皆様こんにちは。
明日からゴールデンウィークに入りますね、白井氏です。
同人者にとってのゴールデンウィーク一大イベントといえば...何と言ってもスパコミ!
私も、ビッグサイトへ趣きたい所ではありますが、スケジュールに空きがありませんので見送りする事にorz
当日イベントへ参加なされる皆様、素敵な一日であります様に...☆
この頃、同人というカテゴリー自体への解釈について、色々と考えさせられております。
キッカケは、ツイッターにて見掛けた【作品やキャラクターが好きなのでは無く、自分の好きな設定をキャラクターに押し付けているならば、それはもう創作の領域。同人でしなくてもいい】という話題から。
この方の考えについて、私は中立的な立場をとっております。
萌えの種類や、作品への愛や見解も違うので、「何処からが自分好みの設定を押し付けていることになるのか」という線引きは無理だと私は思うのですね。
原作で描かれていない過去の話を描くのは、捏造でしょうか?
原作で亡くなってしまったキャラクターが生きている話を描くのは、押し付けでしょうか?
原作で敵同士いがみ合っているキャラクターが仲良しになっている話を描くのは、いけない事でしょうか?
私はそれらに【YES】とも【NO】とも言えません。
【自分の好きな設定を押し付けた】という意図が書き手に無ければ、それはもう【作品への萌えの形】な訳ですから、第三者が指摘できる事では無いでしょう。
原作で語られなかった過去を想像して、何故今に至るのかを綴る事も。
亡くなったキャラが生きていてほしいという希望を描くことも。
敵同士であっても、何かしらのキッカケによって仲良くなる事を願うのも。
原作があるからこそ、見出だす事が出来た萌えや願いを描くのであれば、それはもう「設定の押し付け」とは呼べないと私は思います。
私が同人の世界へ足を踏み入れたのは、高校生の頃。
その頃は、主にサイトで細々と活動をしておりました。
しかし近年、ピクシブやツイッター、動画サイト等の普及と共に、今まで無かった障壁が出来てしまった様な気がします。
個人がサイトとして独立していた頃と比べて、一つのコミュニティ内に沢山の方が作品を投稿している今、【嫌なら見るな】が中々出来なくなっているのですね。
唯一住み分けとして使われる「タグ」関係でのトラブルも、上記の見解の違いから来ているのでしょう。
作品の書き手にも、譲れない部分がありますし、勿論ですが読み手にとって苦手な作品が視界に入ってしまうのも、また苦痛なのでしょう...。
【作品やキャラクターが好きなのでは無く、自分の好きな設定をキャラクターに押し付けているならば、それはもう創作の領域。同人でしなくてもいい】
同人者として、とても考えさせられる言葉です。