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11月の記録。



酷い1ヶ月を記録。



11月1日:夜に娘がグズり出す。39度からの熱。
目と腰が痛いと言い、目が見えなくなるんじゃないかと心配。

2日:深夜座薬を使っても37度代に一瞬なっただけで38度代の熱が続き鼻水も止まらず。
日曜日の為に掛かり付けの小児科はお休みで当番医へ…初受診
急性胃腸炎かな便秘かな?
と、曖昧な診断ではあったけど浣腸してもらい便を出したら37度代に。
喉も赤いとの事で喉と鼻水の薬・整腸剤・吐き気止めの薬を貰い一安心。

3日:昼間は36度〜37度代前半の熱。
鼻水は止まらないが元気。
咳が出る。
この日から生後10日未満の息子に咳をぶっかけまくる。
夜になると熱が上がり38度代に。

4日:夜に熱が上がった為、日曜日に受診した小児科へもう一度受診。
同じ薬を追加と抗生剤を出して貰う。

5日:鼻水が止まらず咳が出る。夜に高い熱が出る。

6日:良くならないので、午前中に掛かり付けの小児科に受診。検査の結果
『RSウイルス感染症』と診断。
気管支炎一歩手前と言われる。
一歳未満の子供がかかると重症化する。
家族にうつって集団感染を防ぐべく
娘は相方と離れのお家の部屋へ隔離される。
息子へ咳を浴びせるサービスがやっと終わった。
息子も朝から鼻水がズビズビ、熱は無いけど午後一番で同じ小児科に一応受診。
今のところ問題無しと言われるが家族バラバラの生活が始まる。

7〜9日:娘の熱は落ち着いたみたいだったけど鼻水で眠れない日が1日から続く。看病している相方も眠れない。
私と息子はワイドキングのベッドを占領。
息子も綿棒で取れる程の量だが緑色の鼻水が出る。

10日:息子7度前半の熱。小児科へ。
『RSウイルス感染症』と診断。
この頃には娘以外にも私も相方も鼻水と咳が出ていたので感染源はいくらでもあった。
赤ちゃんはあっという間に重症化するとの事で
大きな病院へ紹介状を書いて貰い午後から入院。
これから症状が進み肺炎か気管支炎になるでしょう。
と冷静に脅される。
24時間の点滴と1日3回の抗生剤の注射と2回の吸引
私も息子と一緒に病院泊まり

11・12日:鼻水が詰まりズビズビする息子。
看護師さんを呼ぶとチューブを鼻に刺され鼻水を吸い取られる。回数を重ねる毎に泣き叫ぶようになる。
明らかにストレスになっていた。
自分で何とかしてあげたくて
市販の『ママ鼻水とって』って感じのネーミングの鼻水吸う道具で吸ってみるとジュルジュル吸えたので一人で頑張る事にした。
明日退院しても良さそう。と、担当の先生に言われる。

13日:退院予定だったが咳が出はじめて延期にしてもらう。点滴外れる。
入院中は毎日娘と相方が食料を持って来てくれた。
娘は鼻声と鼻水は少し残るものの元気な様子
ただ、物凄い焼きもちと独占欲と神経質になっていた。
夜はまだ寝付きが悪いみたい。
相方は娘を羽交い締めにして薬を無理矢理飲ませていた事もあり、だいぶ嫌われている様子。ぐったりしていた。
お陰で娘は悪化する事がなかったので感謝感謝。
私も夜に高熱が出たり体調が悪く、息子と一緒に入院状態。
折角病院にいるので耳鼻咽喉科を受診させて貰う。
レントゲンまで撮って頂き『畜膿』と診断。
小児科の先生や看護師さん達も
病室に入って来て一番、まずは私の心配をする状態。情けない;;

14日:息子、悪化せず退院。熱も入院中は37度前半からは上がらない。鼻水と咳は続くがおっぱいは相変わらずがっついてきてずっと元気。

15・16日:やっと家族揃っての生活に戻る。

17日:経過観察で病院へ。鼻水は出るが問題無し。痰切りの薬を1週間分出して貰う。

18〜22日:娘は鼻声も鼻水も治り元気。アイスがお気に入り。ご飯もりもり食べる。息子も朝方は大量に鼻水が吸える以外は順調に回復。

23日:義祖父母の金婚式のお祝いにまぜてもらう。

24・25日:娘が毎日一日中アイス星人以外は一応平和

26日:息子の1ヶ月健診で産院へ。平均より体重が増えていた。ビタミンKシロップを飲むのに哺乳瓶を使ったみたい。
完母の子は普通、哺乳瓶では吸わないのに、勢いよく吸ったと笑われる。
家に哺乳瓶はない。産後3日間は使っていたので、間違いなくそれ以来の哺乳瓶。
さすが我が子!
RSウイルスにかかってこれだけ母乳で体重増えてて元気なら問題無い!
と、言い切られる。
2ヶ月からの予防接種面倒だけど頑張らなきゃ!

27〜30日:やっと大きなトラブルやハプニングやサプライズやイベントのない日々が過ごせた。


以上。

生きた心地のしない1ヶ月でしたOrz;;

自分もしんどいはずの相方が文句一つ言わず一人で病院に娘を連れて行き
一生懸命看病してくれたお陰でなんとかなった気がする。
ホントに本当に感謝。

あと、娘を隔離しなきゃならなくなってからやっと協力してくれるようになった義家族の皆さんに
最初は信じられなかったしかなり頭にきてたけど
結果、愚痴は言ってたみたいだけど手は貸してくれたので
とりあえず感謝。

その後は娘をよく面倒みてくれるようになったので
とても感謝です。


娘が一番辛かったし頑張った11月でした。
ちゃんと治って良かった。
今月は
素敵なクリスマスと年末が来ますように!(切実)

母子同室・入院生活#2


#2

我が子との母子同室や入院生活を記録してみる。



産後3日目
この日も朝から豪華なご飯だった。

夜中からそれまで乳を吸わせていたので
かなりお腹が空いてた。

食堂で入院中のママ達と一緒にご飯を食べる産院だったので、ご飯が多めに入ったお櫃を前に
食欲とおかわりする恥ずかしさが対決して
結局恥ずかしさが勝っておかわりは我慢した(笑)

今日は乳を出さねばミルトンは残り1つ…と焦ったのでよく考えてみた

初産の人は5日間入院
使えるアイテムは私と同じ
哺乳瓶×4
ミルトン錠剤×4
母乳はすぐには出ないし
変わりにミルクをあげなきゃならない。

ミルトンが圧倒的に足りないのはおかしい。

って事でミルトンについて調べてみたら
消毒液を一度作ったら24時間使える事が判明して長いため息が出た( ̄∀ ̄);;
翌日、退・院ですけど-☆

母乳がどのくらい出ているのか計るのに
@はじめに赤ちゃんの体重を計る
A母乳だけ飲ませる
Bもう一度赤ちゃんの体重を計る
そして増えていたグラム数を母乳の量と考える。
らしいのだけど
3日目
朝8時時点で22g出ていた。

必要量は
両乳で40g以上

時間が解決してくれる。と思った。

それからはミルクを一度も作らなかった。
折角ミルトンの使い方を覚えたのに哺乳瓶を返却するのに消毒するだけだった。
1つ残った錠剤は家では使わないので
置いて帰る事にした。
持て余したほほえみミルク(固形4個×5袋)×2箱と
開封した箱の残り3袋は
娘のオヤツとして貰って来た。
今思えば、入院中のミルクや混合で頑張るママにあげてくれば良かったなぁ。って思った。


母乳は血液からできるらしい。

栄養ある物を食べて、水分を沢山とらなきゃならない。

って事で、
相方には出産後すぐにジュースを沢山買って来て貰ったり
3日目には夜食が足りなくて、パンをどっさり買って来て貰った。
水分もマメにとり続けた。

19時、母乳量44g

貸し出された哺乳瓶を完全封印。
嬉しくて涙が出た。
我が子のほっぺにキスをしたら眉間に皺を寄せて顔をプイッとされて凄い嫌がられたOrz

まぁいいさ、どんなに嫌がろうと
これから当分は
その拒否した母親から出る乳で腹いっぱいにしなきゃならないんだからな!(`・ω・´)

もう後陣痛も消えていた

いつも時間になってもまばらなママ達が
その日の夕飯は、呼ばれてすぐに皆集合していた。
野菜チップスと生野菜のサラダ
ビーフシチュー味で柔らかく煮込まれた
ステーキ肉のような厚みと大きさの牛肉。
その他スープとデザートと飲み物付き
皆揃って『豪華ー!』って笑った。
(携帯不調の為に写真撮れなかった)
その日同じテーブルだったママ達と
楽しくワイワイ豪華な夕飯を食べた。

1人目の時は
個室は一緒でもご飯は部屋に運んでくれるから
自分以外にどんな人が入院してるのか解らないし、話もできないし
同じ階には
出産前の妊婦さんが1人
妊婦中のトラブルか何かで入院していただけだったから
赤ちゃんの泣き声もうちの娘の声だけだったし
完全に隔離されているようだった。

ので、今回は
オープンな感じが新鮮で楽しい入院生活だった。
廊下を歩くだけでテンションが上がった(笑)


産後4日目
経産婦は4日目で退院。
14時迄に出れば良いそうで
折角の大安だったし午前中に退院する事にした。
朝御飯はキッシュと焼きたてのベーグルとバターロールが出てきて
最後まで本当にレストランだった(笑)

朝食時に

お昼は
『鰻丼・牛丼・ネギトロ丼』
から選択

って言われて

勿論鰻丼が良いけど帰るんですけど!?って思った。(´・ω・`);

結局帰るのでお断りした。

我が子は産院最後の沐浴へ連れて行かれた(笑)

母子同室になった日から思っていたのだけど
我が子の頭がどこか懐かしいイイ匂いがした。
沐浴指導で知った事実は
ミューズの固形石鹸で頭や顔・全身洗われていたようだった。

学校の水道にミカンネットに入れられてぶら下がっているような石鹸様…
そんなんで洗って大丈夫なの?って不安になったけど
赤ちゃんの脂を落としてあげるのにとても良いそうだ。

実際
家に帰ってからは、ミューズは気が進まず
沐浴時は赤ちゃん用の泡のシャンプーで洗ったけど
一晩で頭は脂でテカテカ
顔や体にはニキビみたいな赤いポツポツができてしまったので、効果はあるんだと思う。

退院前ギリギリで母乳を計った。
右5分左5分吸わせて

94g

ガッツポーズで退院した。

本当にお世話になった。


前の産院は人気もあり評判も良かった

けど、私には合わなかった。

先生はとても素敵な先生だったし。
入院中のご飯も割りと豪華だったし祝膳もあったし(笑)

けど出産後は全く別の病院のように最悪だった。


今回の産院は
出産費用も安くて、先生も気さくで
助産師さんが皆、本当のお母さんやお姉さんのように一生懸命丁寧にしてくれて
でもって
外観や内装がホテルみたいで食堂はレストランで
受け付けの人も親切で
お掃除のおばちゃんも優しくて
最高だった。


相方と娘が迎えに来てくれて
母子揃って無事に皆でお家へ帰った。
帰ってからは完母で育児真っ最中。
2人目は
腹減り以外滅多に泣かない子なので助かっている( ̄∀ ̄)
とてもマイペース。


因みに
ミルクの前に空でも必ずおっぱいを吸わせてから哺乳瓶を使う事で
母乳が出るまでの数日間は哺乳瓶でも、巻き返せる。
赤ちゃんと言えどやっぱり賢く、
吸えば簡単に出てくる哺乳瓶で欲しい。
と泣かれたりするけど;
吸って幾らかまとめて母乳が出るようになれば、
哺乳瓶を忘れてくれるみたい。
哺乳瓶だけガンガン使っていれば確かに母乳育児は難しくなるかもしれないけど
お腹が空いた!と泣き散らす赤ちゃんに完母だと言い
哺乳瓶でミルクをあげない程、神経質になる必要は無いと思う。

赤ちゃんの性格や個人差
ママのやり方や母乳の出等で左右される部分もあると思うけど
少なくともうちの2人目は
そんな感じで哺乳瓶をすっかり忘れて母乳へ簡単に移行できた。


とにかく!
これからが本番で日頃の育児に
赤ちゃんの健診やら予防接種やらで2歳までは大変になるし
やんちゃ娘のお世話も同時進行なわけで
想像不能な毎日を頑張って乗りきろうと思う。


そして今後はその様子等を綴って行きたいと思っています^^
勿論、オタク活動も(^ω^)


#2 産後3日目〜4日目(退院)

母子同室・入院生活
まとめ 終わり。

母子同室・入院生活#1


#1

我が子との母子同室や入院生活を記録してみる。



出産当日
2人目出産当日は
病院のスケジュールで
赤ちゃんはナースステーション内の新生児室で一晩過ごし
お母さんはゆっくり休んでね。と
部屋で1日一人でゆっくり過ごすようになっていた。

完全個室なので無音。
TVの電源の入れ方が解らないので、尚更無音。
早朝出産だったので長い間無音。

廊下や隣の部屋から人の声が時々聞こえたりガタガタっと音がするだけ。

2人目だからか、1人目の時は気にならなかった
後陣痛と腰痛が酷くて酷くて
お産は終わったのに陣痛の痛みがランダムで続いているので
どんな体勢で横になろうが痛みで寝付けなかった。

あと、自分はデリケートの「デ」の字も無い人間だと思っていたけど
環境が変わったせいで
この日から退院まで、赤ちゃんがいくら寝ようと
結局満足に眠れなかった。

娘の時は
出産直後から母子同室・母乳育児スタート
初産で初めての事でいっぱいいっぱいで
出ない乳を見よう見まねでひたすら吸わせて乳首の皮はズル剥け。
それでも泣きながら
苛々して相方に当たり散らしながら1日中吸わせ続けた。

産院からミルクは貰えず
『泣いて可哀想だからミルクが欲しい』と
私や私の母が看護婦さんにお願いしても

「哺乳瓶を覚えるとおっぱい吸って貰えなくなるよ」

と、脅され
母乳がでるまでの丸々3日間は
娘はお腹が空いても空乳を吸わされるだけで
ずっと腹ペコで泣き続けていた。

とても可哀想だった。

今考えただけでもブルーになる。

よくよく考えるとミルクが無い時代では当たり前な光景だったんだろうけど
精神的にキツかった。
評判が良いと知り自分で選んだ産婦人科だったけど

母子同室・母乳推薦

って言葉にトラウマになった。

今回赤ちゃんは新生児室。
腹が減ったー!と泣けば
係の人がミルクをあげてくれるだろうから
私は私にできる事をしなくちゃ…と思った。
例えば前回の嫌な思いを踏まえ
1日でも…1時間でも早く母乳が出るように
おっぱいマッサージ とか。

でも結局おっぱいなんぞ一度も触らず怠けてずっと横になってた。
って言うか、痛くて動けなかった( ̄∀ ̄);

全然眠れなかったし
娘や相方と離れて過ごした一晩は、そりゃもう寂しくて寂しくて仕方なかったけど
豪華で美味しいご飯もあり、それでもなんとか翌日は
「今日も頑張るぞ!」
なんて気になれた。
って言うか、退院までずっと毎食
ご飯は何かなぁ!(*´∀`*)
って言うワクワクな気持ちでいっぱいで頑張れた(笑)

なんてったってレストラン並の豪華な食事が朝・昼・晩、約束されてて
オヤツや夜食も出るわけで。
ボリューム有りの
味付けも病院らしからぬ
しっかりした味付けで
出産直後の朝ご飯から残さず頂いた(^人^)-☆
写真は携帯不調の為に撮影できなかった;


産後1日目
朝から自分の診察や指導で産院内をあちこちフラフラ
娘の時は自然分娩なら出産翌日からシャワー可能だったので、順番を待っていたけど
入院中のスケジュールを見たら、シャワーは産後2日目からだったOrz
分娩と夜中に尋常じゃない程汗をかいたので、早く汗を流したかった。
で、この日の13時の母乳指導後、赤ちゃんを部屋に連れて帰って

母子同室スタート!

母乳指導時点では乳なんぞ一滴も出なかったので、
とりあえず、刺激として乳を吸わせてから
ミルク40mlを作ってあげた。
赤ちゃんのオムツのかえ方は知ってても
1人目の時は哺乳瓶を一度も使わずに育てたので
哺乳瓶でミルクをあげるのも、作るのも初めての経験だった。
ミルク40をがぶ飲みした我が子は、信じられない位ぐっすりしっかり3時間眠った。
これも娘の時と比べたら大違い…って言うか、ありえないわけで
『ミルクすげぇっっ!!!!(`・∀・´)』
ってなった。
それから、母乳出すぞー!!!って思って
我が子が寝ている間はできるだけおっぱいマッサージしてた。

ミルクを哺乳瓶で作って思った事は、

後処理面倒くさい。

洗って消毒液に付けて…って
消毒液は皆さんご存知の
ミルトン様だったけど初めて使うものなので
一回使う毎に捨ててた(笑)
後で調べて知ったけど、一度消毒液を作ったら24時間は使えるそうです。
(※効果は時間が経つに連れ薄れる)

・貸し出された哺乳瓶は4本
・手に入れたミルトン錠剤は4つ
(水2Lに対して錠剤1つで使用)
・2Lで一度に消毒できる哺乳瓶は3本
・消毒1回で使い切り(だと思っていた)
・1日の授乳は最低でも8回

から計算…は
知能の問題でできなかったので、勘で導き出せたのは

入院生活4日間で錠剤4つは絶対的に足りない

即ち、消毒無しの哺乳瓶を使えないので
早く母乳を出し、母乳だけでお腹を満たしてあげなくてはならない。

と言う事。
(ミルトンを今後使う保証がないので買う選択はない)
焦ってまためちゃめちゃに空乳を吸わせてマッサージしてなんとか母乳を搾り出そうとしたら…
左乳の乳首の先に水膨れが出来てショックを受けた。
でもまぁ、流石に出産8ヶ月前まで1歳過ぎの子供に吸われても耐えていた乳首
その他は全然問題無いと言うか
新生児の吸引力などでは吸われてる感覚すらない!(´V`;)
前回は裂けても吸わせてたから、良くなるまで1ヶ月以上は余裕でかかったもんな。
その間は良く飲む子だったので1日20回位の授乳で
毎回悶絶もんの痛みを耐えて乳首をくわえさせてた( ̄H ̄);
今回はその地獄が無いと思うだけでほっとした。


産後2日目
待ちに待ったシャワー!
なんと!2日目だけは
シャワーの前に助産師さんがシャンプーしてくれるサービス付き(笑)

シャワー室には
美容室とかにある自動で後ろに倒れるシャンプー用のイス
シャンプー用の洗面台
高級そうなボトルに入ったシャンプー一式
大きなマッサージ機
毎日日替わりで変わるアロマにハーブティーが用意されていた。

エステか何かですか?
と、一瞬付いて行けなくなったけど、
有り難く堪能させて貰う事にした(^O^)

シャワーで体を温めて
ハーブティーを味わう事なくがぶ飲みして
聴力検査を兼ねて預けていた赤ちゃんを迎えに行き(検査では異常無し)
部屋に帰り
再びおっぱいマッサージを始めた。

そんな事をしていたら
乳腺が貫通。
透明の液体がほんの少し滲み出てきた。

明日の朝方には母乳だけで足りるようになるかも!

なんて勝手な事を思いつつ
自分でも引く位真面目にひたすらおっぱいマッサージをしたり、搾ってみたりした。

娘の時は
乳腺が貫通して、摘まむとじんわり染み出るようになった時
私も母乳が出るんだ!
と、ほっとして嬉しかったのを思い出す。
母乳出てるから
"すぐに"これでお腹を満足にしてあげられるとも思っていた。

30分は搾った。結果
コップで飲み物を飲んだ時にわずかに底に残る液体程度しか搾り出せなかった。

娘の時を思い出して絶望して涙が溢れた。

乳腺が貫通したあの時
喜んだ自分が確かにいた。
でも実際は
赤ちゃんが満足できる量のミルク40mlには遠く及ばない。
40mlなんて大人だと
うがいするのにも足りない微妙な量で
それすら出ない。

きっと
あの時も出ていなかった。

30分必死に吸っても味さえしないおっぱい。
片やおっぱいは出ていると思っていた自分。

産まれてすぐから
おっぱいにひたすら吸い付き、出ないと泣いて眠れないでいた娘を思い出して
申し訳なかったと涙が止まらなかった。

その日の夜は長かった。
おっぱいを出して、それでお腹を満たしてあげなきゃならない勘違いで
ミルクをケチり
日が昇るまで乳を吸わせ続けた。
何度か挫けてミルクを飲ませはしたものの
私の睡眠時間はその日1時間程で
赤ちゃんが寝付いた後もおっぱい揉んで搾って…

結局おっぱいだけで満足にはできないまま
朝御飯になった。





長くなるので
3日目と4日目は別にまとめて書きます。

#1 出産当日〜産後2日目

誕生!

産まれました\(^ω^)/



スピード安産でした!
妊娠記録もこれにて一段落です。……で、
終わりの予定が……


結局、
一番恐れていた自体が最後の最後で発生しました(恐怖)
それも含め以下長文出産レポートにします。


・39w2d
午前中の健診(助産師外来)では腹部エコーとSNTで赤ちゃんの様子を見て終わり
エコーでの推定体重は
約3080g
正直、3000g(±200←平均的な誤差)なら
「ちょろいわー!1人目3400gあったんだぜ!」
なんて思った。
身長が低い割には立派な子を産んだ。と毎回助産師さんに言われてたので、
その時健診で担当してくれた助産師さんは
「今産まれたら上の子大きかったからチュルンって産まれそうな大きさだね。"丁度良さそう"
今回は上の子程大きくはならないでしょ。」
そしてお腹に
「もう産まれていいんだぞー!おーい!出ておいでー!」と、エコー中ずっと優しく話しかけてくれてた。
今思うと
娘の時に一度痛い目みている"丁度良さそう"に警戒すべきだった。


その日は娘が別人のように聞き分けの良いイイ子さんだった。
健診へ行くのに送り迎えしてくれる相方の車から私だけ降りた際も
普段は自分も行くんだー!と大泣きするのに
バイバイと手を振って送り出してくれた。
家では、下駄箱から勝手に長靴をはいて外に行く準備をしていた娘に
「今日は雨が降ってるからお外へ行けないよ。」
と言ったら素直に長靴を脱いでお家へ戻った。
夕飯も珍しくガッツリ食べたり
就寝前もとてもご機嫌な様子のまま眠りについた。
何だか凄く大人になったようだった。
-お姉ちゃんになったみたい-
だった。

そしてそんな中
・22:00位
腰に軽い生理痛の様な痛みが出てきた。
何となく
『産まれる』気がした。
なんたって翌日から4日間は大潮。
満月や台風の日やそれ前後はお産が増える。って言うようで
(新月は逆に減るとか)
大潮に天気は雨降りと来たら…なんて思った。
実際、相方は台風の日に産まれたそうだ。
痛みは既に大体10分間隔だったけど
弱い痛みなので寝る事にした。
気にしないつもりが返って気になって眠れるわけがない!(笑)

・29w3d 1:00位
間隔を見ながらウトウトしてたら少し痛みが強くなった。
やっぱり痛みと痛みの間隔は10分位。
中には2分になったり7分や8分になったりする事もあったので陣痛かどうか疑わしかった(´H`;)
経産婦は15分〜10分間隔
になったら産科に連絡しなきゃならないらしい
でも痛いと言えど
スーハーと呼吸すれば耐えられる痛みだったし
夜中に2歳の娘とやっとグーグー寝付く事ができた相方を起こして産科に無理に行って
『本陣痛じゃなくて前屈陣痛だね。帰っていいよ。』
とか
『産まれるまでまだまだ時間かかるね。(結局そこから半日以上)』
とかだったら
申し訳ないと思い一応我慢(笑)
3時まで我慢してたら
パンツに何か染みた感じがした。
破水ならヤバいと思いトイレへ行ったら
赤い血が付いていてギョッとした。

娘を妊娠時、「おしるし」が出たのは
陣痛に気付き産婦人科へ連絡して病院へ着いてから

完全に初産の時と連絡が遅れている事にやっと気付いた。

ので、着替えて準備開始。
いつお産になっても良い時期に、私が相方が眠るベッドの足元でガサガサ着替えていたのにも関わらず
全く起きる気配のない相方に「強者」を感じた^^

・4:00位
5分間隔を1時間耐えた。
余裕がある痛みでまだ疑いつつ病院へ連絡。
「すぐ来て下さい」って事で
相方を起こして準備して娘を連れて病院へ出発。
LDR室へ即案内され
そこまで自分で歩いたし着替えて、荷物からタオルや飲み物出したり
「微弱陣痛ってやつで、まだまだかかるかも」
なんて自分では思ってた。
子宮口は健診で1cm開いてる。って言われてた。
経産婦だからいつ産まれてもおかしくない。とも言われてた。
分娩台に上がって診察したら既に5cmになっていたそうで
助産師さんの予想より進んでた展開で慌ただしくお産の準備がはじまった。
申し訳ない。
その間に陣痛がうめく位の痛さになる。
助産師さんが背中を押してさすってくれて楽になる。
娘の時は付きっきりでそんな事してくれなかったもんなぁ( ̄∀ ̄)
「押したりさすったりだけでこれだけ痛みが違うの!?」と、感動。
その後も準備しながら面倒みてくれて
不安だった産院選びは「成功」した。と確信した(笑)
それと同時進行で
子宮で定着した胎盤の位置が普通より下目なので、大量出血に備えて点滴を確保したいと言う事で点滴をうつのだけど
お約束の
<血管見つからない>問題
助産師さんが新たに2名追加され3人で血管を探し出す。
陣痛の痛みに耐えつつ
温められたり叩かれたりした腕を押さえられ
「どこ射す?」「どっち出そう?」「好きな方どうぞ」なんて恐怖の会話が聞こえて来たけど、一回で入れてくれました^^;
その間も助産師さんがお尻押したり背中さすっててくれて心強かった。
ありがとうございます!
余裕あった陣痛の痛みも本格的になって来て
点滴の騒ぎの間に子宮口は7・8cmに。
破水を待ってたけど、体力あるうちにお産しよう!
と、助産師さんに破水させて貰った。
少しずついきみ出して子宮口9cm
産道にデカイ何かが挟まり下がって来るのが解った。
「待った!やめたい!やめたい!」
なんて思っても、既に遅く。お腹の張りの度に出口目掛け赤ちゃんの頭が下がるのが解る。
子宮口全開。
時折胎動でビクンと動いているのも解ったり、
痛みといきみたいのとで平常心ではいられない。
でも今回は娘の時より小さい赤ちゃんで楽なはずだから!と、一生懸命いきむ。

「何だか様子がおかしい」

と思った時には赤ちゃんの頭が見えてるよー。って言われた時。
腰と産道に情も容赦も無い激痛。
「おかしいな。この痛みは前に1度…2人目がいくらチュルンでも、この痛みは変わらないものなのかよ!」とか心で叫びつつ
意識朦朧としながらもいきみ続けた。
こんな中、立ち会いをしてくれていた、相方と娘が
『ママ頑張れー』って言っているのが聞こえた。
実際は相方の声しか聞こえなかったけど
娘も眠い中、パパである相方に抱かれながら一生懸命応援してくれていたみたいだった。
そんな応援に励まされつつ、痛みと戦ったのだけど
娘の時は頭が見えてはいるものの中々出ずお腹を数回押されたり
最後は吸引だったりで
最後までちゃんと自分の力で産めなかった。と何度も後悔したけど、そんな事はすっかり忘れて
腹を押してくれー!吸ってくれー!と、他力本願に思考が切り替わる。
しかし冷静な助産師さんの顔を見たら
そんな事は絶対してくれそうに無かったので
飛びそうになる意識を
何度も切り替えて一生懸命いきみ続けた。
そのうち
「あ、あと少しで出るかも。」なんて気がして来た。
そこからまた数回いきんだら痛みが変わったようだった。頭が出口を無事通過。「後は息を長く吐くだけー!自然にねー!」とか言われたけど
引っかかってる赤ちゃんの体も早く出したくて
無我夢中で出した。

「大きかったねー!」
助産師さんの声に
は!?(゜H゜;)お腹の上に置いて貰った我が子は
娘の時程肉付きは無かったものの
想像以上のしっかり感。
な・ん・て・こ・っ・た!

…丁度良い大きさチュルン上の子より大きくならない今回は楽なお産そんなに大きくなさそうお母さんの体の大きさに合わせてしか大きくならないから予定日前出産立派な骨盤だからね…色々思い出した。

チュルンじゃなかった。

成る程…そう言う事か。
推定体重なんぞ誤差の範囲内でも当てにならないようだ。
私の子供達は母の身長を勘違いしているようだ。
まさかの事態に笑うしかなかった。

結局、産院に着いて2時間以内で無事に分娩成功。
出産所要時間4時間54分。


新しい我が子の大きさと言うと
娘の出生体重より+62g
ほぼ3500gでした。
チュルンなんて出ないわけだぜ。でもでも
助産師さんが一生懸命助産してくれたお陰で、今回は会陰切開無しだったようで本当に感謝!
無傷では無かったけど、傷は大きく無かったようでした。
ただ、前回同様、麻酔が効かず裂けた所を縫われている感覚と痛さに悲鳴ものだった。
気づいたら側にいてくれた助産師さんの細い腕を力一杯握っていました。
何度も申し訳なかったです;;


そんなこんなで私、頑張ったと思う。
お疲れさまでした。
けど、大変なのはこれからの育児!
楽しみも沢山あるけどそれを余裕で超える苦労が待っています。
相方と今まで以上に協力して頑張ります!

って事で出産レポートは以上。これからは誕生した我が子やお姉ちゃんになった娘、相方や家族との様子を引き続き綴って行きたいと思います。

以上、
記事カテ『妊娠』完結

10日記念



10日記念!


予定日まで、残り10日になりました。
あと10日前後で子供2人な生活になるんですね(゜∇゜)

火曜日の健診で
子宮口1cmは開いてるけど
赤ちゃんの頭は下がってない。って言われたので

18日までは持ちそうかなぁ…
なんて思ったのですが

18日の娘の初の運動会は、娘が体調不良の為にどうやら行けそうにありません;;;
一生懸命お友達と運動会の練習したみたいだったのに…
鼻水が少しでも出始めた時点で休ませて
ちゃんと治させてあげればよかったと、とても後悔。

土曜日からの3連休は1日中青っ鼻垂らして微熱が出てたり下がったり。
連休開けは保育園はお休みしたけど
それでも元気だったりしたから、
9月は毎週のように小児科にお世話になったので
すぐに何でもかんでも
簡単に小児科行くのもやめた方がいいよな。って思ってたら
ちょっと高めのお熱が出てグズグズが始まりまして

熱が続くと肺炎かも…

なんて物をネットで見たのもあり
水曜日にやっと病院へ行ったのですが
小児科混んでるし
待ってるのも大変で。
体がシンドイし病院イヤイヤな娘が一番大変だったろうな。

私が娘を無理矢理保育園へ行かせなければ
病院へ行く事もなかったんだよな。
相方にも、それから毎日のように小児科に付き添わせずに済んだのにな…(凹)

って思う。
本当に娘と相方には申し訳ない。

一応検査では変な病気は見つからなかったみたいだったけど
風邪を少し拗らせてしまったようで
娘を早く良く治してあげなければ
私はお産なんてしている場合ではないよなOrz
(出てくる時は無理でも何でも出てきてしまいますが)

それでもやっぱり
妊婦生活ももうすぐ終わりですね(´・ω・`)
思い返すと色々酷い事ばかりありましたが
まずは娘の病気を治して
お産と言う命懸けのイベントに専念して頑張ります!

とか言いつつ0日記念も書けたらいいな。なんて思ってます(笑)

次回は
出産レポートになるか0日記念になるか
更新がちょっとドキドキだぜ!

って事でまた次回!
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