新幹線なうです´`
昨日のことを、忘れないうちに書いておきます*
まず昨日は高台にある神社までタクシーで行きました
タクシーの運転手さん(確か菊地さん…)は、地震と津波があった時は車内にいて、
シートベルトが外れず、くぐって、偶然割れた窓から脱出したそうです
その時は既に津波にのまれそうだったけど、近くに流されてたトラックの屋根に乗って(菊地さんはトラックでサーフィンしたと言ってました)、
そこから電柱の足掛けにしがみついて、生き延びたと言ってました
「生き延びた人さはみんな似たような経験してるはずだ」
とも言ってました
神社に着き、家の土台しか無くなった景色を目の当たりにして、
そこに親戚のおばさんの知り合いが住んでいたことや、神社に避難できた人はみんな崖を登ってきたことを聞きました
私は一般的に見て運動能力ある方だと思いますが、
とてもじゃないですが、人が身一つで登れるような崖ではありませんでした
「みぃんな必死だったっちゃ」
とおばさんは言ってました
商店街を歩きながら、石巻に着いてからなんとなく感じていた空気(というか臭い)の変化が、ヘドロによるものだと気付いたり、
本当に必要な支援はなかなか追い付いていないと聞いたり、
まだまだ被災は終わらないと強く感じました
支援の輪が広がっていることも間違いないでしょうが、
自分から見えないものを、どうしても忘れがちになってしまうのが人間だと思います
おばさんは避難所で3日過ごした後、30pもヘドロが積もった自宅に帰り、
「いっそ家なんて流されればよかった」
と思ったそうです
私は本や棚がぐちゃぐちゃになった自宅を思いだしました
食べ物も水もあり、風呂だけ心配すればいい状況でも、家を元通りにするのは神経を使いました
ひとりで、国からの義援金もそこそこに、あそこまで家を元通りにしたおばさんには本当に頭が下がります
他にもいろいろなことを見て、聞いてきましたが、とても書ききれないので、最後にひとつだけ´`
タクシーに乗っている時に、菊地さんがふと外を見ながら、
「そこにある、その川さ。
濁って分かんねけども、きっとまだ車ごと人も沈んでっけ。
このちょっと先にある橋から、ゲームみたいにポンポン車が落ちてくの見たから間違いね。」
と、言っていました
本当にショックでしたが、現状はこうです
まだ多くの行方不明者がいることも事実です
おばさんは「今度は彼氏とおいでっさ」と言ってくれましたが、
まずは私のできる支援をしようと思います