年明けからTwitterを賑わせている紀伊國屋渋谷店について考えてみる。
話題:読書

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naverでまとめられているのでこちらをざっと見ると理解の足しになると思う。
(1月3日現在、既にフェアは撤退して書店員が謝罪コメントを出している)

なんちゃら女子とか女子に読んでほしい云々に直接かかわる批判・意見は他の人の文言でもいろいろ言われているので、
ここでは
「東野圭吾と村上春樹しかしらない女性に云々」の箇所をとりあげたい。

まず、東野圭吾読者と村上春樹読者の層は異なるのではないか、という点。
たしかに両者とも多くの作品がメディア化されているという共通点はある。でも、他にも宮部みゆき、三浦しおん、有川浩など昨今ドラマ化・映画化などでよく耳にする名前はある。
にもかかわらず、なぜ東野圭吾・村上春樹なのか。
村上春樹・東野圭吾はネームバリューという点では頭一つ抜けているかもしれない。それならばもう少し練った文章を考えてほしい。
コンビニの商品の購買層把握ボタンのようなものが書店にもあり、20・30代女性の村上春樹・東野圭吾読者層が著しく高いということかもしれない。(というかそのような購買層判断材料がないと、女性は文庫を読まないなどと言う言葉は普通でてこないからきっとそういったシステムはあるのだろう。)しかし東野圭吾と三浦しおん、有川浩は同列に捉えることができても、村上春樹は若干異なるジャンルなのではないか、と私は考える。(これも、書店員からみたら違いなんてないのかもしれない、あくまで私の思う読者層の違いに過ぎないが)
というかぶっちゃけ、村上春樹を読む人は他の人の作品も読んでいると思うのだ。江國香織か吉本ばななか知らないけど、村上春樹を読んでいる人、それも紀伊國屋書店に足を運ぶような人が村上春樹しか読んだことない、なんてありえないとおもう。
図書館でも読めるような本をわざわざ書店まで足運んで本の陳列とか見に来てるのに東野圭吾と村上春樹しか読んでへんと思われてるてどうよなめてんのか、というのが私がこの企画どうなん、と思っている一番の理由である。
確かに、文庫を読む女性は少なくなっているのかもしれない。
では男性は少なくなっていないのか?
読書をする女性が少なくなっている原因を考えようとはしないのか?
女性をターゲットにするにあたってどのようなマーケティングを行おうとしたのか?
という数々の疑問が生まれるが、この問題が発展するまでに考えられてこなかったように思う。

なんでもかんでも女子女子いうたらいいと思ってんのか。

紀伊國屋渋谷店の店頭にブースを作ったことは一番失敗だったのではないか。
文庫を読まない女性はそもそも紀伊國屋書店には行かないだろう。(渋谷店の実情を知らないから、もしかしたら実際はそうなのかもしれない)
私がもしその現場に居合わせたとしたら、紀伊國屋には少し幻滅するだろう。






いいたいことをいいまくったため文章が支離滅裂です
気が向けば訂正します