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眠ってしまえば朝になる

話題:ひとりごと

まだ梅雨にもなっていないのに連日の猛暑に溶けてしまいそうな毎日。さっそく、冷やし中華をはじめてしまう。仕事で遅くなる彼から夕飯はいらないと突然の連絡、ひとりで食べた冷やし中華。お試しの洗剤が思いのほかにいい香りで満足しながら、ドラマやアニメの消化活動に取り組む。ひとりでもできることがあるってのはしあわせなことだと呑気にアイスコーヒーを飲んだ。仕事と家、たまに実家のローテーションで生きているあたしにとって、ドラマやアニメ、映画、本は生きがいであったりして、友だちも数人はいるものの、連絡も会うのも年に1、2回。環境が変わったり、名字が変わったり、子どもができたり、バリバリ仕事してたり、様々な事情が絡み合ったり離れたりして、会話は弾んだり弾まなくなったり、学生のころに何時間もファミレスで話せていたのがなつかしい。あのころ、思い描いていた未来とはだいぶちがう現在は軌道修正できるかな。彼の転職したい話に、結婚のけの字さえ出ない日々に未来はあるの?と自問自答。

会ったりしなくていいから電波上だけでも相談できるようなひとを作りたいなと始めたSNSも結局のところは空振りで、勘違いしては体の関係に持ち込みたいと下心丸見えの男のひとばかりがあふれていて嫌気が差した。どうして、こんなにも頭のなかは淫らなの?と呆れてしまう。そもそも、恋人がいると言っているのに誘うあたり簡単に抱ける女というレッテルが貼られる屈辱。ふつうに傷つくのに気づかない無神経さ。恋人が風俗にいくのが嫌だと思っていたのにお金を払って性欲満たしてるだけマシなの?と思えてくるくらいに変な男のひとばかり。
これが20代前半であれば、口車に騙されていたのだろうけど、特定の相手がいるのにあっちもこっちもなんて不誠実なことをしようという体力もなければ、そんな気持ちになることがこれっぽっちもない。なによりもやっぱり、となりで眠る彼をみているとこの生活を日常として営みたいと思ってしまう。いろいろ悩んで考えても、今の答えは一緒にいたいということ。正しさだけで考えるのならあたしの答えは間違いなのかもしれないけれど、騙されているとわかっていても騙されてあげるくらいのすきはあるみたいで、それができなくなったら、あたしは彼のとなりという席を降りようと思った。
もちろん、清廉潔白で誠実な関係を築くならこんな選択はしない。堅実な未来を歩みたいのなら心よりも模範解答に従うべき。しあわせの形はひとそれぞれちがうだろうし、あたしの選ぶ道もしあわせとは呼べないだろうけど、今はこれがいい。きょうもまたならんで横になり、彼の愚痴を聞きながら眠りにつこう。

きみというゆめをみる

話題:SEX について。





彼の性欲は旺盛なのかもしれない。その欲情を常に受け入れていれば、ソープには行かなくなるかもしれないと思うものの、誘われたときにこちらもおなじ気持ちかと言えば、そうとは限らないわけで。したくない日もしないといけなくなると義務のようなものを感じ、ストレスになる。それでも、行ってほしくないと思うなら、今のあたしにできることはそんなことくらいしかなく、セックスの回数が減る(断る)ことは、ソープに行かれるリスクを孕むことになるのとイコールである気がした。かなしく、虚しささえ感じる。

最近、元々なかった性欲がさらになくなった。長く付き合っているからなのか、出会った頃のようなしゅっとした感じもなくなり、丸くなった彼に性的な魅力を感じることはほとんどなく、一緒にいてたのしいなと家族愛にちかいものを感じていた。性的な対象として見られなくなってからのセックスは、なんとも言えないもので、やはり義務のよにやっていかないと太刀打ちできないでいた。不思議なもので、彼は何年一緒にいてもあたしに欲情するようで、性的な対象としてみられていることを喜ぶべきなのかと考えたりもする。

女にとってのセックスは、心のつながりでもあるような気がする。ただ、欲情を満たすだけではなく、心も満たされる。愛されていると実感することにもつながる。だけど、男はちがうのだろう。心と体を切り離して考えている。おいしそうなものがあれば、食べたくなるのとおなじで、それがお金で買えたりするなら買えばいいじゃないかっていう理屈はわかっても受け入れることはできないあたしは、お堅い女なのだろうか。

結局のところ、お金を払えばできることという認識があたしをセックスから遠ざけ、萎えさせる。あたしだけをみてて、なんて独占欲が喉元までこみ上げて、飲み込んだ。

目的地をみつけて

話題:もやもや

彼とギクシャクしたまま帰省をした。派遣を入れると言っていた彼だけどまったく決まらなかったようでひとりで過ごしていたみたいだった。(もちろん、風俗にいっている可能性もあるけれど、そんなことは考えていても仕方なく、地元をたのしむことにした。)毎日、いろいろなことをして疲れたものの、有意義な休日だった。姪っこに会い、やっぱり子どもがほしくなって、幼なじみと遊んではあまり会話がつづかないなと思ったり。


離れることで彼のことを改めて見つめ直す。気づけば、家族に話す内容はほとんどが彼の話題ばかり無意識下で彼のことをすきなのかなと分析しつつ、今から新たな出会いを求め、新しく関係を築くのとどちらがいい人生なのかと悩んだり。出会いがほとんどないあたしの婚活は根気を入れないと始まらないことも痛感しつつ、ご無沙汰だったSNSをちょこちょこと再始動させる。歳も歳だし、むかしよりも需要の低くなった自分に落ち込んだり、相変わらず、身体目的の多さに呆れたり、会いたいとメッセージがくると冷めてしまったり。すべては自分の望む人生を歩めるように選択していくだけなのに、自分がどうしたいのかうまく見えてこない。諦めてるだけなのか、めんどくさいだけなのか。長らく、恋愛前線から離れていたら億劫になるばかり、老けるばかり、鏡に写る自分に愕然としてアンチエイジングを考える。

結局のところ、あたしは彼としあわせになりたいと思っていて、それを彼が踏みにじるのがゆるせないだけで、別のひととなんてあまり考えていないのかもしれない。けれど、別のひととの未来を選んだほうがいいことはわかっていて、その矛盾に悩んで、自分にしか出せない決断を保留にしている。

自分にとっての最善はなんだろう。見えてる答えを曖昧にして、迷宮を自らつくる。
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