雛祭り企画『私の目、君色』未来編
「雛人形と婚期」
今日は三月三日の雛祭り。女の子のすこやかな成長を祈る節句の日だ。
信と蓮の娘である冬姫が生まれてから、この日を迎える為に雛人形を飾るようになった。
蓮は生れは日本だが幼少期を海外で過ごしていた為、日本独自の行事に疎い。
帰国してからもカレンダー等でそういった行事の日があると言うとは認識していたが、一度もお祝いをしたことはなかった。
その為、冬姫が生まれて迎える初節句に対する信と千早の気合の入れようにとても驚いた。
雛人形は七段の立派なもので、これは蓮自身も初めて見る物なのだが実家にあった蓮のものだ。一度も飾られることのなかった雛人形だったが、定期的に手入れがされていたのか殆んど傷みはなかった。
雛祭りの日は必ず家族全員が揃う数少ない日。普段離れて暮らす兄である千早が顔を出すとあって、半休を取った信によって着付けられた振袖の袖をパタパタと揺らし「まだかな? まだかな?」と興奮気味だ。
夜になり、雛祭り用の菱型のケーキを持った千早が現れ、いよいよパーティーが始まった。
信特製のちらし寿司に蛤のお吸い物、他にも冬姫の好物がいくつも並び、デザートには菱形のケーキとひなあられ。
千早の膝の上で甘めのちらし寿司を口いっぱいに頬張る冬姫は終始ご機嫌だった。
そしてそんな楽しい宴の時間は終わり―――
「お疲れ、霜月」
「あっ! 長堀君、冬姫寝た?」
「あぁ、ようやくな……」
深い溜息と共に発せられた低い声から、千早の疲労具合が窺える。
(今日の冬姫、いつになく興奮してたもんね……)
夜も深くなり、いつもならもう眠くなる時間になっても冬姫の興奮は冷めやまなかった。
まだ遊ぶのだとグズる冬姫を千早が風呂に入れ、枕元で絵本を三冊も読んでようやく寝かしつけたのだ。
「ごめんね? 明日もお仕事なのに遅くまで。食器の片付けは信さんがしてくれているから、長堀君はもう帰っても大丈夫だよ?」
「明日が仕事なのはお前も親父も一緒だろーが。明日の朝、冬姫と一緒に朝飯食う約束したから今夜は泊ってく。それより……、もう片付けるのか? 雛人形」
「いつもは休日に片付けてんじゃないのか?」と、雛人形を片付ける為に人形についた埃を筆ではらっていた蓮の手元を覗き込んだ。
千早の言う通り、毎年雛人形は時間のある休日に片付けている。それなのになぜ、今年に限って雛祭り当日なのか。千早の疑問も最もだ。
「そうなんだけどね、会社で雛人形を長く飾ってると婚期が遅くなるって聞いて、じゃぁ今年から早く仕舞わなきゃと思って。だって、このせいで冬姫の結婚が遅くなったら困るでしょう?」
雛人形を片づけるのが遅くなればなる程に婚期も遅れていくのだと、同じ娘を持つ秘書の一人が言っていた。
勿論最後に「迷信ですけどねと」とも言われ、蓮自身も迷信だろうと思ったが、万が一このせいで可愛い娘の婚期が遅れてしまったらと心配してしまうのが親心。
「「いや、全く困らない!」」
「―――はっ!? えぇ!?」
てっきり「そうだね」と同意されるものだとばかり思ってたところに、まさかの否定の言葉。それも千早一人の声だけでではない。
「し、信さん!?」
いつの間に来たのか、千早の後ろに両腕を組んだ信が立っていた。
「蓮、雛人形はそのままにしておきなさい」
「賛成。今週の土日にも片付けなくていいから。ってか、むしろもう一生このまま飾ってたらいいんじゃねぇの? なぁ、親父」
「あぁ、そうだね。片付ける必要性を全く感じないからね」
うんうんとまるで名案だと言わんばかりに頷き合う父と息子。
「ちょっ、ちょっと待ってよ二人ともなに言ってるの!? 駄目よ一生出しっぱなしだなんて! あの子がけっこ……」
「「しなくてもいいから」」
「なにを言っているんだ」と鋭い四つの目で責められ、意味を理解できていない蓮はただただ困惑した。
(「なにを言っているんだ」は私のセリフなんだけど……。結婚しなくてもいいって、ナニソレ。それこそ駄目じゃない)
「お前さ、冬姫がさっさと嫁に行っちまっても良いわけ? えぇ?」
「えぇっ―――!?」
「千早の言う通りだよ、蓮。雛人形を早く片付けて、そのせいで冬姫が早くお嫁に行くことになってしまったら、一体どうしてくれるんだい?」
「はいぃぃ―――!?」
(早くお嫁に行っても良いのかって……、どうしてくれるんだって……)
あまりの迫力に、無意識に後ずさる。その隙間を埋めるようにジリジリと二人が詰めてくる。距離は開くどころか埋まっていく一方だ。
ここにきて蓮はようやく二人の言っている意味を理解した。
冬姫に結婚して欲しくないのだ。それも本気で。
信にとっては遅くにできた子どもで、しかも初めての女の子。千早にとっても、自分の子どもでも可笑しくないくらいに歳の離れた妹。可愛くない筈がない。現に、二人して目に入れても痛くない程の溺愛ぶりだ。
「どうなんだよ霜月」
「どうなんだい、蓮」
「あのっ、ちょっ―――! ふっ、二人とも冷静にっ! 冷静になろうよ、ねっ?」
(怖い顔してグイグイ迫ってこないでよ〜!)
「俺は至って冷静だよ」
「私もだよ」
(全っ然冷静じゃないじゃない――ー!)
ギリッと唇を噛んだ瞬間、蓮の中で何かが切れた。
「〜〜〜っ! もうっ!知らないわよバカぁ!」
「「――――痛っ!」」
涙目になりながら、手に持っていた二本の筆を二人目がけて投げつける。危険だとか、そんなことに構っている余裕なんてなかった。 どんなに自分が言葉を重ねようと、今の二人には無意味だと思ったし、正直説得できる自信もなかった。
筆は見事に二人のおでこに命中し、痛がっているその隙に冬姫の部屋に向かって逃げ出した。
ドアに鍵をかけ、後を追ってきた二人に「冬姫が起きちゃうから静かにして! 今から言う私の妥協案を呑まないなら冬姫とここに籠城するから!」と脅し、一つの妥協案を受け入れさせた。
雛人形を一生飾ったままにしておくなんて絶対にできない。そのせいで冬姫に好きな人ができても結婚できないだなんて、信と千早は大喜びだろうが蓮はそんなの許せない。
冬姫には想いを通わせる相手と幸せになって貰いたい。そうなるべきだ。だけど、雛人形を片付けたくない二人を納得させるには、こちらもある程度妥協しなくてはいけないだろう。
そこで、蓮がした提案は―――
“雛人形は3月いっぱいまで飾り、31日には片付けること”
一般的に年度末は3月31日。新年度は4月1日から始まる。
3月は別れと旅立ち、4月は新しい出会いの季節。
雛人形に拘るのは3月末まで。末日に雛人形を片付け、4月1日からの新年度を新たな気持ちで迎えること。
雛人形を31日まで飾ることで、もしかしたら冬姫の婚期が遅くなるかもしれない。でも、それは誰にも分からない未来の話で、蓮にっとっては一生雛人形を飾ったままの方が深刻な問題だ。もし迷信に僅かにでも信憑性があったとしたら、31日ならまだ婚期に望みはあるが、一生なら望みは文字通り一生ない。
その年から長堀家の雛人形は3月末まで飾られることとなるのだが、当事者である蓮は父と兄の思惑や婚期の話など全く知らず、純粋に雛人形を長く飾って貰えることを喜んだのだった。
*END*
婚期が遅くなる説ですが、この話を書くにあたり情報をググってみると、雛人形を出すのが遅くなっても婚期が遅くなるのだとか(´・ω・`)マジか―
立春〜2月24日頃までで、遅くとも雛祭りの一週間前には出した方が良いそうです。
まぁ、北川家ではもうかれこれ10年以上雛人形を出していませんが。だって七段飾りなんて出す手間と片付ける手間を考えたらもう……、出す気なくすでしょう。
―――ハッΣ(`・ω・´) だから灰羅まだ未婚なのか! 好きな相手も二次元なのか!