ただおもうことを、つらつらと。

話題:ひとりごと

時代とともに増えていくものがある。飽和してしまうのは仕方なく、そのなかで新しさやおもしろさを作り上げてくひとたちをあたしは尊敬している。すなおにすごいと思うし、感謝さえする。すてきな作品に出会えたときのうれしさ、救われるくらい人生の支えになることだってある。アニメ、映画、ドラマ、本、漫画、音楽、これらの存在に何度救われてきたことか、すきなものが増え、恋するくらいにすきになるものができたり、20年以上そうやって寄り添ってきたものだからこそ、消費されていくことがかなしい。

毎クール、かなりの数のアニメやドラマが放送する。あたしの学生時代の倍くらいは地上波で放送しているのではないだろうか。制作会社の大変さを(描いた作品をいくつか見た上で経験はしたことないけれど)知ってからは、毎クールの作品たちにいとおしさが湧いた。すべての作品を見れるわけではないし、好みもあるから見ないという選択をするものもある一方、自分が見たいと思った作品を深く愛すようになった。流行りやひまつぶしにながされて見るのをやめ、自分で選ぶということの大切さ。その作品一つ一つを愛することの尊さ。量より質、人生の一部にしていきたいという意志。あくまでもこれは個人的な話だけれど。

感想を書くひとたちが増えた。うれしいことだし、参考にさせてもらうことも多い一方で、つまらないとか面白くないとか、駄作だのクリエイターさえも傷つける暴言の数々にこころが痛くなる。つまらないと感じる作品もあるでしょう。期待していたものが期待値を越えないことも、受け入れられずに落胆することも。そこには自分の感情や感覚、好みの問題も多少あると思う。現代はなにかしてもらうことを待っているひとが多いのかもしれない。たとえば、感動させてくれないから駄作、感動は与えてもらうものだと疑わない。一度ヒットしたものに期待する気持ちも、期待値が高まるのもわかるし、その重圧からいいものが出来上がることもある一方で比較され酷評されることもある。常にトップを走ってるひとたちはすごい。

見てもらうものであるから評価されるのは仕方なく、つまらないと感じるもの、期待とちがうものもあるけれど、それをただ一言、つまらないや面白くないと言うのは簡単だけれど、ならどこがどんなふうにつまらなくて面白くなかったと説明できて初めて批評と呼ぶんじゃないかなって。

ことばは、自分が思っているよりも簡単にひとを傷つけてしまう。だからこそ扱うときはちゃんと考えていきたいって、他のひとの感想を読みながらそんなことを考える。

プロセスより結果がすべての世の中でマイナーだとか少数派だと言われても、すきなものをすきだと言う勇気をわすれたくない。そして、作品にかける想いやリスペクトは大前提だとあたしは思っている。