悲しくなるほど静かな山中の小さな庵で、清正はずっと座って、眠る光秀を見つめていた。
ほの白い顔には何の表情も現れず、生きているのだろうかと心配になって、何度か口元に手をかざす。
微かに指に感じる息で、清正はやっと安心するのだ。
その状況に至るまで、苦しそうにうなされ続ける姿を見守るのも辛かったが、生きているのか案じなければならないのも、辛かった。
もう何日もそれを繰り返していた。
そして。
包帯に滲む血の色もだいぶ薄くなってきた頃になって、ようやく、涼やかな瞳がゆっくりと開いた。
「気がついたか。良かった」
心からの安堵。
嬉しさを隠しきれず、清正は弾む声でそっと布団をかけ直してやった。
「まだあまり動くなよ。傷に障るからな」
布団を直すついでに髪を撫でたり、額に軽く浮かんだ汗を拭いてやったりなどする。
細々と世話を焼かれる内に、徐々に状況を把握したらしい光秀の瞳に涙が浮かんだ。
「…」
「どうした? …泣くな。泣くと体力を使うぞ」
言い聞かされても、光秀は黙って涙を溢し続ける。
一瞬迷った後、清正はそっと光秀の細い体を抱き上げた。
しっかり横抱きにして、自分の胸に頭を凭れさせる。
素直に伝わる体温と胸を濡らす涙の熱さが、不思議と嬉しかった。
まだ俺に抱かれて安心してくれるのかと、清正も少しだけ泣きたくなった。
「…して」
ふと、清正の胸の中で小さく呟く声がした。
「何だ?」
流れる髪を、抱きしめた背中を、優しく撫でながら清正は聞き返す。
今度ははっきりと聞こえた。
「殺して下さい」
徐々に錯乱しかけているのか、朦朧とした声が大きくなっていく。
「嫌だ…、私は、生きていない方がよかった。もう、苦しい、殺して」
空に向かってぱたぱたと力なくもがくか細い腕。
それをそっと掴んで動きを止めさせ、清正は顔を伏せて呟いた。
「そうだよな…、ごめんな。それでも俺は、お前に生きていて欲しかったんだ」
全て失って謀反の大罪を背負い、今後の一生は日陰の身で。
武士らしく潔く散ることも叶わなかった。
そんな惨めな気持ちを味わわせることになるとは分かっていた。けれどもどうしても、清正には殺せなかった。
だから助けてしまった。自分ひとりの、勝手な一存で。
「もう何もしなくていいから。ただ、居てくれたらそれでいいから」
優しく抱きながら言い聞かせる。
もがいていた体が、ふっと大人しくなった。
「大丈夫か?」
「…」
清正の胸につけていた顔を上げ、銀髪の下にある瞳を覗きこむようにしながら、光秀は懸命に訴えかける。
夢うつつの声色に、以前の冷静さはなかった。
「私は何も出来ません。何もしないでいるということすら、出来ないんです。全部壊して…私の、皆の大事な物を、全部、自分で、壊してしまう」
「出来なくていい。俺が全部守る。だから生きていてくれ」
真摯に言う清正を見つめて一瞬合いかけた光秀の瞳の焦点は、すぐにまたぼうっとぼやけていく。
「嫌…いやだ…」
そこからはもう、涙と妄言が続くばかりだった。
元親殿、信長様、秀吉、謝罪と恨み事が交互に脈絡なく溢れる。
きっと正気でいない方が楽なのだろう、そう考えて清正は敢えてそれを止めずに光秀を優しく布団に寝かせた。
「いいよ、狂いたきゃ狂っちまえ。それでも俺は、側にいてやる」
その言葉も、もう届いているのかどうか解らなかった。
光秀の瞳は清正を見ていない。
焦点の合わない瞳はただひたすら真上を見つめている。
現世のものは、もう、見たくないのかもしれなかった。
「…早く傷が治るといいな」
清正にはそれ以上望むことはなかった。
「元気になったら、またどっか、綺麗な花でも見に行こう」
何を言っても返事はない。
光秀は見えない何者かと話をしているだけだ。
それでも良かった。
生きてさえいてくれたら、それ以上に願うことはない。命を救う時に、そう決めていた。
「早く、治るといいな」
撫で続けた黒髪。その持ち主が早く元気になってくれたら、と、それだけが清正の願いだった。
正気でも狂気でも、その存在を感謝して受け止めようと決めていた。