声ひとつ
ショートストーリー

明日は学校を休みたいなあ、と、ほんの軽い気持ちのまま、眠りについた夜だった。

目を覚ますと、目の前に、あたしがいた。夢か、と思いながらも、あたしは、あたしに訊ねた。

「あんた、なんなの?」
「あたしは、お前だよ」
「…意味、解んないんだけど」

あたしがそういうと、目の前のあたしは、ニヤリと笑った。

「あたしは、お前の中のあたし。お前の中の、マイナスの感情さ」
「そう、それで?」

あたしは、つまらなくなって、素っ気無くかえした。

「あたしはつまり、悪魔なんだよね。だから、暇つぶしに、あんたの願いを、叶えてあげようと思って、こうして、出てきた訳」

突拍子もないそんな台詞も、すんなり受け入れてしまった自分に驚きながら、悪態を吐いた。

「悪魔に頼みたい願い事なんて、ないっつーの」
「嘘吐き。学校休みたいんでしょ。先輩と喧嘩しちゃったんだもんね。明日の授業は、つまらない先生の授業しかないしさ。しかも、体育がある。運動なんて意味ないことしたくないもんね」

悪魔だと名乗ったあたしが、あたしの心の中を、勢い良くぶちまける。

「っ、やめてよ」

いくら夢だといっても、気持ちの良いものじゃなかった。

「悪魔だって信じてくれた?」

あたしは、嬉しそうに笑って聞いてきた。悪意はないのか、こいつ。あたしは、呆れて頷いた。

「悪意って言うけどさ、善悪って、誰が決めたの? 昔の人? 偉い人? 誰が決めたか知らないけどさ、意味ないよね、そんなの。誰かにとっての悪意も、誰かにとっては、善意かも知れないんだからさ」

あたしは、また、ドキリとして、今度は、苦笑いをこぼした。勝手に、人の心を、読まないで欲しい。気持ち悪い。

「仕方ないじゃん。あたしは、あんたなんだもん。あんたの考えてることは、解っちゃうんだってば」
「…解った、我慢する」

そこで、悪魔は、ひときわ楽しそうに笑った。

「でね、学校に行かなくても、良くしてあげようと思うんだけど、どう?」

どうせ夢だ。あたしは、頷いた。

「おっけー! じゃあ、明日のお楽しみ!」

悪魔は、そう言い残して、消えた。悪魔は、とか言ってるが、実際は、あたしは、である。

***

翌朝。目が覚めたけれど、特に異変もない。やっぱりただの変な夢だったみたいだ。あたしは、少しだけ憂鬱な気持ちで、制服に着替えた。キッチンにはいると、お母さんが、目玉焼きと、スクランブルエッグ、どっちにする? と、聞いてきた。

「(んー、目玉焼きかな)」

あれ? あたし、今喋ったよね?!

「だから、どっちにするの?」

痺れを切らしたお母さんが、クルリとこっちを向いた。

「何、遊んでんの!」
「(遊んでなんかないっつーの!!! 真剣に声が出ないんだってば!!)」

あたしは筆談と、表情で、どうにか、本当に、声が出ないことを、お母さんに伝えた。

慌てたお母さんに連れられて、病院にいくことになった。もちろん、学校は、行かなかった、というより、お母さんが心配して、行かなくて良いと言った。それもそうだろう。病院での診断は、体に異常なしだったのだから。こころあたりは、一つだけあるにはあったが、病院では黙っていた。悪魔だなんて誰が、信じるというのだろう。
それから、一週間、声のない生活は、続いた。

「学校、行ってみる?」

今日まで、心配して言ってこなかったお母さんが、とうとうそう言い出した。あたしは、声も出ないのだから、授業も楽になるだろうと思って、学校に行っても良い様な気はしていた。

だから、あたしは、コクリと頷いた。

***

一週間ぶりの学校は、新鮮だった。喧嘩してたことも忘れて先輩はいつもの数倍優しかったし、友達はもちろんのこと、先生も、とても優しかった。

声なんて、要らないじゃん、と、あたしは思っていた。

その日の、放課後。あたしは、薄暗くなった帰り道を、一人で歩いていた。なんとなく嫌な感じがする。

「お前、声、出ないんだってな」

背中から聞こえた声に、あたしは、悲鳴をあげた。でも、それは、声にはならない。

「大人しくしてれば、殺したりしないさ」

怖くて、怖くて、動けないのに、涙だけは、次から次へと零れ落ちてくる。こんなときに、大声も出せないんだ。
あたしは、あたしが如何に、甘かったか、いまさら気付かされた。
声なんて、要らないと思っていたんだ、最初から。きっと、あの悪魔はそれすらも見透かして、こんな風にしたんだ。

あたしは、心の底から後悔した。そして、恐怖で気を失った。

***

「どうだった?」

目の前には、あたしの姿形をした悪魔が、ニコニコとニヤニヤの間みたいな、嫌な感じの笑顔をしている。

「どうも、こうも、最悪だっつーの」
「五体満足、いたって健康体って、すばらしいね」
「その通りね。だから、声を返して」

あたしは、あたしに向かって、ずいっと、右手を差し出した。

「やだ」
「じゃあ、いい。自力で取り戻すから」

あたしは、悪魔と名乗ったあたしに、自ら一歩近づいた。

「悪魔。あんたは、あたし自身だと言った。だったら、お前は悪魔なんかじゃないはずだ」

あたしは、悪魔のような、あたし自身に、言い寄った。

「大正解。良く出来ました」
「自分のことくらい。解ってるっつーの。嘘を吐くと、笑わずには、居られないんだよね、あたし」
「そうそう」
「「あたしは、声を出したい」」

そこで、意識が途切れた。

***

次に、目を覚ましたのは、部屋のベッドだった。ベッドに頭だけを預けて、先輩が眠っている。あたしは、軽く先輩を揺り起こす。

「……チカ!!!」

先輩は、大声を上げてから、あたしを抱きしめた。恥ずかしいんだけど。

「お母さん呼んでくるな!」

先輩は、どたばたと部屋を出て行った。

「良かった…。柴くんが、あんたのこと助けてくれたのよ」

お母さんは、あたしが気を失っていた間に起きたことを、掻い摘んで話すと、スープでも作ってくるわ、と、部屋を出て行った。

聞くところによると、あたしが気を失った直後に、先輩がちょうど、通りかかったらしい。そうじゃなかったら、あたしは今頃…。そう考えると、また、涙が出てきた。あたしは、泣きながら、先輩に、感謝の言葉を伝えた。

「せんぱ……ありがと」
「良いって…っ、チカ、声!!!」
「ぇ、あ、本当だ!!!」

今度は、嬉しくて、涙が出てきた。

声がなければ、助けを呼ぶことも、感謝を伝えることも出来ないんだという、当たり前のことを、あたしは、この歳にして、ようやく知ったのだった。


end



話題:SS




12/10/28  
読了  


-エムブロ-