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和気の原稿/9月2日分です

タイトル
 気功治療への道案内/十二日目

本文

◆基本的な経穴(ツボ)の取り方

 私が夏季休暇を頂いている間に、季節はゆっくり動き、秋雨前線が日本列島に横たわり、またまた九州に大雨をもたらしていた。

 「今日から少し難しい話になりますが、なるべく解りやすくゆっくり話を進めていこうと思っていますので、またいつでも口を挟んで下さいね。」
 二人の娘がノートを広げて学ぶ体勢になったのを見て、私は言った。
 すると、佳与が直ぐに口を開いた。
 「難しいってどういうことですか?」
 「寸関尺での脈の配当や五行の相生相剋の関係などが頭に入っていれば問題ないんですが、それをいちいちノートを見ながらになると、結構、面倒くさいというか、ややこしいパズルのようになってしまって、混乱するという意味ですよ。」
 私は佳与に顔をむけて笑い、話を続けた。
 「今日は、脈診による気功治療の柱になる話です。
 つまり、証を立てて、それに応じた治療に必要な経穴を選んで治療をするという、その基本理論を覚えましょうということなんですよ。」
 「今までの集大成ですね。」
と、茉奈が言った。
 「臨床ではありませんので、まず、基本の基本をお話ししますね。」
 そう言って私はホワイトボードに〔肺虚証〕と記した。
 「まず、肺虚証ですが、これは、コレまでに学んだように、寸同士の肺と心の比較では肺が虚、関同士の脾と肝の比較では脾が虚で、尺同士の心包と腎は平、即ち、比較なしという脈で、つまり、脾と肺の二つが相生的に並んで虚になっている訳で、この場合は脾が母で肺が子に当たりますから、子である肺の名前を取って肺虚証と名付けるんですが、そこまではいいですか?」
と、私は佳与に訊ねた。
 佳与はノートの五行の図を見ながら、肺と心で肺、脾と肝で脾、肺と脾は並んでいて、肺が子だから肺虚証…と、指でノートを押さえながら確認していた。
 「それが肺虚証の基本で、それのバリエーションというのか、変化形は幾つもあるんですよね?」
と茉奈が訊いたが、それを一緒に離すと更に混乱するので、それはまた基本が終わってから離すことにしますと、私は答え、話を前に進めた。
 「さて、肺虚証と決まったら、それに対する治療です。」
 「肺経と脾経を補う、つまり、二つの経絡に気を入れる訳ですね?」
 佳与が解ってるよとばかりに背筋を伸ばして言った。
 「では、どのツボを用いると思いますか?」
 私が訊ねると、
「肺経の原穴である太淵と脾経の原穴である太白ではないんですか?」
と、茉奈が答えた。
 「ツボはそれで良いんですが、実は、それは原穴として使っている訳では無いんですよね。」
 私が言うと、茉奈がノートを見ながら、
「二つとも原穴ですが…」
と、怪訝そうな顔をした。
 「確かに、太淵も太白も原穴なんですが、肺虚証の治療として用いる場合には、原穴とは違った意味合いでツボを取っているんですよ。」
 二人は意味不明といった感じだったが、それは当然のことだった。
 「以前、虚したるは、其の母を補えという話をしたと思いますが、この場合、子である母を補うことを治療の主眼に置くんです。
 で、この場合、肺が子になっているんですが、肺は五行で言えば金ですよね?
 そして、金の母は土になりますよね。」
 佳与はノートに目を落としていた。
 「そして、これは初めて出て来る話なんですが、それぞれの経絡の中に、木火土金水の五行の性格を持っているツボがあるんですよ。」
 「ということは…」
と、茉奈が口を挟んだ。
 「肺は金に属しているけれど、その金である肺経の中に木のツボ、火のツボという具合に、木火土金水のツボがあるということですか?」
 「はい、そうなんです。
 そして、金の経絡を補うには金の母である土のツボを用いるということで、その肺経の中の土のツボが太淵になるんですよ。」
 「ということは、肺経の場合、原穴も太淵、土穴も太淵だということですか?」
と、茉奈が確認するように言った。
 「はい、使うツボは同じ太淵なんですが、意味合いとして、金の経絡の母穴である太淵を用いているんだと理解しておかないと、他の虚証の場合、原穴と違うツボを用いますので混乱してしまいますから、五行的な考えでツボを取るんだということを理解しておいて下さいね。」
 私が言うと、
「その肺経の中の五行のツボを教えて下さい。」
と、佳与が言った。
 「それは、次回に表にして来ますので、今日は、その考え方について、しっかり理解して下さい。」
と、私は応え、話を次に進めていった。、
 「次に、脾経に対しても太白を用いるんですが、これも、原穴ではなく、土穴としての性質を持っている太白を用いることになるんですね。」
 私が言うと、ちょっと待って下さいというように茉奈が手を挙げた。
 「脾も補うンですから、脾は土ですから、土の母に当たる火のツボを使うんじゃないんですか?」
 「いい質問ですね。
 確かに脾も補うんですが、今の治療の主になっているのは肺虚でしたよね。
 その肺に気を補う訳で、その為に、母経である脾経を用いるんですが、この場合、火を使うと、肺の金に対しては相剋になってしまい、少し意味合いが違ってくるんですよね。
 だから、脾に対しては、同じ土のツボを用いる方が良く、そうすると、そのツボは太白になるんですよね。」
 「やっぱり、訳わかんなくなってきましたよー。」
 佳与がため息混じりに声を上げた。
「○○虚証の場合、基本的なツボの取り方は、《自経の母穴と母経の自穴》ということになっていて、まずはそこからツボを取るようにするんです。」
 「ちょっと、良いですか?」
と、再び茉奈が手を挙げた。
 「すると、肝虚証の場合だと、肝経は木だから、その母になる水のツボと、肝の母になる経絡である腎経の水のツボを使うということですね?」
 「そうそう、そういうこと。」
 私が笑いながら言うと、佳与も手を挙げた。
 「私だって考えれば判るよ。
 えーと、例えば腎虚だと、腎は水だからー、その母に当たる金のツボと、肺経は金だから、その自穴を使うということで、金のツボを使えばよいってことになりますよね?」
 「素晴らしい! 
 私は大きな声で手を叩いた。
 「五行全部のツボについては、次の時に表を持って来るとして、今日は、各虚証の時に用いる基本の二つずつのツボをノートに書いていって下さい。」
 そう言って、私はホワイトボードに、次のように記したのである。

●肝虚証(木虚)→曲泉(肝の水穴)、陰谷(腎の水穴)
●心虚証(火虚)→中衝(心包の木穴)、大敦(肝の木穴)
●脾虚証(土虚)→大都(脾の火穴)、労宮(心包の火穴)
●肺虚証(金虚)→太淵(肺の土穴)、太白(脾の土穴)
●腎虚証(水虚)→復溜(腎の金穴)、経渠(肺の金穴)

 それをノート何写しながら佳与が訊いた。
 「先生、心経を使う時、心経のツボではなく心包のツボを用いているのは何故ですか?」
 「それはいいところに気がつきましたね。
 でも、その話はまたにして、、今日は、肝虚には曲泉、陰谷、肺虚には太淵、太白のように、取り敢えず、基本になる法則的なツボの名前を覚えて下さいね。
 そして、次回はツボの位置や他のツボの取り方なとを
  学ぶことにしましょう。

丹と空との往復呼吸

【丹と空との往復呼吸】8月23日

 丹田の力と天空への広がりを同時に練習する呼吸法を開発した。

 この呼吸法を練習することで、丹の力は更に強くなり、空の広がりは益々広がっていくだろう。

 この呼吸を実習する前提として、次の点をクリアしていて欲しい。

*体幹(胴体)一杯の「ふぁんそん感覚」があること。

*丹田感覚を伴う意守丹田が出来ること。

*皮膚のバリアが薄れ、外と中の境目が分別できない感覚があること。

 以上の三つをクリア出来ている人は、是非、この〔丹と空との往復呼吸〕を実践して、その感想を聞かせて欲しい。

1、
 まず意守丹田をする。

2、
 息を吸いながら、感覚を体幹(胴体)一杯に広げる。

3、
 続いて、息を吐きながら、気を皮膚から外に押し出して広げていく。

4、
 次に広がった気を体幹内(胴体内)に吸い入れる。

5、
 吸い入れた気を、丹田に集めるように吐く。

 2〜5を数回、十数回、数十回繰り返す。

 気を天空一杯に吐き出した後、その感覚を体感したまま自然呼吸に入ったり、丹田に集めた後、意守丹田のまま自然呼吸に入ったりするのも加えてみると善い。

 最後は、必ず丹田に気を戻し、丹田感覚を充分に味わってから終わるようにする。

 以上!

丹と空との弁証法

【丹と空の弁証法(陰陽論)】8月23日

 気が集まり凝縮されて、命の原動力になっているものが〔丹〕であり、気が拡散し、天空一杯に広がり、執着から離れた涅槃の境地をもたらしているものが〔空〕である。
 体内をふぁんそんさせ、その上で気を丹田に集めていく。
 丹田は温かくなり、更に熱くなっていく。
 その丹田の気が膨らんでいき、腹部一杯から胴体一杯に広がり、更に皮膚を越えて外に広がっていく。
 皮膚のバリアは薄れ、感覚的に中と外の境目がわからなくなり、中と外が一つに溶け合い、その実感のある空気感覚が更に膨らんでいく。
 それが〔空の体感〕である。
 〔空の体感〕の大きさは、人によって違う。
 周囲1mのひともいれば、10mの人もいる。
 更には、この天空一杯に広がっている人もいるだろう。
 しかし、どんなに広がろうとも、最後は気を丹田に戻し、〔丹〕の力を強くしなければならない。
 丹と空との凝縮と拡散の連続は、まさに、気が呼吸しているようである。
 この丹と空との気的な呼吸こそが気功の核心ではないかと考える今日この頃である。

気功は人生の師

【気功は人生の師であり友である】8月22日

 気功を総括的に把握してみると、その中に含まれている様々な功法も気の訓練も、陰陽論的に、或いは弁証法的に、全く違ったように見える二つの相対立する要素の闘い「作用と反作用」とその統一された美によって成り立っていることが解る。

 例えば、白隠禅師の軟酥の法と内観の秘法。
 一つは貫気法としての洗い流しであり、もう一つは意守法としての意守丹田(丹田力の強化)である。
 片方は体内をふぁんそん(空)にし、片方は気を丹田に凝縮する。
 全く違った内容なのだが、この二つを統一的に把握し、実践してこそ、白隠禅師の教えへの道が開けるのだ。
 まさに陰と陽との二極の美である。
 或いは、上虚下実の自然体、これも陰陽の美だ。
 これについては、練功の段階によって体感は様々だ。
 液体と固体、軽い液体と重い液体、気体と液体、軽い気体と重い気体、涼やかな空と温かな空等々だが、やはり、陰陽には変わりは無い。
 肉体的な(体力的な)力は丹田の強化に向かい、精神的な安心、安定、解放感は空への体感に向かう。
 このように、空と丹との二極的な体と心の統一的な発展をもたらす気功は、単に運動法や健康法を越えた、まさに人生の師で有り友であるのだ。
 そして、僕(和気)の気功は、この道を探究し続け、仲間と共に、大きな山を築いていくことを目指しているのだ。

気功教室のあり方について

【気功って広大だなぁ】8月22日

 気功の仲間に意見を求めたり、もちろん自分でも思考を巡らせたりした結果、一定の到達点に到った現状を打破した先にあったものは、最初の登山口であった。

 体をゆるめ、気の心地良さを体感し、その体感を体の中で巡らせることで心身の邪気を洗い流し、体内をふぁんそんさせて、丹田の気を充実させ、そこから外に広がり、空を体感する。
 要するに、凝縮した丹田と拡張した空との間を自由に行き来する(出来るようになる)ことが気功の道なのだということであったのだ。
 これを陰陽論的に言えば、
「空極まれば丹になり、丹極まれば空になる」
ということになり、弁証法的に言えば、
「空から丹への飛躍、丹から空への飛躍」
となり、哲学的な意味での
「否定の否定」
の連続性になるのだろう。
 天空の北端に「空」を配置し、南端に「丹」を配置し、その間の球体的な空間の間に様々な星々が散りばめられているように、様々な功法も様々な気の訓練も、その中に規則的に配置されているのだ。
 その一つの配置が「緩感貫採練(かんかんかんさいれん)」なのであろう。
 
 そして、「空」への誘いは「菩薩静功」なのだと確信したのである。
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