消えないかなしみがある。


生と死はイコール。

生きてるから死ぬ。だけど、受け入れられない。未だ抜け出せないこのかなしみは、きっと誰にも理解はされないだろう。なぜならば、それは、わたしが、このかなしみを理解して欲しくないから。このかなしみはかなしいままでいい。理由なんていらない。事実とかなしいと感じるわたしの心があればそれで。


考えてはいけないことなんだよ。それは踏み込んではいけない。禁忌。答えが見つかることのない永遠の課題は、誰も触れずにそのままで在るべきだ。それが、在るべき形。


生きてるとか死んでるとか、どうでもいいって思いたい。嘘

明日は誰がいなくなるかなんて、誰もわかりやしない。だから毎日やさしい人でありたいの。だけどそれができないの。今日いなくなれと願った人が、明日本当にいなくなったら、明日はやさしくしようと思ってたら今日いなくなったら
明日自分がいなくなったら

わからないんだよ。
わからないからわからないなりに頑張りたい。明日はやさしくなれる。なりたい。なりたい。


いなくなった人を今更想っても、何も変わらず、人はそれを皮肉という。
薄っぺらい。

誰かがいなくなるのを二度と見たくない。そしたらひとつしか方法はない。だけどそれもできない。そうだ、やっぱり世界心中をしようよ。前にも書いた気がする。みんなで一斉に、ハイ!

かなしみを味わいたくないから、逃げるの。意味の無いただの文字の羅列に気持ちを乗せたフリをして、本当は何も無いただの線だったりして、文字から気持ちなんてわかるはずないのに人は文字にしか気持ちを表せなくて、どうしようもなく泣きたくなる。

そんな夜。