自分でもできちゃいない。
できる自分になりたい。
少し、携帯からずれましたが、今日の昼下がり悶々と考えた戯れ言です。