姉さんは美しくて聡明な人だ。
誰にでも優しくて、笑顔を絶やさない。お洒落で女の子のグループの中では中心的な存在。
ただし、一つの脅威を抱えている。
姉さんは気づいているだろうか?
「ねえ、ミアのお姉さん、高校のミスコンでグランプリになったんだね!」
昼休みの喧騒の中、女の子のグループが一際大きな声を上げて私のもとに近寄ってきた。
その騒ぎに教室にいた誰もが彼女たちに注目した。
ミア、こと私はちょうど教室の窓際の席でカップ麺をズルズルと啜っていた。
優雅な食事時に一体何事だろうか。
「んー、あたし知らないんだよね、ミスコンの結果。グランプリだったんだ?」
一応、口をもぐもぐさせながら聞き返してみる。今以上無愛想なキャラ設定になると今後の学生生活に影響が出かねる。
と言っても、後半年だけなのだが。
「うそっ、身内なのに知らないの?」
「お姉さんと話さないの?」
「性格が真逆すぎて仲悪いって本当?」
畳み掛けるようにクエスチョンマークの嵐。どうして私たち姉妹を仲が悪いと考えたがるのだろう。
私はともかく・・・少なくとも姉は、私のことを唯一の妹として可愛がっている。
「な訳ないじゃんっ!姉さんなら昨日打ち上げで帰るの遅かったから、私寝てたし、朝も私より早いから起きたらもう家出てたんだよね〜」
それに、と付け加えて私はスマホから先週姉と二人で買い物に行ったときに撮ったプリクラを見せつけた。
「これで不仲説は論破っ!」
スマホを手に女の子たちが「はぁ〜」と熱い溜息をもらす。
「しかもスマホのケースは姉さんがバイト代で買ってくれたんだぜ」
最近発売されたキャラクターものの変わったデザインのスマホケース。
さらに彼女たちは溜息をもらした。
「いいなあミアは美人で優しいお姉さんがいて」
「お洒落でセンスも良いし」
「一緒に買い物に行けるなんて羨ましい!」
キャアキャアの騒ぎ立てる彼女たちの陰で、クラスの男子がボソッと呟いた。
「なんで、あんな奴の姉が美人なんだ」
私はカップ麺を技と大きな音を立てて啜った。
私の見た目って言ったら、整えないで伸ばしっぱなしの眉毛、さらにブローの足りないロングヘア、制服のスカートの下にはジャージで、立膝を立ててビックサイズのカップ麺を啜っている。
中学3年生になってもクラスの中では男子の目も憚らずお笑いキャラを貫いている。
異性からは一向にモテないが、女の子からの人気は高い。
それはこの性格だけではなくて、卒業した後でも話題になるくらい美人な姉の存在がいるからだ。
私と姉は2つ違いで、保育園から中学校まで、習い事も全部一緒に通っていた。
姉は早熟で周りのことをパッと読み取ることが得意で、大人受けする性格だった。
できた姉の後を追いかけて生きる私は何かと癪に障ることの多い人生を生きてきた。
「お姉さんはもっと」
大人たちは口をそろえてそう言ったものだ。
言えに帰り私が泣きながら姉にそのことを訴えると、姉はとても悲しい顔をして私を慰めようとしてくれた。
私は姉が決して妹の心に寄り添おうとばかり考えていた訳ではないと知っている。いやむしろそう思おうと必死になっていたかもしれない。「この妹は姉を超えることはないのだ」という安心感を消し去ろうとするために。
あれは確か、3歳になって初めて通い始めたバレエ教室。
私は姉と手をつないで一緒にレッスンに行けることがとても嬉しかったことを覚えている。
ただ通い始めて数か月して、姉が私と手をつなぐことを拒み始めた。幼い姉は母親に泣きながら訴えていた。
『ミアの方が上手になっちゃうの?友達のお母さんたちが妹の方がお姉さんより出来がいいんだって話してた!!』
美人で気立てのよい姉は、心の底でよっぽど嫉妬深くて大人たちから誰よりも愛されたいと願っていた。
妹の私にいつも優しかったのは大人から常に注目の的でありたかったから。優しいお姉ちゃんだねって言われたかったからだ。
私は初めての発表会に立った時、わざと間違いをして踊った。
客席や一緒に踊っていた同い年の子たちから大声で笑われたけれど構わずに踊った。
発表会後、先生から台無しだったと厳しく注意され、私はずっと俯いて何も言わずにいた。そうすると姉が私のそばに来て、私を強く抱きしめてくれた。
『初めてだったからしょうがないよ。そんなに悲しまないで』
姉は私の失敗に心から同情してくれた。この妹は出来が悪いと確信できたから。
背後では「良いお姉さんね」と囁き合う大人たちの声が聞こえた。
それから私たちはまた手をつないでレッスンに向かうようになった。
私は姉に利用されてるって分かっていた。
だけど私は不名誉な立場に立たされても繋いでくれる姉の手を求めていた。この手が上手く生き抜くために導いてくれる手に思えたから。
実際に姉から私は沢山の恩恵を受けた。
私が欲しいと望めば玩具もお菓子も全て譲ってくれた。
泣きついたら嫌なことは全て引き受けてくれた。
私の同級生やその親に姉妹だと知られると目の色を変えられたり、あからさまに姉と仲良くなりたくて私と仲良くしようと取りつく子たちもいた。
なかなか悪くない待遇だった。
私は姉と一緒にバレエとピアノを習っていた。姉は中学を卒業しても習い続けているけれど、私は小学校を卒業すると同時に止めてしまった。
どちらの先生からもこのまま続ければお姉さんより出来るようになると言われたのがきっかけだ。
姉よりも上手くなってしまうのは危険だった。そうなったとき姉はどうなるだろう。私は居心地のよい環境を手放すことになるかもしれない。
そんなわけで、中学校に入ってからは剣道部に入った。
どうして急にと母親や姉からは驚かれたけれど、姉は前よりもほっとしているように見えた。
そのとき、私の家族は母親、姉、私の3人家族だった。
父親は私が小学生の時に母と離婚してしまった。
私の家族は、母と姉はとてもよく似ていると思う。私は父親に似ている。これは父からのお墨付きだ。
両親が離婚する少し前、私は父親と2人だけでファミレスに出かけた。
デザートに母親と一緒のときは決して頼めないパフェを食べられて私はとても満足だった。
『ミアはお姉さんより美人になるよ』
父はいつになく真剣な顔をしてぽつりと呟いた。
私はそんな馬鹿なと言った。パフェの食べ方が意地汚い女が姉さんより美人になるか、と。
父は笑った。父が笑ったところを久しぶりに見たような気がして私は嬉しかった。
『ミアはお父さんに似ているから。きっとお姉さんのことで我慢しているんじゃないかなと思うんだ・・・』
学校から帰宅して、自分の部屋にこもる。
もうすぐ中間テストだ。
『今から追い上げれば、進学校に行ける。あなたにはその実力があるはずです』
2者面談のとき、担任のセリフ。お世辞かもしれない。
お世辞にのるわけではないけれど、私もそうできそうな気がしている。
夕食の時間まで集中を切らさずに問題集を解いていた。
リビングに行くと珍しく姉の姿があった。
「あれ、バイトは?休み?」
「そう。でもレッスンがあるからすぐ行かなきゃ」
ふーんと私は気のない返事をしながら向かいの席に座る。
「もうすぐテストでしょ」
「うん、来週から」
「こら、口に入れたまま喋らないの」
話しかけたくせにと小言を言うと姉はふふっと笑った。私もつられて笑う。
何話してるのー?と聞きながら母がおかずをもう一品持ってくる。
すかさず箸をつけようとすると、
「直箸禁止!」
親子らしく母と姉の声がハモり、3人で笑った。
妹の私がもしも姉より実力のあることを示してしまったら、姉ももう大人だから受け入れてくれるだろうか。
それとも受け入れられずに姉妹の関係は壊れるのだろうか。そうしたらこんな風に穏やかに家族で食事をすることが無くなるのだろうか。ある日もう無理をする関係が嫌だと父がこの家を去った時のように。