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終了します。

このブログは、終了いたします。記事は、そのまま残しますが、更新することはありません。

同じ内容で、じゅげむに、『悩んでもいいじゃん!』というブログがありますが、そちらは、そのまま続けていきますので、よろしかったら、そちらを、ご覧ください。


今まで、読んでくださった皆さま、どうも、ありがとうございました!!


お元気で!
がんばってください!!


『悩んでもいいじゃん!』
mayaii.jugem.jp

今日もニコピカ!222

創価学会の人たちは、日々、南無妙法蓮華経を、となえています。

南無妙法蓮華経とは、いったいなんだろう?
どういう意味が、あるんだろう?
どういう効果(こうか)や効力(こうりょく)があるんだろう?

と考える時、南無妙法蓮華経は、あまりにもスゴイので、どういう考え方、どういう捉(とら)え方をすることも、できる・・!

ある人は、単純(たんじゅん)に、南無妙法蓮華経をとなえると、幸せになれるんだ!と言うし、病気などの人は、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が蘇生(そせい)するから、病気を治(なお)す大きな力になるんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の運命、宿命(しゅくめい)を変革していくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、人間性を向上(こうじょう)し、境涯(きょうがい)を高め、大きくしていくんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から、無限の勇気を湧(わ)き上がらせていくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自分の中から、大きな知恵やアイデアを湧(わ)き上がらせていくんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、悩みや問題を解決していくんだ!と言い、またある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、家族や地域、社会、そして世界を幸せにしていくんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、苦難を打ち破(やぶ)り、乗り越(こ)えていくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、悪を打ち破っていくんだ!と言う。

いろいろ、考え方はあるけれど、その、どれも、正しいんです・・・!!!!

結局(けっきょく)、南無妙法蓮華経は、あらゆる角度から見たとしても、生命を、人間を、世界を、幸せにしていく法則(ほうそく)なので、その人にとって、いちばんプラスになる、いちばん幸せになる考え方をするのが、いちばん、いい!!!

それが、『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

ぼくはと言えば、最近、自分で気に入っているのは・・、今の状況(じょうきょう)、環境(かんきょう)や場面、自分のおかれた立場や心境(しんきょう)がどうであれ、南無妙法蓮華経とは、『必ず、幸せに変わる!!』ということだと思っています。

今が、辛(つら)くても、苦しくても、また、順調(じゅんちょう)な時も、また悲しい時も、南無妙法蓮華経を、となえるということは、『必ず、幸せに変わる!」「必ず、幸せに変えていく!」

・・・・・それが、南無妙法蓮華経を、となえるということだと思っています。

だから、今の状況がどうだとか、こうだとか、愚痴(ぐち)を言うのではなく、「ともかく、幸せに変わるんだ!」「必ず幸せに変わっていくんだ!」 という力(ちから)であり、エネルギーでありパワーが、『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということだと思う。

また、そう思って南無妙法蓮華経を、となえていった時、南無妙法蓮華経の力は、より一層(いっそう)、幸せへと向かい、幸せを勝ち取っていくことができる!!!

ようするに、南無妙法蓮華経とは、自分の中にある、こころや生命を、すべて、幸せというアイテム、思考(しこう)、足の先から頭のてっぺんまで、 すべてを『幸せ』という細胞で、満(み)たして、そこから、すべてを幸せに変えていくことだと思う。

それが、創価学会の人たちが、となえるている南無妙法蓮華経であり、生命も細胞も幸せで満(み)たし、幸せをつかんでいける方法・・・!

それが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰ではないかと、今は、思っています・・。

今日もニコピカ!221

イギリスの宗教社会学学者のブライアン・ウィルソン博士が、言っているそうです。

『日常生活のなかでの信仰実践(しんこうじっせん)と、よりよい人間社会を建設していく努力を続けていくことこそ、本来の宗教の使命である。』

本来、宗教は、社会や現実、自分の人生と関係ないところにあるものではない。
自分の生きている世界と社会に、密接(みっせつ)に結(むす)びつき、自己と環境(かんきょう)や世界をより良く改善(かいぜん)していくもの。自分も世の中も幸せにしていけるエネルギーとなるものが、本当の宗教だということです。

だから、宗教は、葬式(そうしき)とか、観光(かんこう)や金儲(かねもう)けのためにあるものではない・・!

そんなものは、宗教の仮面(かめん)をかぶった偽(いつわ)りの宗教であり、それらは、人々を不幸にしてしまうがゆえに、『邪宗教(じゃしゅうきょう)』という。

そういう『邪宗教』が、宗教だと思われている時代が、現代という時代だと、言えます。

けれど、宗教社会学者ブライアン・ウィルソン博士が言っているように、本当の宗教は違(ちが)う・・!!

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『あきらめと無気力の闇(やみ)に包(つつ)まれた時代の閉塞(へいそく)を破(やぶ)るのは、人間の叡智(えいち)と信念の光彩(こうさい)だ。
一人ひとりが、あの地、この地で、蘇生(そせい)の光を送る灯台(とうだい)となって、社会の航路(こうろ)を照(て)らしだすのだ。そこに、創価学会の使命がある。』

これが、創価学会が、やっていることだと思う。

よく、邪(よこしま)なデマ記事が、言うようなこととは、まったく逆(ぎゃく)で、創価学会がやっていることは、人間にとっても社会にとっても、 世界にとっても、すべてにおいて世の中を平和へ幸せへと向かわせる最高の社会と人類への貢献(こうけん)であり、創価学会の営(いとな)みによって、社会に、世界に、どけだけ希望の光が灯(とも)されたか、計(はか)り知れない。

無気力の闇(やみ)を破(やぶ)る勇気と行動。時代の閉塞(へいそく)を破る知恵の輝(かがや)き。

また、一人一人が、それぞれの悩みを解決していくことによって、未来を開き、希望を開いていく。その一人の行動と心は、やがて世界に広がり、世界を希望と勇気と幸福で満(み)たしていく。

現実の人間を立ち上がらせ、現実に悩みを解決し、現実に夢や希望をかなえる大きな力(ちから)となっていく。

そのうねりが、世界192カ国に広がる創価学会になったんだと思う。

宗教社会学者ブライアン・ウィルソン博士がいう、
『日常生活のなかでの信仰実践(しんこうじっせん)と、よりよい人間社会を建設していく努力を続けていくことこそ、本来の宗教の使命である。』
という言葉と、完全に合致(がっち)している。

まさに、真実の宗教、真実の価値(かち)と力が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!ということです。

そして、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践していくひとりひとりの輝きが、世界を照らす灯台(とうだい)となり、社会に希望と幸福をもたらしていく。

自分の人生と関係ないところにあるのではなく、自分の人生と直結(ちょっけつ)し、悩みや問題を解決しながら、夢や希望に向かって大きく人生を開いていける。

それができるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!

今日もニコピカ!220

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰について、このようなことを言っています。

『極端(きょくたん)な話しになるかもしれませんが、釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の仏法並(なら)びに天台(てんだい)の法門(ほうもん)を、テレビに譬(たと)えて言うならば、法華経(ほけきょう)以前の釈尊(しゃくそん)の仏法(ぶっぽう)は、テレビを構成(こうせい)する一つ一つの部品といえます。

そして、テレビの組み立て方を示(しめ)し、全体像を明(あき)らかにしたのが法華経(ほけきょう)です。さらにテレビがどんなもかを、理論的(りろんてき)に体系づけたのが、天台(てんだい)の法門(ほうもん)といえます。

それに対して、日蓮大聖人は、テレビ自体を残(のこ)されたことになる。それがご本尊(ほんぞん)に当(あ)たります。もったいない譬(たと)えですが、 私どもが、ご本尊を持(たも)ったということは、既(すで)に完成した立派(りっぱ)なテレビを手に入れたことになります。部品を組み立てたりしなくとも、理論はわからなくとも、すぐに見ることができる。

しかし、テレビを見るためには、チャンネルを合わせなければならない。それが、ご本尊への信心であり、仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)です。』


創価学会が実践する、ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえて祈る信仰を、テレビを見ることに譬(たと)えているわれですが、ここで『テレビを見る』と言っているのは、『幸せになっていく』『悩みを解決(かいけつ)していく』『夢や希望をつかんでいく』ための道と行動を、『テレビを見る』ことに譬(たと)えているわけです。

だから、ここで言う『テレビを見る』という譬(たと)えは、悩みや問題を解決していく。幸せになっていく。夢や希望をかなえていく。人生を勝利していくことを、意味しています。

そのためのテレビのような機械が、創価学会の『ご本尊(ほんぞん)』だと言うことです。

池田先生が言っていますが、法華経(ほけきょう)以前の釈尊の仏法は、テレビを構成(こうせい)する、一つ一つの部品です。
だから、いくら部品があっても、テレビを見ることは、できません。しかも、これも釈尊が言っているのですが、それらの法華経以前の釈尊の仏教は、 すでに使い物にならなくなった部品であり、なんの役(やく)にも立ちません。それらは不良品と同じで、逆に害(がい)になり、不幸を作る原因になってしまいます。

それが、現在、日本中にはびこっている葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光仏教です。だから、それらの葬式仏教や観光仏教を、いくらやってみたところで、なんの足(た)しにもならず、返って害(がい)になり、不幸になる原因になってしまいます。

それに対して、創価学会が信じ、祈ってる『ご本尊(ほんぞん)』は、最新式のテレビのようなものです。幸せになるための、あらゆる機能(きのう)が整(ととの)っている。どんな悩みにも対応(たいおう)でき、どんな世界の、どんな境遇(きょうぐう)の人の願いも、かなえていく力(ちから)があり、世界中のあらゆる人を幸せにしていくことのできる、ほかでは絶対に手に入らない最高級のテレビです。

それが、創価学会が信じ、祈っている『ご本尊』です。

けれど、いくらテレビがあっても、スイッチを入れなければ、テレビのどんな面白(おもしろ)い番組も、見ることはできません。また、電源が入っていなかったら、スイッチを押してもテレビは、つかない・・。

それと同じように、創価学会のご本尊が、どんなら素晴(すば)らしくても、その素晴らしさ、すごさ、無限の可能性を引き出す『スイッチ』を押さないかぎり、ご本尊という幸せを引き出す機械から、悩みを解決する力、幸せになっていくアイデア、夢や希望をつかむためのラッキーや運、人生を勝利していくために自身が成長し人間革命していく力、・・など、幸せになるためのさまざまな力(ちか ら)やエネルギー、可能性を引き出すことは、できない・・・。

そのご本尊にスイッチを入れる行為(こうい)。また、ご本尊という機械に電源を入れる行為が、『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』ということであり、また仏法(ぶっぽう)の実践活動(じっせんかつどう)である、創価学会の活動です。

そして、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえぬき、また創価学会の活動を真剣にやっていった時、ご本尊という機械が動きだし、悩みや問題の解決、幸せになっていくための自身の成長、人間革命、夢や希望の実現といった、素晴らしいテレビの番組のような内容を、自分の人生において、現実の中で見ることが、できるようになってきます。

それが、ご本尊です・・・!

ご本尊を、幸せが映(うつ)るテレビとするならば、その幸せのテレビを見るための行為(こうい)が、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえるということであり、悩みの解決や夢や希望の実現に向かって、自分自身を人間革命していく行動が、創価学会の活動ということになります。


創価学会二代会長の戸田城聖先生が、
『ご本尊は、幸せ製造機(せいぞうき)だ。』
と言いましたが、

創価学会のご本尊は、べつに何にもわからなくても、機械の仕組みや説明書がなくても、テレビのスイッチを入れれば、番組を見ることができるように、『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていく』ことによって、さまざまな悩みや問題を解決していけ、そして夢や希望も、かなえていけるようになっていく・・。

それが、『幸せを見ることのできるテレビ』と言える、あるいは『悩みや問題を解決していく』『夢や希望をかなかていく』『人生を勝利していく』、それらの自分の人生における、最高のドラマを見ることができるテレビのような『ご本尊』であり、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!

今日もニコピカ!219

創価学会のある婦人が、言っていたそうです。

『貧乏(びんぼう)や病気で苦しんでいた私たちを、誰が励(はげ)ましてくれましたか。誰が立たせてくれましたか。
世間の政治家でも、評論家(ひょうろんか)でも、坊主(ぼうず)でもありません。

みんな学会じゃないですか。池田先生(創価学会インターナショナル会長)じゃないですか。たとえ、すべてを失(うしな)ったって、私は、先生の思いに応(こた)えるために、何度だって立ち上がりますよ!何度だってね!』

創価学会が、池田先生が、やってきたことは、架空(かくう)の話しでもなんでもない。単なる理屈(りくつ)や理想論(りそうろん)でもない。評論家や口だけの政治家が言うデマカセの耳障(みみざわ)りの良い話しでもない。

現実です・・!!
現実の人間です・・!!
現実の人間の悩みを解決し、蘇生(そせい)させ、その一人一人を幸せにしきってきたのが、創価学会であり、池田先生です。

病気や貧乏で、世の中から見捨てられたような人々を、だれが励(はげ)ましたか・・!

それらの病気や貧乏など、困難(こんなん)きわまりない問題を、解決する方途(ほうと)を示(しめ)し、現実に貧乏人は裕福(ゆうふく)となり、病人は健康に なっていった。また、そんな限定(げんてい)した話しではなく、ひとりひとり違(ちが)う、あらゆる悩みを、ことごとく解決し、また、人それぞれ違う夢や希望を、現実にかなえていく大きな力(ちから)となっていった。

それが、創価学会です。

ゆえに、創価学会は強い・・!

なぜなら、現実に一人一人の人間を幸せに変えていったからです。
現実にひとりひとりの悩みを解決してきたからです。
また、現実にひとりひとりの夢と希望を、かなえてきたからです。

これ以上の偉業(いぎょう)があるでしょうか・・・。

だから、たとえ、世間が、どんなデマで中傷(ちゅうしょう)しようとも、ひとりひとりが現実に幸せになっていった生命の輝(かがや)きと歓喜(かんき)が、こわされるはずがないんです。

それが、創価学会が、やってきたことです。

そして、その歓喜のうねりは、世界中に広がり、創価学会は、世界192カ国に広がっている。

そして、どこの国でも、どんな環境(かんきょう)でも、そのひとりひとりの悩みや問題を解決し、蘇生(そせい)させ、幸せにしているんです。

それが、創価学会であり、池田先生がやってきたことであり、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の 信仰なんです・・・!!

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