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6ヶ月。



6月11日、半年記念でした *^^*



カフェでおひるごはん *




そのあと、
かれしさんが行きたがってた
新しくできたカフェを探して
ぷらぷらお散歩。

(そのカフェは定休日なので
とりあえず様子見に ◎)


カフェみつけて
"またいこうね- *^^*"
って話していたら

小道ににゃんこ発見。

ふたりで
ひたすら愛でました *´`*





にゃんこもぺったり *^^*



そうこうしてるうち、
飼い主のおばさんがでてきて

しばらく3人で
いろんな話してほっこり。


おばさんに
"また遊び来てね〜 *^^*"

って見送ってもらいました。



またてくてくお散歩してたら
今度発見したのは
ぬいぐるみのギャラリー。

展示されているぬいぐるみと
そこにいた子どもに癒されて

(ふたりして子どもに
手をふってきました *^^*)


さらに2匹のにゃんこにあって、
帰宅しました ◎



"半年記念は猫日和だね ◎"
とかれしさんがいって

"ほっこりのんびりできたね〜 **"
とわたしも返して

ふたりとも満足な
半年記念でした *^^*




半年で
大阪いって 京都いって
ディズニーいって
下北沢いって 横浜いって

こないだはスカイツリーの
ソラマチにある水族館いって




ほんとあっという間。


"あきのおかげで
半年あっという間だった ◎
楽しかった *

これからもよろしくね *^^* "

っていってもらいました。



かれしさんはかなり社交的で
わたしは人見知り気味。


だけど雰囲気が似ていて
一緒にいてほっとする **


お互いやさしくしあえます ◎



半年前よりすきな気持ちが
大きくなりました ◎


半年そばにいてくれて
ありがとう **


これからも
よろしくお願いします *^^*





しみ




いろんな団体で発言したり
セミナーでグループワークするたび
毎回痛感する。


集団になると成員に
自然と振り分けられている役割。


"司会をするひと"
"脱線を修正するひと"

"受動的なひと"


わたしは大抵
最後の立ち位置。




過去のも合わせたら
ボラ団体4、5つ参加して

セミナーや講座にも参加して、

大学院勉強会に参加して、

文化祭実行委員に参加して、


4年間かけて
すこしでも改善されたと思いたいけど、
実際は同じ場所で
足踏みしてるだけなのかもしれないな。




集団での立ち位置こそ
成育歴が顕著に
反映されるんじゃないかと
最近感じる。


小学校で、中学校で、
高校で、地域で…


いつからか "教室"には
ヒエラルキーみたいなものがあって

自分の立ち位置から外れたら
なにかしらのペナルティーが
環境から与えられる。


そんな中で5年、10年と
生活して"社会"を学ぶと

それが自身と環境との関わり方、
環境が自分とどう関わってくるのか
内的作業モデルが出来てしまう。


"受動的" "人見知り"


自分を守るための
自分なりの外界との付き合い方。



だけど "教室"がなくなって
ヒエラルキーから自由になると
今までのルールが通じなくなって

目の当たりにしなきゃならないのは
ただただなにもできない自分。


"意見がない"
"意思表示ができない"
"集団での立ち位置がわからない"



なんの縛りもない今は
"わたしってこんな人間"っていう
思考がいまの行動を作ってる。





なんで立ち位置の明確でない集団で
発言する事ができないのか。


つきつめていくと
"ひとがこわいから"だ。




立ち位置が明確な集団
=慣れている集団

→ある程度の信頼がある集団




新しい団体でなら
新しい自分を演じられると思った。

でも毎回大して変われてない。



きっと根本が変わってないから。

ひとを信用できない。

いつ傷つけられるかわからないから、
ひとがこわい。


自己評価が低いから
嫌われることが前提で
初対面のひとと付き合う。



ひとはすきだけど
好きになるまでに時間がかかる。


最初はいつだって
どこかでそのひとにおびえてる。




こんな人間が
カウンセラーになれるのかな。




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