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2012? 3/26 自分を幸せにする



これが正解。

この問題文の状況が「たまたま」ではないとすれば、どのあたりに問題があるのだろうか。それは彼女の人柄からおよそ読み取れる。

彼女はどうやらとても真面目である。彼氏に好かれるために一生懸命だし、迷惑もかけないし、相手の気持ちも頑張って察するようにしている。しかしながらそれがあまり評価されず、結局はふられてしまう。どうやら彼女は真面目すぎて、しっかりしようとしすぎて、付き合っている彼氏からすると肩が凝ったり遠く感じられるのかもしれない。しかしながら努力しないとか相手にもっと頼ったり迷惑をかけたりすればいいのか、というと、一部正解だが(少しは改善すると思われるが)それだけでうまくいくわけではないだろう。

今日のテーマは「自分を幸せにする」だ。

彼女は自立的で人に迷惑をかけないように生きているが、べつにそれは自信や余裕があってそうしているわけではない。彼女はただふられるとかそういう悲しい目に遭いたくないからそうしているのだし、態度こそ自立的だが、中身はかなり依存的である。というのも、いくら相手にワガママを言わないとか迷惑をかけないとか頑張っていても、彼女の頭の中は恋愛とか彼氏中心にできていて、そのための頑張りなのである。つまり、態度こそ彼氏に依存していないかもしれないが、中身はものすごく恋愛依存であり、それだけ寂しいということが言える。

そういう背景があるから、彼女がもっと相手に依存していいなどと思うと、思い切り頼り過ぎて相手を疲れさせてしまうかもしれない。彼女自身、そんな予感がうっすらとあるから、迷惑はかけまいと自立的に振る舞っているのである。実際に彼女に限らず、依存的で彼氏にベタベタになってから相手に面倒くさがられて、今度は男に絶対に甘えないし自分が有利でいられるようにする、と針が逆に振れる人は多い。だが依存と自立を往復しているだけでは、まぁ少しはそれによってこなれてくる部分もあるが(両面性を取り入れると成熟するが)、根本的にはうまくいかないのである。なぜなら余裕がないのは全く変わっていないからだ。

彼女は自分磨きも必死だったし、気持ちを察するとか、ワガママを言わないとか、全てをしっかりしすぎていて結局は窮屈であった。しかし本当は、愛されるための努力を第一にしなくていいし、そればかりになると相手が愛することにためらってしまうのである。そんなに頑張ってくれなくていい、重い、と思うだろう。それが彼女がいつもふられてしまう最も大きな理由だったのではないだろうか。

捨てられないためにとか、愛されるためにという努力を、そんなに気張ってしなくてもいい。それよりも彼女は、まず自分をどう幸せにするか、楽しく生きるか、を考えたほうがいいだろう。彼女は滅私奉公をしていて相手を疲れさせているが、付き合ってもなお、相手を中心にではなく、自分で(ついでにこの人と)幸せになろうとすればいい。彼氏がいなくても、自分で自分を幸せに生きさせようとすればいい。その結果として男も寄ってくるし、付き合っているときでも、自分が幸せでなければ相手が幸せにはなれないのである。苦しいことは背負ってもらえばいいが、基本は自分の幸せありきだ。

自分が幸せだと、余裕ができる。余裕ができれば相手にも余裕ができて、自分を愛するようになる。愛されるというのは「愛される努力」の結果で手に入るのではなく、自分を幸せに生きさせた結果で手に入る。

「でも幸せな気持ちになれないんだから仕方がないじゃないか」という人もいるかもしれない。悲しいことが次々と起こり、どうやって自分を幸せになんかできるの、と思う人もいるだろう。確かに循環の中でつらいときはつらいから、そう簡単に覆すことはできないかもしれない。あくまで自分の心がけで覆せる範囲の話であり、難しい場合は、やはりまず誰かに支えてもらいながら癒して、好循環にひっくりかえせる機会を待つしかないのだが。それはともかくとして、こういうのは循環だから、「まず自分が幸せになるように」という方針をきっかけとして全体が変わることは多々ある。

毒舌太郎はときどき「自分の周りに好きなこと、好きなもの、好きな人(恋人に限らず)、を散りばめて生きればいい」と言う。好きなことが分からない人は、まずは自分の気持ち、幸せを封じようとしている自分の心を見詰めて解き明かす必要があるだろう。好きなことなどに囲まれていると、少しずつポジティブなエンジンがかかり始めるが、そういったとっかかりが異性を呼び込むし幸せを呼び込むのである。男でも楽しく生きている人は女を引き寄せるし、もちろん性別が逆でもそうだ。幸せのニオイがするところに、幸せは吸着する。

なんだかユルい楽しそうな方針を掲げているが、是非やってみてほしい。自分を幸せに生きさせる、好きなこと、好きなもの、好きな人に囲まれて生きる、それは実はそう簡単なことではない。問題文の彼女のような人がやろうとすると、環境がたとえ整っていても、心の中で幸せを制限しようとするブレーキがやってくるだろう。ためらいなく幸せになるのは難しい人には難しく、自分を緩めるのも一種の戦いである(しかも一時的に生活が厳しくなるとか学業がおろそかになるとか弊害がある)。

なお、自分を幸せに生きさせることにばかりまっしぐらで自分への厳しさがあまりに足りない人は参考にしないほうがいいし、逆に少し自戒するといいだろう。

※長い余談 最近、本当にしょうもない「カラフルな帽子をかぶっているしゃくれたガイコツがカラフルな自転車に乗っている置物」を買ったのだが、これが木で残念なつくりをしているわりに二万円なのである(しかもところどころ折れた痕があり接着されている)。モノのわりにクソ高いと思ったのだが、一点モノだし、毒舌太郎の心は物凄く欲しいと言っているしで、葛藤の末に買った。

モノの価値というものを改めて考えさせられる。5万円で買った服はあまり気に入らず、1980円で買った服を破れるまで着ることだってあるだろう。好きなものに囲まれて生きようと思ったら、15万円の観葉植物も、2万円のガイコツも、高いけども高くない。なぜなら本当に好きなものは出会わなければお金を積んでも手に入らないし、ものすごく心が動いて、かつお金を積んで手に入るものならできるだけ買っておこうと毒舌太郎は考えるのである。お金が足りないなら他のことをガイコツのために我慢すればいい。

それに、毒舌太郎の満足度やその後の幸福感というプライスレスなものを、欲しいと思ったときにお金で買えるだろうか。または幸福感を金に換算したら2万円以下だろうか。人それぞれだろうが、自分としては「幸福感の購入はそう安くない。ここで2万円で買えるならオイシイ」と思った次第である。




なんだか、大切なことが分かってきた気がする。



すっげー…幸せ、かも。

自分って

やっぱ飽きっぽいんだなww
もうこっち不定期になってきてるしww

でも紙の日記はまだ続いてます
頑張れわたしww

三分の一

終わった
あと三分のニ頑張るべ

今日は

課題頑張った!
しかも部屋も片付いてきて気分よし!

明日は寝過ごさないぞ!
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