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16歳の恋

10代の私は、自分が愛されることにとても飢えていたのだと思う。

今は時が過ぎたので冷静になってその事を見ることが出来るけど、
その当時は淋しさ、虚しさを埋めることばかりに気持ちが注がれていた。

自分がマイナス思考なのも全て周りの環境のせいにしてしまっていた。




初めて恋をしたのが16歳の時。
相手も同じ年。

このときの出会いはアルバイト先。

飲食店でアルバイトを始めた。
友達のYちゃんと一緒に。

私とYちゃんは接客業。

Yちゃんの好きだった男の子は皿洗いしてた。

その男の子はT君。

一緒にアルバイト先でマカナイの食事を頂いているときに、

私 「T君はどこから通っているの?」
T君「○○町だよ」
私 「ここから自転車じゃ遠いね。私、小さい時住んでたわ」

間をおいて

T君「へーっ。??、ひょっとしてMちゃん?」
私 「えっーー?なんで知ってるの?T君は下の名前って何ていうの?」

と、私たちは実は小さい時に近所に住んでいて幼なじみということがわかった。
それから私は段々T君の事が気になる存在になっていった。

T君は私にはもったいない位かっこいい。
背が高くってスポーツマンタイプ。

そのT君がYちゃんに
「Mちゃんて彼氏いるの?」と聞いたらしい。

Yちゃんはお気に入りのT君にそんなこと聞かれて、ショックだったらしい。

Mちゃんからその事を聞いて嬉しかったけど、素直に喜んでいいのか・・・?

「MちゃんとT君が付き合うなら、私もあきらめるわ。
気に入ってたけど、めちゃくちゃ好きって訳でもないからさ。
 もし告白されたら、付き合いなよ!」と言ってくれていた。

「そんな、私なんかダメやわ・・」
「もうすぐ、Mちゃんに付き合ってって言ってくるよー。
 そうしたい、って言ってたから。
 私の事は気にしなくていいからね」

T君はそれから私のうちに遊びに来て、
「あの・・付きあってもらえへん?」と言ってくれた。
私は「こんな私でいいの?全然自分に自信ないし」と答えた。正直に本当にそう思っていた。
T君は「僕が好きだから、・・あかんかな?」

私は断る理由はなかった。

こんなに幸せなことがあっていいのかしら、と最高に幸せ。

好きな人に好きと言われるなんて、羽が生えて飛んでる気分だった。

そのあとも、さっぱりした性格のYちゃんは私ともそれから変わりなく友達でいてくれた。

ここまでは、とっても私にとっては幸せな出来事だった。

でも、やっぱり幸せって崩れるのだな、と思う出来事が・・・。













出来ることが淋しい

幼くっても私は洗たくや皿洗いは出来るようになった。

米を研いで、ご飯を炊くことも覚えた。

友達も家に来たとき、

私「ちょっと待っててな。今から洗濯物干すわ〜」
友達「へ〜自分でするの?どうやってやるのー」
私「ああして、こうして・・・・」
友達「毎日してんの?」
私「まあね・・・」
友達「私、初めてしたわ〜」


高学年になると調理実習でえらく周りにびっくりされるほど
皿洗いの手付きが良かった。

「何でそんなに上手なん?!」
ほめられて嬉しい気もした。

でも
(みんな甘いのよ、これぐらいの事でびっくりせんといて)

やりたくてやってるんと違うんやでーーーーーーーーー)

親子のイベントで

あるとき親子で参加するイベントがあった。

夏休みにわざわざ先生が企画したイベント。
近くの緑地公園へ行って遊ぼうっていうハイキング的な企画だ。

平日なので父親は当然無理。親がいなくって参加したのは私だけだった。

行く前には何も動揺しなかった。ただクラスメートと遊べるのを楽しみにしていた。


行ってから気持が変わってきた。

だんだん淋しく、自分の居場所じゃない感覚になってきた。

当たり前だが親と一緒にするゲームばかりだ。

イベントの一つに母親をおんぶして競争、っていうのがあって
私は誰をおんぶするの?と固まっていたら近所のおばさんが

「私乗せてもらおうかな?」
と言ってくれたのでほっとした。

ケンカばかり

入退院は何度も何度も繰り返していた。


母親が心の病気ということが子供の私には納得がいかない。
ただ怠けて布団で寝ているだけしか思えなかった。

家にいても私も仲良く接することが出来ない。
顔を見るだけで腹が立った

母親も私が生意気な口ばかりたたいていたので、
うつろな表情でいることが多かった。

私も女だからなのか、子供でも大人みたいな言葉で
母親を責め続けた。


「なんで母ちゃんは昼間寝てばっかりなん?
タバコばっかり吸ってないで、外で働いたらどうなん。
タバコ吸って栄養ドリンク毎日2本も飲んで、
昼は喫茶店で外食してどんだけお金使ったら気が済むん?

一日どこにも行かんと家におったらますます病気になるやんか
なんで父ちゃんも離婚せんのやろね」


口喧嘩は毎度毎度のこと。


母親の肩や背中をどついてしまうこともあった。


母親も
「あんたなんか水に流してしまったらよかったわ。
産まなければよかった!」

家の中はいつも最悪の空気。
こんな母親の所になんで私は生まれてきたんか・・・・



2階の自分の部屋で一人で過ごすことが多い毎日。

あの時の私の心の支えって何やったんやろ。

ここはどこ?!

私が小学生3年生までは母親は普通だった。

でも3年生の時に入院した。

入院の当日、

母=「今日入院するからね」
私=「どこが悪いの?」
母=「どこかな〜、お腹が痛いんやわ」
私=「ふーん、そうなん。早く良くなってな〜」

何日か経って面会に行った。
面会に行くと、病室ではなくロビーというか、食堂みたいな所で会った。


(病院のはずなのに、ここはなんだ?)

病院という雰囲気じゃないことがすぐわかった。

他の患者さんの目が怖かった。


睨みつけてくる人、大きな声でしゃべりまくる人、
ずーっと手を洗っている人。

母に会えたのが嬉しいけど早く帰りたかった。

駐車場へ行って車に乗り込むと母が窓から手を振っているのが見えた。


その窓には鉄格子付きだった。

(あの病院って、いったいなんの病院なんだろう?)

父に聞いてもはっきり答えなかった。

頭の中は?でイッパイ・・・

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