究極の自信

私が今まで出会った中で
自信家という言葉から思い浮かべる人物は

誰もが、集まりの中で我こそはと臆する事無く名乗りを上げることができて
時には人を押しのけてでも自分の意思を貫こうと出来る人だった。
良く言えば自信と言う言葉に繋がるし、悪く言えば出しゃばりなくらい
自分を人に提示する。

提示力が自信と言えるのかは取り敢えずここでは置いておく。



その人らと真面目な話に触れるときなどがあれば
彼らから「お前はもっと自身を持て」とやたらと説教されたり
逆に自分から話す時もあった。

自分の出来ない事が、欲しい要素が、あなたは特に持っていて魅力的だ
私は自信が持てないから、と。





全く別の時にふと思う。
体重を維持したいからダイエット期間に入ったのだと伝えると
決まり事のように皆はその必要はないと応える。
勿論、あからさまに肥満であったり健康を害するレベルなら必ずしもその応えが貰えるかはわからないが。

理想に近付きたい意思があっても
別にそこまで見た目にきにする必要はないって感覚なんだろう。

けど、私は自信がなくて
自信を持てるようになりたいと話せば
その自信家達は熱意燃やして助言を始めるのだ。



当然っちゃ当然だが、
自信家の人達も一般の人達も
自信が無いと言うのは
人にとって、打ち破るべき絶対悪のようなものなのだなぁとつくづく感じたのでありました。。

自信家の人達も例外ではなく、自分の臆病な部分を振り払って
勇気を持って自己肯定をして
努力してそんな風になって。






少し前に読んだ読み物では
究極の自信とは、「失敗したところで、別に自分は大丈夫だし」と本心から思えるかどうかだとかいてあったけれど

もっともっとシンプルな究極の自信に最近触れた。

自信がない事に何か問題でもあるのか。
と思える事。


いや実際問題、
その、問題大ありなんだけど。


自分の自信がどうだとか思うより
自分含めた人間そのものについて思ってあげられる視野の事なのかも知れない。






自信がない自分がダメだとか嫌だとか
自分がない自分でいちゃダメだとか


直さなければと強く願えば願うほど
直接的に自分を否定してる事になって
どんどん深みにはまっていくのに


自信がない自分で良いというか
自分と言う人間がここにいて、
酷いほどに自信がないけど直したいと望んでいる
今はそれで良いんだと受け入れてしまうと
嘘のように自信なんて普段は振り絞るものでは無いんじゃないかと気付く。


自身とは受け容れることなのかもなぁ。





気付いたところで直ぐに出来たら苦労はない。

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