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作戦勝ち

(幼少期)




 紺はふと空を眺めた。湿った風が吹いてくる。やっぱり明日は雨になりそうだ。
 顔馴染みの店に買い物に行くにはいじめっこがいるエシュマ商店街を通らなければいけない。薬屋に弟のアルの薬を買いにいくのだ。うっかり買い忘れてしまっていて、明日の薬がなかった。肩に怪我の後遺症が残るアルは寒い日や雨の日になると痛がって泣いてしまう。明日は雨になりそうだから、絶対に必要だ。
 放課後、紺が買い物の店を告げるとイシュリカは「私もいく」とついてくる。幼いアルを花屋に迎えに行き、とことこと歩いていくと、同じ商店街地区に住む友人たちがぞろぞろとやって来る。
「リカ、紺、遊ぼー」
「ごめん、あとでね。これから薬屋さんに行くんだ」
「……俺らも一緒に行く」
 一つ上のゼアン、イーリカ、その弟のシュルマ、同い年のシェーフェ、フェメルがついてくる。紺は学校の帰り道に喘息の発作を出して倒れたばかりで、病み上がりだった。
 広場に行くといつものいじめっこがぞろぞろと出てくる。そばかすのガキ大将はどうも紺を目の敵にしていて、通せんぼをしてくるので困ってしまう。
「やーい、片目おばけ!」
「拾われっ子ー」
 確かに片目ではあるが、紺はおばけではない。病気で目を取ってしまったので、どうしようもないのだ。拾われっ子なのも本当だからどうしようもない。こういうどうしようもないことを言われるとちくりと胸が傷んだ。
「みんな、目を見るなよ、不幸になるぞ!」
 赤い目なのも仕方ない。
 うつむいてしまった紺にイシュリカの堪忍袋の尾が切れた。紺が顔をあげて言い返そうと口を開く前に「おまえらー!」とイシュリカが怒鳴る。
「なんだよ! お前はかんけいなんだろ!」
 そこからはぎゃんぎゃんとイル商店街対シュルマ商店街の喧嘩である。男の子たちの闘争心に火がついたところでさっとイシュリカは身を引いた。おろおろしている紺の手を引く。
「紺、行くよ」
 イーリカとイシュリカが紺を連れて薬屋まで連れていってくれる。おっとりしたイーリカは喧嘩は苦手だし、イシュリカは紺を早くここから離れさせたかった。喧嘩に付き合っていると暗くなってしまう。肌の白い子は人さらいに狙われるから、帰りが遅くなってはいけないのだ。商店街の大人に、紺とアルを暗くなるまでつれ回さないようにと口を酸っぱくして言われている。本当は路地裏を通りたいが、人気のないところもいけない。
 薬屋の主人は腰の曲がったしょぼくれた老人だった。
「アルの調子はどうだね」
「寒いとだめみたい。明日は雨が降りそうだから買いに来ました」
「明日は雨かね?」
「雨ですよー」
「ほうかね。ラズ坊の天気予報はよう当たる。薬草をしまわんとな。そこに座って待ってれ」
「はーい」
 紺はアルを抱っこして椅子に座る。イーリカとイシュリカは興味津々で店を眺めた。健康な二人は薬屋に縁がない。
「紺はよく来るの?」
「兄さんと来るよ。アルの薬を買いにくるの」
 イシュリカは小さな白い姉弟を見た。喋らないアルは紺の膝に抱かれて指をくわえている。青と緑の目をした男の子だ。いつも首にスカーフやマフラーをしている。姉の紺にべったりな甘えたである。紺は身体が弱く、薬が必要なのは分かるが、アルが身体が弱いとは聞かない。
 イーリカは気まずげに尋ねた。
「……なんの薬を?」
「痛み止め。アルはまだ小さいから薬草の薬が良いって、センセが言ってた。ねー、薬屋さん」
 ほうさのぅ、とごりごりと老人はすり鉢で薬を磨り潰している。
「病院の薬はちびにはちと強い」
「アルはどこか悪いの?」
「昔怪我したんだ。それがまだ痛いから薬がいる」
「そうなの……」
「最近はあんまり薬がいらなくなったよ。前は毎日泣いてたけど」
 紺はぎゅっとアルを抱き締めた。
「僕が代わってあげられたらいいのに」
「んぅ」
 アルが目を細めて紺にすりよった。無表情のアルの表情がふに、と柔らかくなる。兄のシュトリや紺が側にいるとアルの表情は少し豊かになった。11、12歳になれば、なんとなく孤児がどういう暮らしをしているかわかるようになる。紺とアルはシュトリの養子だ。捨て子の紺とアルを引き取ったのだと、商店街の大人は話していた。だからと言って、差別はしていない。小さく身体の弱い紺が「兄さんが大変だから」と幼い弟の面倒見ながら、一生懸命買い物をしているのを見ているのだ。赤い目を気味悪がられたようだが、時に歩くだけでも息を切らすような紺にイル商店街の住人は心配して手を貸していた。人買いに狙われないように怪しい人物に目を光らせている。お陰なのかどうなのか、イル商店街界隈は犯罪がないらしい。
「良くなるわよー、紺」
「ありがと、お姉ちゃん」
 にこっと紺は笑った。
「ラズ坊、できたぞ」
「ありがとうございます。お代ですー」
 紺は代金を支払い、子供らはおやつにあめ玉をもらって薬屋を出た。
 てけてけと広場まで戻ってくると喧嘩は終わったらしく、いじめっこも友人たちもいなかった。安心して家へ帰ろうとすると、横からさっと袋をかっさらわれた。
「のろま!」
 紺はあっと声を上げた。いじめっこたちが薬の袋を抱えていた。
「返してよ! 大事な薬なんだよ!」
 つい追いかけて走ってしまう。引っ張られたアルはべしゃりと転んでしまった。
「あっ、アルっ」
 泣き出したアルを紺は慌てて抱き起こした。
「ごめんね、アル。大丈夫?」
「こん、いたいの……」
「あ……肩、痛いの? ごめんね、アル。ごめんね」
 肩を押さえてしくしくと泣くアルを抱えて、紺は泣きたくなった。イーリカとイシュリカが取り返そうと躍起になっているが、ぽんぽんといじめっこたちの手から手へ投げ渡されて取り返そうもない。
 ざわと冷ややかな風が吹いた。紺は空を見上げた。思っていたよりも早く雨が降りそうだ。よし、と紺は立ち上がった。可愛い弟のために一肌脱がねばならない。
「返してよ!」
 紺は袋を追いかけた。頭上を通り過ぎる袋に手を伸ばした。背の低い紺は飛び上がっても手が届かない。
「やーい、ちび」
「のろまー」
 ひとしきり追いかけ、紺は咳をした。胸を押さえてけほけほと咳をして、膝をついた。
「紺!」
 イーリカとイシュリカは慌てて紺に駆け寄った。紺は喘息持ちだ。激しい運動はしてはいけない。この間帰り道でひどい発作を起こして、病院に行ったばかりだ。やっと良くなって、学校に来られるようになったというのに。帰り道、激しく咳き込み、ぜいぜいと苦しげに息をして倒れた紺を思い出して、イシュリカはおろおろした。「可哀想に、あの子はあんまり長く生きられないねぇ」……商店街の大人がそう噂していたのをイシュリカは耳にした。
「お、おい、大丈夫かよ」
 ガキ大将が罰が悪そうに声をかけてくる。紺は彼が薬の袋を持っているのを素早く確認した。
「大丈夫なわけないじゃない! 紺は病み上がりなのに!」
「くすり、かえして」
「わ、分かったよ」
「はい、どうも」
 紺はさっと薬を取り上げ、けろりとして立ち上がり、思いっきりガキ大将の脛を蹴りつける。
 さっさとかばんに薬をしまい、アルを抱き上げた。アルはぎゅっと抱きついてくる。
「な、な、演技かよ!」
 べ、と舌を出した。イシュリカもイーリカも目を丸くしている。
「だ、大丈夫なの、紺?」
「作戦勝ち〜」
「返せ!」
「今から窃盗罪で治安局に通報するから。一年から三年の懲役、罰金100万。あーあ、12歳で前科持ちなんてお先真っ暗だねー。じゃあねー」
 すたすたと歩き出す。
「覚えてろよ!」
「……てめぇこそ覚えてろ」
 紺は睨み付けた。赤い目が暗く凶暴な光を帯びる。
「アルにちょっかいかけたら――殺す」
 ぽかんとしているイシュリカとイーリカすらおいて、紺はふんと踵を返した。



「ちょっと紺!」
「あ、ごめん。演技だったんだー、上手いでしょ。いたっ」
 イシュリカは容赦なく額を叩いた。
「紺ー、心配したじゃないー」
「ごめんなさい」
「もうあんなことしないでよ!」
「有効的に使う」
 紺は胸を張った。
「紺!」
「力だけじゃ駄目だよ。頭を使わないとね」
「こんー」
 アルが肩を叩いた。
「なあに」
「くるしいの、だいじょうぶ?」
 途端に紺の眉が下がった。
「ほーら、紺」
 分かったと紺は頷いた。
「アルの前では使わない」
「分かってない!」
 べしっとイシュリカは紺の頭を叩いたのだった。

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