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つまりそれはやはりそれで

xx年x月x日生まれx型x性。
私に与えられた初期ステータス。この先変わることがないであろう情報は少なく、その他住所氏名性格顔はいくらでも変えることができる。私には自由がある。

他者の評価で生きていると、人に嫌われ否定されるのが怖くなる。自分という人間を他者のみに支えて貰おうとするからだ。だから自分が崩れるような錯覚を起こす。私から見た他者の中には嫌いな人がいる。だから他者が私を嫌うのは当然の事象だと思う。

私は他者を通して自分の存在を確認している。ひとりだと自分の存在が希薄に感じられるため、他者へ繋がりを求める。しかし私は元々誰かに共感したいと思わない。他者は私を映し出す鏡にすぎないと考えている。

何を思おうが、全て他者の考えにすぎない。大事なのは自分の考えだ。

ピン

領域の取り合いはリアルもネットも変わらないね。"ここは自分の陣地ー!"って旗を掲げられたらなぁ。居心地の良い場所も時間も人も。

きっと追いつけない

返済期限はお互いが生きている間。長いのか短いのかも不確かな限られた時間で、精一杯できた、後悔はないって言えるようになるには、もう追いつけない気がする。これがツケというやつなのだろうか。

空を掴むみたいに

就活の職業を決めるうえで、このような問いがある。
「もしこの先の成功が約束されているとしたら、あなたは何になりたいか(または何をしたいか)」
絵本作家、小説家、建築家、心理カウンセラー、お花屋さん…。
どれも違ったのは、「必ず成功する道」ではなく「1番楽に生きていける道」を望んでいたから。

真っ白いキャンバスが羨ましい。
何色で描いても私は気に入らなくて、破ったり踏んづけたり隠したり途中で投げ出したりして、それを個性と呼ぶには情けなくて、人に知られないよう燃やすことをばかり考えている。失望されたくなくて、いい子になれなくて、自分を苦しめて、人のせいにして、逃げて、辛くなって、消えたくなって、考えるのをやめて、また周りに迷惑をかけながら自分を苦しめながら、いつまでも死ねないんだろうね。
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