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月夜に嗤う


 ただ、闇が広がっている。もうすぐ満ちる月の灯火は、ほんの僅かに温もりを与えてくれるけれども、遥かに闇が勝っているように感じる。
冷たい意識に飲み込まれてしまいそうで、彼女は黄金(きん)の瞳を伏せた。

「紗代」

彼女の名が呼ばれる。振り向くことも、視線を巡らせることもせずに静寂を纏っていると、もう一度名を呼ばれた。
優しさの裏に残酷さを含んだ、酷く不快な声で。
三度目に名を呼ばれたとき、彼女はようやっとその瞳を声の主へと巡らせた。

「何をしている?」

「話す必要はないわ」

「紗代」

 どくん、と心が悲鳴を上げる。たった一度だけ、それだけだったあの言葉を、目の前の男が口にするのが酷く腹立たしく、不快だった。
 黄金の瞳を細めて、長身の男を下から睨み上げる。長い睫に彩られた大きな瞳には、はっきりと怒りの色が浮かんでいた。

「翔火…私の名を軽々しく呼ばないで。不愉快だわ」

「名は大切な呪だろう。…あの陰陽師もそう言っていなかったか?」

「翔火!!」

 ぱしん、と乾いた音が夜の空気を震わせる。翔火の長い銀の髪が、ふわりと揺れた。
頬の痛みなど気にすることもない様子で、男は笑う。

「図星か? 無駄なことをいつまでも…難儀なことだな」

「……っ!」

 紗代の長い漆黒の髪が、翔火の手に掴まれる。ぐいと引かれて、痛みよりも悔しさが滲んだ。
涙の滲む瞳を、それでも逸らさない紗代の姿に、翔火は意地の悪い笑みを浮かべる。

「腹が減ったか」

「離して! いらない……っ……!」

腕を突っ張ってみても、びくともしない翔火の体。男と女であり、更に力の差も歴然だと、細い黄金の瞳が告げていた。
抗議も拒絶も、全て飲み込まれる口づけ。そしてそれは愛を示すものではなく、生かすためだけの行為だった。
入り込んだ舌から送り込まれる甘い誘惑。鮮やかな赤い色が瞼の裏に浮かんだのは、それが鉄の匂いを孕んでいたから。

――こうして、また生かされる。

 死にたい、殺してくれと、残酷すぎる言葉すら紡いだ。もう大切な人を手にかけたくないからと、泣きながら愛しい人に懇願したというのに。
 紗代は左手首の勾玉を見て、悲しそうに瞳を潤ませる。それをくれた人は、もういない。

 月夜に嗤う鬼の姿に、紗代は再び頬を叩いた。それが何の役にも立たないと、分かっていても。




人の血を吸う吸血鬼。
鬼と呼ばれた彼らの瞳は、闇をも弾く黄金の色。

彼らは闇をさ迷う
永久の眠りにつくその時まで









お題提供→倭姫さま
腹黒アリスの狂想曲


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