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一日一記事



お久しぶりです。
ものすご〜くお久しぶりです。


Twitterやらつぶやきやらではちょいちょい更新してたけど、こっちはめっきりご無沙汰でした。

もう気がつけば、今月も半分終わり。
ということは、今年ももうすぐ終わり。

別に焦る気持ちはないけれど、今年のあたしはどんなだったかな〜なんてちょっとしみじみなったりします。

仕事仕事に追われる21歳。
自分の財布の中身に一喜一憂する21歳。

思えば今年はほんとに特に何もない1年だったな。

東日本大震災で猛烈に感じた不安だったり、毎日の自分の中でのあらゆるままならないことに対する憤りだったり‥

心が動くとしても、あまりいい方向には動いてこなかった。

少し前のあたしだったら、こんな自分ですごく後悔しちゃうんだろうけど、あいにくそんな余裕すらなかったよ。

ただただ毎日の早朝からの仕事に追われ、帰っても時間に追われ、逃げるように眠りにつく。

総じて心にゆとりのない1年だった。

どちらかというとひとりで生きているような、そんな感じのすることの多い1年だった。

ようくんがいないことが多かったというのもあるだろうけど、そんなことは今年の始めからわかっていたことだし、覚悟もしていたから、結局全ての原因はあたしの精神状態にある。

でも全て投げ出さなかったのは、どうしたってやっぱりようくんの存在があるからだ。
ありがとう。本当にありがとう。

本当はあたしはひとりなんかではないのよ。
弱っているときにそんな気がすることはあるけど、決してひとりなわけはないのよ。


来年は、もう少し余裕を持って暮らしていけますように。
もう少し、笑って暮らせますように。

そして、この朝が早すぎる生活が来年にとは言わないから早く変わりますように。笑


もっとキラキラした毎日を送れますように。



まずは一日一記事。
ネタを見つけられるような暮らしを取り戻したい。

本音


東日本大震災が起こってから、もう半年近く経つ。
それなのに、テレビやインターネットの速報ではいまだにチラホラと地震発生のニュースが流れたりする。

そんな場所に自分の大事な人が赴くことになったらと思うと、吐き気をもよおすほど不安になる。

もちろん人助けは立派なことだ。
でも、たくさんのリスクを背負って、危険を侵してまで‥と思うのが正直なところ。
事故にあったり、伝染病にかかったり、もしもまた大きな地震が起こったら‥ボランティアとはいえ素人の集まりなのに、もしものことがあったら、誰がどう責任をとってくれるの?
自分たちが元気に過ごすことでさえもいっぱいいっぱいなのに、そんな余裕ない。
他所よりはるかに安全な保証のない場所に、大切な人を送り出せるほどあたしは強くない。


そして今は逆ナン、婚活目的のボランティア団体もいるという。
不安要素が山積みで、尚更良い顔はできない。

あたしがおかしいんだろうか。

きっと、もし彼がボランティアに参加することになったら、あたしは彼を支えていく自信をなくしてしまうだろう。
応援はするけれど。

もしもの事態が起こっても、あたしは何の力にもなれない。
それがとてつもなく恐ろしい。
きっと耐えられなくなってしまうだろう。

遠くの誰かのために何かをする、そんな立派な行動さえも素直に喜べない自分を、きっと嫌いになってしまうだろうから。

あたしだって、幸せ守ることで必死なんです。
少しでも、悲しい思いをするリスクは背負いたくないんです。


身の丈に合った支援の仕方ではいけないのでしょうか。
こんな切実な思いも、不謹慎だと一蹴されるのでしょうか。

いろんな立場の人がいて、いろんな思いがある。

あたしのような思いをされている方も、世の中にはたくさんいるはずですよね。

もろ手を挙げて喜ぶ人なんてそうそういない。
どうしても、いろいろと寿命が縮むほど心配してしまうものです。




理想と現実の狭間をさまよう。


わかったよ。
なにがつらいのか。

所詮、その人の気持ちはその人にしかわからないものです。

人を愛するって、人を大事にするって、どういうことなんですか?

どうしたらただひたすらに愛することができますか?

今のあたしは何もかも疑心暗鬼で、誰かが善意でかけてくれた言葉も脳内で「どうせ‥」という言葉に切り替わってしまいます。

何よりも、彼の言葉にこの反応をしてしまうことが一番つらい。

単純に甘えていられない自分が嫌。



やっぱりまだ怖いんだ。
だから慎重になりすぎてるんだ。

嫌とかよりも、ただただ怖い。

人の一挙手一投足に怯えたり落ち込んだり、たまに喜んだり。


でも、今はっきりわかった。
目を閉じてたら、短い夢を見たみたいにある映像が浮かんだよ。


あたしがこんなになってるのは、どうしても譲れない願いがあるからなんだ。

あたしの記憶の片隅にある、おだやかで落ち着いた暮らしを取り戻したい。

今は全て消えてなくなってしまったけど、あたしには幸せだった幼い頃の記憶がある。

つらいと思ったときにふと思い出すのが、その幸せだった時の風景なんだ。今、頭の中であの時から堕ちた時までの記憶が走馬灯みたいに流れた。


あたしはあの時はまだ子どもで、両親に守られる立場だった。
でも、子どもながらに「あたしもいつか両親のように誰かとこんな暖かい雰囲気の中で生きていきたい」と思ったんだ。

二人でいつも寄り添って、出掛けたり何気ない会話をしてる時間が一番幸せそうで‥

何かが狂うまでは、ずっとずっとそれが理想だった。

やっぱり今でも心のどこかではその理想を追い求めてる。

今はあたしにも大事な人がいて、大事な人に大事にされている。

理想に近づいてると思った。

だけど、この理想を維持するためには狂った原因を遠ざける必要がある。
少しでも遠くに。

もうあの時みたいな思いはしたくないし、幸せを脅かされるような危険を感じると過剰に反応してしまう。

彼となら、同じとは言わなくてもあの幸せをもう一度取り戻せるはず。
あたしたちだけの幸せ。
何を疑っても、これだけはただひたすらに信じてるんだ。

信じられるだけの幸せがあるから仕事にも出かけるし、家事も楽しい。


どうも追い求めている幸せとギャップができそうになった時に、つらいと感じるみたいだ。


あたしの中では、プロセスが出来上がってて、必要なものと不必要なものが完全に区別されているみたい。


今度時間ができたら、あたしの理想の幸せを言葉にしてみよう。

目に見える形に残したほうが、リアルになるだろうから。

復活すると、強いんです。


話題:さあ、前へ進もう


今日一日、色々考えてました。

結論、あたしにはどうすることもできない。

全てをことごとく裏切られるのなら、何もしない。


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最初からそんなものない。

考えすぎ?
笑わせないで。



話題:バカみたい


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