ご都合主義の、勧善懲悪なんて、この世の中にはないんだよ。
《二人で一人》
振り上げられた手が、ゆっくりと、降り下ろされる気がする。実に、スローモーション。いつも。避けられるんじゃないかって思う。
思うだけで、避けられないから、手が降り上がった瞬間、あたしは、居なくなる。代わりに、彼が殴られてくれる。
手は、彼の頬を、ぶっ叩く。
彼は、痛くないのかしら、と、切なくなる。
そのあとは、拳で腹、背中、腕、脚。服を着ていれば隠れるところは、赤と青と紫と黒と黄のアザだらけ。
それでも、彼は、声をあげない。
彼は、もっとヤバイ修羅場を、掻い潜ってきたから、こんなことでは、恐怖を感じないらしい。
父親からの、暴行が終わりを告げる。父親は、酔いつぶれてしまった。
彼は、あたしを連れて、家を出る。
あたしは、彼の受けた傷を、丁寧に治療した。あたしも、上手くなったものだ。
大丈夫? と聞くと、彼は
お前こそ、大丈夫か? と返す。
あたしは大丈夫よ、君がいるから。
あたしのナカに居る彼は、別人格、と言うらしい。
彼は、とても物知りで、少しやんちゃで。本当は喧嘩も強いのだけれど、あたしがお願いして、父親を、殴らないでいてくれている。
彼は、よく呟いている。あの父親が居なければ、俺なんて、いなくて済むんだぞ、と。
けれどあたしは。一人きりでは生きていけないし、結局、あのクズな父親に、頼るしかないのだ。
あたしみたいな子供が、一人で生きていくには、世の中は厳しすぎるのだ。
都合よく、誰かが、あたしを助けてくれる夢なら、何度もみた。それが、夢であるとわかっているから、そんな夢は、見ないことにした。夢を見るだけ、辛かった。
そんなとき、あたしの痛みを引き受けてくれたのが、彼だったのだ。
あたしは、救われた。
彼は、父親を悪だと、言い切った。言い切ってくれた。お前は、悪くないんだ、と。勧善懲悪なんか、極僅かなんだ、と。
この世の中の、不平等さを理解したとき、あたしは、初めて笑った。
なんとでもなる。いつか、あの父親を捨ててやろう、と決意した。あたしは、あの日、これからは、彼と生きていくと、誓った。
end
話題:SS
12/08/10