ア リ ス ーー


遠くで私を呼ぶ声がする。
私は女子トイレの個室の中、入念に化粧ノリのチェックをしていた。
ファンデ、リップはよれていないか。マスカラがダマになっていないか。まつ毛のカールは落ちていないかetc,etc,
その間も私を呼ぶ声は響き、近づいてくるのが分かる。
それとともにいつものようなささやき声が聞こえてくる。

「アリスだって」
「不思議の国のアリス?」
「ハーフ?」
「ちょっと痛いよね」

陰口に次ぐ陰口。
私は不思議の国のアリスでも、ハーフでもない。黒髪、黒い瞳、黄色人種の純血の日本人。
なのに、なぜアリスと名付けたのか。
名付け親である母は乙女趣味を拗らせたまま成人して結婚して母親となった。初めての子である私につける名は、それはそれは可愛い名前を付けるため十月十日考え倒した。そうして、待望の女の子である私が生まれ、満を持して母が思う最高級に可愛い名前を私に授けてくれた。
それが、

「ア リ ス ー !」

だ。
私の人生はこの名前に支配されている。見た目も性格も、アリスという名に相応しくなくてはならない。
アリスという名の女の子が、角刈りに近いショートヘアで日に焼けたスポーツ少女だったら周りはどう思う?もしくは地味で野暮ったいオタク女子だったら?
アリスと名付けられたからには、体重は40kg以下をキープしたい。色白の肌を保つため決して日焼けはしたくない。髪型も常に気を使い、ニキビができるなんてもってのほかだ。幸いにして顔立ちは化粧をすれば誤魔化せる程度で悪くはない。
私はこの名に負けたくないのだ。

「アリスー!」

名前を呼ぶたび女の子たちのクスクスとした笑い声。
いつものことなのに癪にきて、乱暴に個室のドアを開けた。
彼女たちは一斉に私の方を見て笑うことを止めた。
私は私の名を馬鹿にする女の子よりずっと細くて綺麗なのだ。アリスという名に相応しいように。
だから決して馬鹿にされない。
洗面所を陣取っていた彼女たちは私の分のスペースを黙って空けた。
私は手を洗い鏡の前でもう一度自分の見た目をチェックする。まあ悪くはない。
確認するとトイレから出た。

「あぁ、アリス!」

友人はやっと見つけたという風な表情をしたけれど。
本当は私のことからかってわざと大声で呼んでいたのだ。
私のことを妬んでいる子はたくさんいる。私を呼んでいたこの子も親友面しているけれど、自分の平凡な名前と見た目をコンプレックスに感じている。
私はこの名前の為に見た目も性格も徹底的に自己管理している。お菓子もお弁当も周りの子より少なめ。可愛いものが好きな性格と思われているけれど、本来の性格はガサツで殺伐としている。可愛いものよりもっと大事なものを求めている気がしている。
私も本当は自分の名前がコンプレックスで、親友面している彼女のことを羨ましく思っている。
この名前から解き放たれたら私はどんなに自由だろうか。