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12月になり寒さも厳しくなったせいで

周りも私も体調を崩すことが多くなりました。

 

祖父は心臓に病を抱えていることもあり

ステロイドの薬を常時服用しています。

 

薬を飲み始めるまでは体調が安定せず

ぐったりとしていることも多かった祖父ですが

薬を服用し始めてから明らかに体調に変化が表れて

活発に動くようになりました

 

見ているこちらが少し怖くなるほど

元気はつらつとテンションが高く

食欲もしっかりとあります。

 

 

私の弟もステロイドの薬を飲むときがあります

アレルギーがあり、反応が出てしまったときや

体調がすぐれないときなどに服用するのですが

彼もまた、テンションが上がり食欲が増進すると言っていました

 

先日、ペットのトカゲが体調を崩し

病院で薬をもらいました

ステロイドでした。

 

見違えるほど元気になったのをみて

安堵する一方で薬に対する恐怖もあります

 

人間にも動物にもこんなに効果的に作用するということは

それだけ強い薬なのです

服用回数が多くなり期間が長くなればなるほど

なにか影響がでる可能性は高くなるでしょう

 

科学の進歩でさまざまな病気に対する

治療法が発見され医学はどんどん進歩します

 

そのぶん人間はますますひ弱になり

もはや私たちの自己免疫力や抵抗力はお飾り程度です

 

薬にすがるしかない今の現状で

薬が効かなくなること、副作用が出ることの怖さを考えると

私の大切な人たちが一秒でも長く

健康であるよう、願わずにはいられませんでした。

旅立ち

卒業式シーズンもひと段落

桜はまだのようですが入学式シーズンですね

先日出身高校の卒業式にお邪魔してきました。
小学校・中学校とハンパな時期に転校した所為で
初めて入学と卒業を同じ学校で体験できたのが高校でした。
アルバムをみて自分のいない時間を突きつけられずに済む
共有の思い出話についていくことが出来る

嬉しくて仕方なかった
同じ時間を過ごした事が それが当たり前であることが幸せでした
「そういえばその時いなかったんだね」
このなにげない台詞に何度傷ついたことでしょうか

自分の過去と現在と未来がバラバラで
どこにも帰る場所が無い気がして
自分の居場所を探し続けて

そんな中卒業した学校なので想い入れも強い高校で・・・

その高校を私の大切な人が卒業しました。
事情があり高校生活を4年経験した人なので
彼もまた想い入れは強いと語っていました。


その場にその日に立ち会えたことに喜びを感じる一方で
後悔の念が私を苛んでやみません。

大切な人の節目の日に立ち会えて 笑顔を見ることが出来て
幸せでした。とても嬉しかった。

でもそれは私から見ての観点であり彼からしたらどうでしょう?
同じ年齢でありながら学年的に1つ下の彼からしてみれば
一年先に同じ高校を卒業した私の存在は現実を突きつけるものでしかないのでは
時を同じくして卒業した友人たちと語らい別れを惜しむのに
私は目障りなだけだったのでは

結局自分の気持ちばかりを優先して出席を決め
相手の気持ちを何一つ考えられていなかった自分の餓鬼さに
悔しくてたまりません

もし当人に来て欲しいかどうかを尋ねれば答えは YES でしょう
まさか来ないでくれといえるはずも無く
本当のところはこちらが上手く空気を読んで察するしかないのに
なぜそれが出来なかったのかと後になってから後悔しています

節目の心に残る行事だからこそ
軽率な行いで場を濁すような事はしたくなかったのに
自分の行いは本当に正しかったのか
相手の本心はそこにあったのか
悩んでも悔やんでも今更答えが出るはずも無く

過ぎた事ばかり悔やんで次に生かすことが出来ない
私の欠点です。

お見送り

力をもつ意味って何でしょうね?

必要な人に与えられるなら
今頃世界は平和になっているでしょう

人を動かす力、傷つける力、癒す力

なんにせよ
力のほうが人を選んでいるのではないことは確かだと思います。
もし能力のほうが備わる人間を選んでいるなら
ちょっと悪趣味な輩が多すぎる、と
言わせてもらいたくなってしまいます。




本日は人を見送った後の後始末
といった趣の会合に参加してきます。

正直気が重いですね
予約したお店はご飯も美味しそうだし
みなさん根本的には
気さくでいい方なんですが・・・・。

人の本音、本性
そういった類のものが見え隠れするので
この会合は苦手です。
人を想う気持ち、悔やむ気持ち
そして忘れる速さ。
いろんなものをまざまざと見せ付けられ
あまりの人間臭さにくらくらするほどです。


欲望に正直な
多少子供のような側面がある彼らだからこそ見える
人と人のつながりの希薄さ。
目の前に居ない人間は
どうやったってこうやったって
やっぱり居ないんですよ、その場には。


以前教師の言葉に傷ついて
年上の友人に相談したとき
彼は珍しく「それはひどいね」と
えらく主観的な感想を述べました。

人の生き死にに関わる話だったのもあるし
彼と私の共通の友人の話だったこともあるとおもいましたが
彼でさえこれですから
人が死んだり生きたりすることは
周りの人間の感情をとても荒立てることなのだな、と
私は勝手に納得していたものです。


ところがその波は一番の当事者とその相棒以外には
あっけないほど一時的なものなんですよ

もちろん、引きずればいい
というものでもないでしょう。
こちらはまだ生きて呼吸をしてますからね
明日の飯の心配もしなくちゃいけないし
恋もするし、欲も出てくる。


けどね、心のどこかに
ちゃんと生きてるって漫画みたいな展開
あってもいいと思うんですよ
ちょっとくらい居させてあげたっていいじゃない
そう私は思うんです


結局は死ぬのが怖い臆病者の私が
自分が死んだときに忘れられるのが怖いからって
御託をならべて駄々こねてるだけ
なんですけどね・・・。

知るか知らぬか

某SNSにニュースとして
暴力ふるって云々という記事があがっていました。

それにたいして皆は
暴力なんて最低!
とか
技術職だからわかるが加減しろとか
言っていましたが


暴力反対!
とか
殴られて当然
と書いた人達は
殴られたことも殴ったこともないか
殴ったけとや殴られたことがあっても
殴る痛みや殴られた痛みを知らないんだな
って私は生意気にそう思いました。

殴る痛みを知ってる人は
めったに他人に手をあげないぶん
心を込めて殴り付けます。
言い訳などせず殴ったことを認めるでしょう。


みんな痛い思いしたことないんだな。
殴られるのも殴るのも
一番痛いのは拳でも当たった部位でもなく
こころの芯の部分なのに



世の中は幸せに生きてることを
悲観せずに受け入れられる人間で溢れています

私みたいに幸せにたえられず
醜い姿を曝すのは異端児でしかない


考えすぎなんです
わかってる、そんなこと


けれど考えずにはいられないんですよ
痛みを知ってるから
痛みを知りたいから


私の知ってる世界は狭い。
それでも私は苦しんでる


まだまだ最低辺は先なのにね



不幸な自分しか愛せない


そんな私は自分に対する
代理ミュウゼンハイム症候郡のようなものでしょうか??

バカですね
自分を幸せにするも不幸にするも
自分次第なのに


分かってはいるんですけれどね…

歴史は繰り返すというけれど…

まさにそれですね

また繰り返しています。同じ過ちを


身体と心をバラバラにしてしまうと
精神力のない私は
すぐにへたってしまうのは
わかっているはずなのに

いざそうなると昔の辛酸を舐めた記憶は何処へやら。
学習力のなさには
呆れ返らざるを得ません。

またこういう始まり方をすると
ろくな結果は出ないと知っているのに…


自分で自分の首を絞めているのですから
救いようがありません

なんてったって原因は自分なのです


相手に無駄な期待をして
自分を追い詰めるのは自分自身。
割り切れないならやめておけばいいのに
それすら出来ない

本当に愚かすぎて涙がでます。
こんな日記書くくらいなら
反省を次に生かすことくらい出来そうなのに
私の理性とか常識は薄氷より脆いんですね

ほんと、馬鹿の極みです。
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