話題:SS
●裏道
秘密の裏道はこの世界に1億超。
その中でも誰かに知られている裏道は、200万未満。
行きつく場所があるのは、その半分。
その中であるレストランカフェに辿り着くのは、たった一つしかない。
「ワコ」
学校への裏道なら知っていた。でもそれは裏道ってほどのものじゃない。各クラスに数人は知っていて、そのうちほとんどが、正門から帰ってしまっている。それだけの裏道だ。誰も隠していない。あまりに不便な位置にある裏道の入り口のせいで、誰も使いたがらないのだ。秘密の裏道、だなんて知る人は言うけれど、使えない裏道は秘密の裏道ではない気がする。それでも和子はこの秘密の裏道を使っていた。理由は簡単。どうしてもと誘われた競技前の部活動の練習から、週5日のバイトへと抜け出すためだった。誘われた部活動も、渋った挙げ句賄賂をもらっていたりするのだけど。だから、その秘密の裏道で、後ろから声をかけられたとき、勧誘してきた部員にサボりを咎められると思ったのだ。
しかし声をかけてきたのは部員ではなかった。その顔に驚いて目を見開く。喜七(きしち)だった。
「あれ、珍しいね」
喜七は名の通り、七人兄弟の末っ子だ。喜七を待望した両親、長兄と五人の姉にはかなり可愛がられているらしい。事実上の次男坊のくせに、男らしさも次男によくある小さな虚脱感もない。悲しいかな“異邦人”という言葉がよく言われる。同級生にあまり馴染まないし、言葉が通じない。むしろ人を掻き乱すのが好きなようだった。ちなみにワコと和子を呼ぶのも、喜七だけである。
「どこへ行くの」
「バイト」
「だから何の」
和子は笑った。こいつは当に和子がバイトを掛け持ちしているのを知っているのだ。
「引っ越しや」
「へえ」
「なに、それだけ?」
妙に歯並びのいい口が、にやりと口角をあげる。やはり変なやつだと和子は首をひねった。でも仕方がない。この学業本分と言えない和子の生活を知っているのは、喜七のみだ。そして喜七と自分ほど仲良くしているのも和子のみ。お互い様なのである。望みもせずそんな風なってしまった状況に、和子はこっそりため息をついた。変わった人間と望まねど付き合う自分も、やはり似たところがあるのかもしれない。
「今日も来るんだろう、夜」
そう言った喜七が何故か爽やかで少し男の子だと感じたのは、この秘密の裏道のせいもあるのだろう。
「うん」
「そうか。ならやるよ」
「カロリー0のコーラ!!」
和子は目を点にした。
「やるよ…って。これ飲みかけじゃない!」
押し付けられたコーラを、また押し付け返す。さっき買ったばかりなのだろうコーラは、ひんやりと冷たさを放ち和子の手のひらから喜七の胸に移動した。
「あ?何が行けないんだよ。俺はビンボーなワコを想って、」
「だからってあんたが」
そう言いかけて口をつぐむ。それからワコは呆れたように喜七を見た。つまりは何も感じないのだ、この男。自分が一度口つけた飲み物を異性がそのまま飲もうとしても。伝わらなそうなことが分かり、いらいらと喜七を見つめれば喜七も和子を見つめてきた。キャップをひねる。
「ぷ、お約束。カンベンしてよね、これからバイトなのに」
「そういえば振ってきたのわするてた」
のんきな台詞に和子は改めて脱力した。
「買ってあげる。」
「いらない。それに私はあんたのお金が好きじゃない」
そう言うとにやにやと喜七が唇を綻ばせる。気持ち悪さに思わず和子は嫌な顔をする。簡単に学生が他人に制服を、買ってあげる、だなんて。和子は思考を巡らせてますます嫌な顔をした。喜七はどうも時々こういうことをする。生まれが良すぎてポケットマネーの不自然さが身にわからないのだ。和子はため息をついた。
「じゃ、あたし行くから」
「あ〜、待って……、あ〜」
「は?」
「着替え。しなきゃ」
希七の言うままに和子は視線を下ろす。あ。すぐに和子の表情が変わった。シャツが透け、下着が見える格好になっている。希七は無言で固まる和子の手を引いて、どこかへ歩き始めた。
「どこに向かってるの」
「カフェレストラン」
「そこで着替えするの?てか遠い?バイト遅刻するって電話しなくちゃ…─」
「間に合うから」
希七はそう言ってくすくす笑う。笑うところではないはずで、和子は怪訝そうに彼を見た。学校の端の裏道はもうすぐ終わる。生垣の中をただただ通りすぎようとしたとき、いつもの道とは逆方向に希七が和子の腕を引いた。
「裏道ってのは、複数の裏道の一部であることが多い」
「へ?」
にこっと希七が笑う。妙な笑顔だとは思ったが、この笑みのときは希七は何も教えてはくれない。例の不思議の夢だって、もったいつけて話始めてあまりに意味がわからず和子が質問すると、妙な笑顔でかわされた。つまり希七は何も話してはくれないのだ。
『夢の共有者は、半身が空のかなたにある人のことなんだ。これは俺の推論だけどおそらく、そう。夢の中で俺らは空人と呼ばれて、いつだって悪夢を繰り返す』
和子が授業中寝てばかりの希七に、夢を見ているのか、と尋ねたときだ。希七は妙な笑顔を作り、普段使わないような優しい声を出した。
「もうすぐ」
涼しげなビル内に足を踏み入れたとき、希七はそう告げた。なるほど3分とかからない。これなら案じていたバイトにも遅刻せず済むかもしれないと和子は思った。
トン、トントン、トン…
イライラしているのか希七が妙にエレベーターボタンを押す。
「ねえ、壊れるよ」
「大丈夫だろ。それよりコーラ飲んじゃって」
「なんで」
「飲食物持ち込み厳禁なんだ。あのレストラン」
はああ?!
あんぐりと口をあけ希七を見た和子だが、すぐに諦めてコーラを持つ。また炭酸がかからないように
●かくれんぼの夜
「あ」
「え?」
自分より背が高い男の子。珍しいな。
「ワコっていつも夜に来るんだね」
目を細めて笑う、希七は妙に色気がある。
「うん」
「うん。嬉しい」
「ああそう」
希七は最初に出会ったときから変人で色気があってマニアックなファンクラブらしきものがあるような徹底した変わり者だった。それでいて和子よりも背が高い、ちょっと日本離れしたすらっと体型。顔は悪いとは思えないし、喋らなければ身長分随分稼ぐのだ(イケメンポイントを)。だから、少なからず希七と自分の関わりに和子気をおいていた。
●羊
「うわ、今夢でも絵を描いてたし」
希叶(きと)かはげんなりとした顔で、落ちていた絵筆を拾い上げ席を立った。すると肩から何かが崩れ落ちる。
「あ…」
厚い膝掛けだ。ドサリと落ちた膝掛けは希叶から熱を奪っていく。振り返って、ようやく和子が来ていたことに気づいた。
「わこ」
ゆさゆさと和子の肩を希叶が揺らす。眠る吐息がその揺れと一緒に震えて、希叶は思わず笑った。和子に出会い、最近はこの場所に帰ってくるという感覚を持ち始めた。
「はれ、きと...?」
「毛布ありがとう。でもそろそろ帰らなくちゃいけない時間じゃない?わこ」
「あ、やべ」
●冷廟
なんとなく分かっていて、やっぱりと分かってしまった。俺は血も涙もない人間だから。
「ねえ、龍さん、」
和子の大きな眼。引き寄せられるようにその瞳の奥を見ると、少し青みがかっている。初めに気づいたときは、少し恐れ戦いた。その色彩は龍がずっと求めてさ迷いそれでも得られなかった色彩だった。「綺麗だ」と呟くと、和子は首をふるふると振りまくり、挙げ句「龍さんの瞳の方が、百万倍綺麗です!」龍の親は満州の出身で、幼い頃は其処にいた。龍の名も、瞳も龍は憎んでいたというのに。