わかったよ。
なにがつらいのか。
所詮、その人の気持ちはその人にしかわからないものです。
人を愛するって、人を大事にするって、どういうことなんですか?
どうしたらただひたすらに愛することができますか?
今のあたしは何もかも疑心暗鬼で、誰かが善意でかけてくれた言葉も脳内で「どうせ‥」という言葉に切り替わってしまいます。
何よりも、彼の言葉にこの反応をしてしまうことが一番つらい。
単純に甘えていられない自分が嫌。
やっぱりまだ怖いんだ。
だから慎重になりすぎてるんだ。
嫌とかよりも、ただただ怖い。
人の一挙手一投足に怯えたり落ち込んだり、たまに喜んだり。
でも、今はっきりわかった。
目を閉じてたら、短い夢を見たみたいにある映像が浮かんだよ。
あたしがこんなになってるのは、どうしても譲れない願いがあるからなんだ。
あたしの記憶の片隅にある、おだやかで落ち着いた暮らしを取り戻したい。
今は全て消えてなくなってしまったけど、あたしには幸せだった幼い頃の記憶がある。
つらいと思ったときにふと思い出すのが、その幸せだった時の風景なんだ。今、頭の中であの時から堕ちた時までの記憶が走馬灯みたいに流れた。
あたしはあの時はまだ子どもで、両親に守られる立場だった。
でも、子どもながらに「あたしもいつか両親のように誰かとこんな暖かい雰囲気の中で生きていきたい」と思ったんだ。
二人でいつも寄り添って、出掛けたり何気ない会話をしてる時間が一番幸せそうで‥
何かが狂うまでは、ずっとずっとそれが理想だった。
やっぱり今でも心のどこかではその理想を追い求めてる。
今はあたしにも大事な人がいて、大事な人に大事にされている。
理想に近づいてると思った。
だけど、この理想を維持するためには狂った原因を遠ざける必要がある。
少しでも遠くに。
もうあの時みたいな思いはしたくないし、幸せを脅かされるような危険を感じると過剰に反応してしまう。
彼となら、同じとは言わなくてもあの幸せをもう一度取り戻せるはず。
あたしたちだけの幸せ。
何を疑っても、これだけはただひたすらに信じてるんだ。
信じられるだけの幸せがあるから仕事にも出かけるし、家事も楽しい。
どうも追い求めている幸せとギャップができそうになった時に、つらいと感じるみたいだ。
あたしの中では、プロセスが出来上がってて、必要なものと不必要なものが完全に区別されているみたい。
今度時間ができたら、あたしの理想の幸せを言葉にしてみよう。
目に見える形に残したほうが、リアルになるだろうから。