2014-9-8 01:22
本当に本当にご無沙汰なことへの言い訳もしたいんですが、
ちょっと、沢山言葉にしたいことがありまして。
続きで書こうとおもいます。
先月、今月と、役者として芝居に参加してきました。
今月の舞台はたった今打ち上げが終わったばっかりでした。
大学から演劇を始めて、色んなことがありまして、社会人になってしばらく演劇から離れてました。
でも、心ではどんなときでも役者であることを忘れずに、どんな経験もいつか出会う役への役作りと思って過ごしてきました。
どうしても演劇がやりたい!と思いまして、8月と、9月の本番を決めたわけです。
9月の舞台はちょい役だったんですが、8月のはメインキャスト…というか役者が7名しかおらず1人2役以上は必ずやってたので、裏で休む時間は皆ほとんどない、全員メインキャストだったわけです笑 その中でも物語冒頭からラストまで存在し続けた役でした。
こちらはハードな内容で、銃を打つシーン、暴力されるシーン、暴力するシーン、情事、などとにかく非現実なまでに目まぐるしく状況が変わる芝居で、
1時間半の本番に終わった頃にはぐったり…体もそうですが、気持ちがだいぶ抉られました。
私はどちらかというと、「役に自分が近づく」タイプです。
役者は、見てくれはかなり重要だけど、そんなに綺麗な顔立ちじゃなく、スタイルもよくなく、演技もまだまだなのは重々承知してて、
だったらせめて、本物になろう、と常に思います。
「私」じゃなくて、その役になる。私自身の主張や趣向は役にも影響はするし、誰でもいいような演技をするつもりはないけど、舞台に立てばままこのという個体はその役として存在したい。その時持つ名前や歴史はその役のもので、私の都合は一切役にもお客様にも関係ないと思ってます。
もっと本物になりたい。
その為には本物の感情を私自身が経験したい。
この世にある、あらん限りの感情を経験しなければ、と思います。
役者は想像力が大切。同時に自分が知っている本当の気持ち、経験も重要だと思うんです。
8月の舞台は、父からの虐待で顔に傷を持ち、女としてのコンプレックスを持つアメリカの軍人、という役でした。女としてのコンプレックス以外は実際に経験したことはないですが、舞台上では自分はそうとしか思えないほど、なれていました。攻撃的な台詞を吐いて他に危害を加え加えられながら、生を噛み締めて生きていた。そこに嘘偽りはなかったです。役者とは、という問いに自分の中で1つの答えが見つかったんです。
でも、9月の舞台でまた迷い始めました。キレイな(筋道立った)物語があり、キレイな台詞を聞こえやすく言う。声の演技や小さい声量。でもストーリーがしっかりしてればお客さん受けはする。それでまたわからなくなった。
8月に経験したものはなんだったんだろう?って悩んでちょっと仕事も手に付かなくなったり、
きっと、どちらも必要なんですね。熱量と技術。
あと役者とは、労働者。舞台における最上の表現者は脚本家です。役者が表現者でない訳ではないけどね。脚本家が自身をアウトプットする量に勝るアウトプットをしなければいけない。
そろそろ書くの疲れたなー笑
役者、役者役者。なんなんだろ?役者、役者